『ルゥ?まだ帰ってきてないけど』
そう端末越しに言われて、一度も、と繰り返し聞いた。
『うん一度も。どうした、何かあったか?』
「そっち、行く」
ルルゥが帰っていない。
あれから随分呆然としたままただ時間が過ぎた。日が翳ってきてようやく我に返り、部屋の惨状に吐き気がこみ上げた。それから慌てて片付けて、ふとみた端末がルルゥの部分だけオフになっていたのが気になってカラナックにテルをしたのだ。
ヴァンは近くにあったチュニックを羽織るとレンタルハウスを飛び出した。ジュノのレンタルハウスから、カラナックとルルゥの自宅まではすぐだ。若い冒険者をかき分けて僅かに重たい身体を引きずるように走る。
住宅街にさしかかると、エプロン姿のまま出てきたカラナックにいきなり身体を抱えられた。
「え、なに?」
驚いて声をあげるもカラナックはそのままヴァンを抱えたまま自宅へと引き返す。すぐに携帯端末を取り出すと、相手はアニスだろう、すぐに来いと怒鳴りつけるように言った。
「ナック」
家に入ると、すぐに抱えていたヴァンをソファに座らせ、カラナックはヴァンの目線に会わせて座った。
「すぐ来る。何があったか話せるか?大丈夫か?」
カラナックの指が唇の端をさすった。
それで気がついた。
手首を取られ、血の滲んだ痕を指先がなぞる。
「大丈夫、違う。何もされてない」
訝しげなカラナックの視線。当たり前だ。厳密には何もされていないではなかったが、少なくともカラナックが心配しているような事はない。これは、所謂子供の、喧嘩の延長だ。
「ルルゥが」
「ルゥが?」
「俺とナックの関係を疑って、俺がナックと」
言葉に詰まる。
「セックス、したと」
「馬鹿な」
「俺、ルルゥに帰れって追い出しちゃって」
ルルゥも思い詰めていたはずなのに。
「どうしよう」
「大丈夫、どこかほっつき歩いてるだけだ。探してくるから、アニスが来るまでここにいるんだ、いいね?」
頭を優しく撫でられてヴァンは目を閉じた。
今頃になって手首が酷く痛む。
「これはルゥがやったのか」
握りしめた手首をそっと取られ、否定できずに見上げるとカラナックが唇を噛んだのが見えた。
答えられないのが肯定の証。
「ルルゥを、怒らないで」
ちょっと派手な喧嘩をしただけだ、大丈夫、そう言おうとするもカラナックに制止された。
「ダメだ。親として叱る義務が俺には」
「あんたが!」
かっと頭に血が上った。
突然叫んだヴァンに、カラナックが目を見張るのが分かる。
「あんたがそんな態度だから」
カラナックの腕を掴んで身を乗り出した。カラナックが1歩後退する。
「そんなんだからルルゥだって身動き取れなくなんだろ」
親子とか馬鹿げてる。
だって、こんなにも二人は好きあっているのに。
それに縛られ続けるカラナックも、ルルゥも馬鹿だ。
「ナックは傲慢だ」
ルルゥの全てを持っているのに。その腕から離さない癖に。ルルゥには親であり続ける、ルルゥには子供であることを強要し続ける。まるでそこから先へ進むことを拒むように。
「ナック」
「そこまでにしとけ、ヴァン」
聞き慣れた声がヴァンの言葉を遮った。
ゆっくりと近づいてくるアニスが、ヴァンが握りしめたカラナックの腕を取ると軽くその肩を叩く。ヴァンの指を絡めてそこから引きはがし隣に腰を下ろした。
「うちのやつから連絡があって、詩人酒場にいるってさ。後手に回ったな、珍しく」
「俺もいく」
「お前は先にこれ治してから」
アニスの唇が、ヴァンの傷ついた唇の端に寄せられた。
数歩蹌踉めいたカラナックが頭を振る。
「ごめんな、ヴァン」
カラナックが家を出て行くと同時に、アニスがヴァンを強く抱きしめた。
|