Torment

 


「私の命に背き、勝手に軍を動かした挙げ句、人在らざる者になりはてたか、この愚ものが」


 もう何度目になるだろうか。強く頬を張られ、ラズファードはふらつく身体を無理矢理その場にとどめると、なおも父皇ジャルザーンを見上げた。頬は熱く、痺れを伴った鈍痛が咥内にまで拡がる。
「お前はお前自身だけでなく、この私も、マジャーブ朝を、このアトルガン皇国を穢したのだ、恥を知れ」
 怒りに震える拳がもう一度伸ばされ、ラズファードは覚悟を決めて歯を食いしばる。だがその拳はいつまでたっても振り下ろされることはなかった。
「止めるか、ラウバーン」
「それくらいでおやめになってはいかがか。過程はどうあれ、ご子息の判断で多くの兵士が助かり、また皇都も戦場にならずに済んだのもまた事実でございましょう」
 東方戦線の戦況は熾烈を極めていた。いくつもの拠点敗走の報告を受けるたびに、ラズファードは何度も軍の一時撤退と戦力の一カ所集中を求め、それをジャルザーンは頑なに拒否し続けてきた。重要な拠点の多い東方戦線が、戦力が分散しているが故に崩れるのは目に見えていた事であり、遅かれ早かれ撤退を余儀なくされていたのはジャルザーンも理解していた。
 だが、撤退してしまえば次の戦場は皇都になる。復興もままならず、民の心にも皇都そのものにも大きな爪痕が残っている疲弊した現状で、皇都を戦場にするわけにはいかない。戦力を整え、迎え撃つ準備が整うまでは、皇都を戦場にしてはならない。そんな想いが、聖皇ジャルザーンに軍の一時撤退を否定させ続けてきたのだ。
「それとこれでは話は別だ」
 喉から絞り出すような声は震えていた。
「大局を見よ、この愚ものが」
 振り下ろされた錫が鈍い音を立てた。
 ラズファードはただじっと、父皇ジャルザーンの前で唇を噛みしめその痛みに耐える。
「聖皇、人非らざる身とはいえ、ご子息のお体は人より僅かに再生能力が高いだけでござりまするぞ。先の傷も回復しているわけではないゆえ、くれぐれも壊さぬようお頼み申し上げます」
 ジャルザーンの顔が一気に紅潮した。
「ご子息の御身は唯一の成功例」
「出て行け、ラウバーン。出て行くのだ!」
 怒りの矛先は、魔物になってまでおめおめと生きながらえた愚息から、命を助けるためとはいえ実験中の合成獣の輸血を施し、ラズファードを物扱いする不滅隊長へと変わる。
「御意」
 笑みをたたえたまま、一歩身を引いたラウバーンは、恭しく一礼すると部屋を音もなく出て行った。
 

 

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