Distant Memory

 





 冒険者という生き物は、そこに危険があると分かっていてもそこへ行きたがる不思議な存在だ。

 

 得体の知れないものを見つけ、噂が広まり、そして次々と人が消えたにも関わらず、そこを訪れる冒険者は後を絶たない。この謎を解明してみせる、とでも思っているのか、それともそこに謎があるから単純に惹かれるのか。
 どちらにせよ冒険者の脳内のうち、9割を占めているのが好奇心だ。
 そして、命を落とす大半の理由は、その好奇心にある。


「偉そうに日記書いてるけど、それは俺らのこと?」
 後ろから覗き込まれて慌てて日記代わりにしていた手帳を閉じる。
「起きたのか」
「うん」
 そのままヴァンはアニスの肩に額を乗せた。
「大丈夫か」
「ちょっとまだ目の前がぐるぐるする」
 ヴァンの手を取って指先に口付けると、少しだけ困惑したように微笑む。

 ここは、ソロムグ、だと思う。
 見たことのある景色が拡がる眼下。だが、そのソロムグの色は見慣れた色ではない。
 突如世界中に現れた、奇妙な口。それは魔物の口のようであり、植物が絡まったようでもあった。誰がそう呼び始めたのか、それは異界の口、と呼ばれた。
 ロランベリー耕地、バタリア丘陵、ソロムグ原野で見つかったそれぞれの口は、あっという間に数人の冒険者を呑み込んだ。正直、これは危ない。そう誰もが思った。だが、数日後、呑み込まれた彼らは戻ってきてこう言うのだ。
 同じヴァナディールなのに違う世界が拡がっていた、と。
 あの口の中の世界は、20年前の、クリスタル大戦真っ直中のヴァナディールの姿なのだと。
 この感覚はデュナミスに似ている。
 あり得ない、過去への扉。いや、口か。
 そもそも過去へ本当に飛んだのだろうか。デュナミスのように、繰り返される「過去」を見たに過ぎないのではないか。あの異界の口の中で、再生され続ける過去を。
 過去世界を一目見ようとすぐに何人もの冒険者が異界の口から旅立った。
 戻ってくる者、戻ってこない者。情報は錯綜し、何が真実で、何が虚像なのか分からなくなるのに要した時間はたったの二日。
 その謎を解きたいと思ったわけではない。
 ただ、本当に20年前なら。

 本当に20年前に行けるのなら。

 そう、自分自身の我が儘で、こうしてヴァンをこの世界に連れてきてしまった。
 一人で行くのが怖かったわけではない。


 一人遺していくのが嫌だったのだ。




 緊急時用に持ち歩いているドライフードは予期せぬ長期の張り込みなどでも活用される、冒険者にとっては一般的な保存食だ。保存食といっても、何年も保つわけではなく、単純に2週間程保存の利くお手軽食品に過ぎない。それでも何もないより随分とマシで、空腹を幾分か和らげてくれる。
 異界の口に、まるで流されるように呑み込まれて、気がつけば言われてるとおり別世界のソロムグ原野。
 どういう理論か理解できないが、船酔いのような感覚に最初は真っ直ぐ立つことすら出来なかった。これといって船に弱いわけではなかったが、ヴァンは地面に突っ伏したまま立ち上がることすら出来なかった。

 周囲は僅かに魔力の残った傷跡がある。戦争の爪痕。
 本当に20年前なのだろうか。バタリアならまだ分かったものをソロムグでは記憶も曖昧だ。
「アニス?」
 険しい顔をしていたのだろう、ヴァンが心配そうに覗き込んできた。
 日も暮れて、空には星空が見える。夜間に土地勘のない場所を歩き回ることは危険だ。そう判断して、岩場の影に身を寄せ、ヴァンを寝かしたのが夕方。何時間過ぎたのかも分からなくなっている。
「時間の感覚が狂ってる」
「もし本当にここが20年前だとして、星座は今も昔も変わらないと思うけど」
「正確な季節と時間なんて覚えてねえ」
「だよね」
「でもまあ、季節くらいは分かるかな」
「低い位置にトンベリ見えるから夏か、初秋かな」
 ヴァンが指さしてひとつひとつ星の名前を言っていく。
 ヴァンは博識だ。特に軍学における知識は共和国仕込みで、シュルツやギヌヴァといった戦略論にも聡い。政治や経済学といった部分も、父親譲りなのだろう。生まれ持った環境を妬んだわけではないが、なぜ魔道士にならなかったのか、そう一度聞いたことがある。
 ヴァンは笑って理論と実践は違う、と言った。
 そのときほど、ヴァンの才能に嫉妬したことはない。
「静かに」
 誰かの足音を感じ、アニスは手のひらでヴァンの口を塞いだ。
 唇に触れた指先からヴァンの緊張がダイレクトに伝わる。心臓がばたつく嫌な感覚だ。
「異常なし。そっちは」
「動きなし。あれからずっと浮いたままだ」
「動かないのも心臓に良くないな」
 微かな笑い声。
 それと同時に、低く唸るような振動。張り詰めるような緊張感。それが襲撃の激震だと気付かないほど、愚かではない。
「戻ろう、来るぞ」
 囁くように立てるか、とヴァンに問いかけると二度しっかりと頷いた。肩を支えて立たせると、戻る彼らの背中を追いかけるように声を掛けた。
「済まない、助けて貰えないか。怪我をしているんだ」
 一瞬驚いて振り返った二人はサンドリアの鎧を身に纏ったエルヴァーン二人。その表情はこちらを訝しんでいる様子ではあったが、こっちの素性をどうこうしている暇はないのは明白で。
「来い、獣人軍が来る」
「早くしろ」
 舌打ち混じりで二人はすぐに近寄ってきて手を貸してくれた。噂通りここが20年前の水晶大戦真っ直中なら、相手は同じ人間ではない。
 予想通りではあったが、まだガルレーシュ要塞が生きている。
「入ってすぐ奥を左に。奥に部屋がある、そこへ」
 薄く点るランプの灯りがヴァンの顔色を悪く見せる。実際悪かったのかもしれない。ヴァンを見て心配そうに目を細めた男は奥の方を指さして急ぐように足を速めた。
 奥の部屋へ連れて行かれると若い騎士が毛布を手渡してくれる。
「此処を出るな、静かにしててくれ」
 連れてきてくれた二人はそう言うと急いで出て行き、代わりにその部屋にいた若い騎士が扉を厳重に閉めた。
「静かに」
 ヴァンの身体を毛布にくるんで抱きしめた。まだ目の前が回ると言っていただけあって、支えて歩いていた時に何度も足がもつれていた。この状態ではまともに敵と対峙することは不可能だ。
 今がどの時期か分からないが、まだガルレージュが生きているということは比較的獣人軍と拮抗している状況だろう。各戦線でアルタナ連合軍と獣人軍の小競り合いが頻発し、大規模な局地戦が繰り広げられている時期だ。
「ご兄弟ですか」
「大切な家族だ」
 扉の向こうで戦闘が始まった音が聞こえた。

 


 ヴァンは意味深な言葉を残して眠った。
 ここまだ大丈夫だよね、そう囁かれた言葉はガルレーシュ要塞が持つ凄惨な過去を指す。此処が本当に20年前を再生しているのだというのなら、その歴史は間違いなく史実通りなぞられるだろう。
 だがもし、その歴史を止められたら、未来はどう変わるのだろうか。まだこの世界と自分たちのいた世界が繋がっているという確証があるわけでもないのにそんなことを考える。
 もし、あの時。
 ああすることが出来たら。
 馬鹿馬鹿しい。歴史を変えることなど出来ない。
 人は愚かだ。変えられない過去をいつまでも引きずって生きていく。
 落ち着こうとサイドポケットから煙草を出したら、若い騎士に火気厳禁です、と咎められた。よくよく考えれば、ガルレーシュ要塞は戦線拠点だ。砲台もあれば弾薬などの資材も多く保管してあるだろう。
 扉のむこうがわで聞こえていた戦闘の音はもうしない。

 獣人軍を退けたのだろう、暫くして先ほど案内してくれた男が返り血を浴びたままの姿で戻ってきた。怪我はないかと尋ねると、心配ないとだけ言った。彼はヴァンをベッドのある部屋に移動させてくれると言うのでお言葉に甘える。
 ウィンダス領土の割に、駐屯しているのは紋章からみて王立騎士団第一連隊。それにガルレーシュ要塞には一般市民も大勢いたはずだった。案内される間、すれ違ったのは怪我をしたものを運ぶ兵士だけだ。
「人がやけに少ないな」
 そう言うと、頬に飛んだ血を拭った男が睨み付けてきた。
「お前は何者だ。連れの男は若いが、どこかの士官候補か、それとも監査官か」
 水晶大戦中、冒険者なんて言葉は聞いたことがなかった。誰もがどこかの国の元で傭兵となり戦争に参加した時代だ。冒険者制度が出来たのはいつだったか。冒険者としての身分を証明する端末は全く使い物になりそうにない。そもそも冒険者端末はこちらに来た時点で機能を失い、隣にいるはずのヴァンの情報すら取得出来なかったのだ。
「一般市民には見えないが」
「従軍したくて田舎から」
 素直に故郷の名前を出すと、男は目を細めた。
 ヒュームのサンドリア国民、そしてここはそこからは驚くほど遠い異国の地だ。
「最近、そういう者が多い。分からんな、この時期に何か新たな政策でも打ち出されたか」
 男は考え込み、ややあってそれ以上考える事をやめた。
「連れの男、気をつけろ」
「何が」
「此処にいる者達は度重なる獣人軍との戦闘で疲れているのだ。子供のような士官候補は疎まれる、どこの子息か知らんが早く帰った方がいい。痛い目はもう十分見ただろう?」
 子供の遊びに付き合ってあげられるほど余裕はないのだ、と続けた男にアニスは思わず吹き出した。
「いや、違うけど気をつけるよ」
 ヴァンが聞いていたらむっとした表情をしたことだろう。そんなに自分たちは偉そうな雰囲気を持っていただろうか。確かに珍しい武具を装備していれば士官候補か貴人かと思われても仕方がないが、指揮官は自軍にその存在を知らしめると同時に、敵軍からも簡単に見分けられるのだ。
 珍しく高級な武具は現代でこそステータスだが、この時代はよくないかもしれない。ヴァンに言えば、間違いなく目立っていいね、くらい言いそうだが。
「もし、本当に従軍する気ならサンドリアに戻って手続きをするがよかろう」
「そうするよ、長い旅になりそうだが」
 ここからサンドリアへ戻るためには、バタリア丘陵からジャグナー森林を抜けなくてはならない。だが、ジャグナー森林は、水晶大戦初期にサンドリア軍が敗北して以来、オーク帝国軍によって支配されている。現代のようにジャグナー経由でラテーヌ方面に抜けることは出来ない。ダボイを中心として大規模な戦線基地が建造されているだろうし、街道は封鎖されていなかったか。
「多少危険だが、ブンカールを抜けるといい」
「ジャグナーを迂回か」
「知っていると思うが、メシューム湖の西側からロンフォールへと抜けることが出来る」
 男がポケットから一枚の羊皮紙を取り出す。
「ブンカール浦の地図だ、持っていけ。それと、名前は。私は鉄羊騎士隊のランデック、必要なら紹介状も書こう」


「アラゴーニュ騎士団、アニェース・アグニス」


 

 

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