Painful

 




「ねぇ、アル」

 呼びかけられて振り返ると、鎧の上から防寒具を着込んだヴァンが手袋に向かって白い息を吐いた。
「お前さ、いつも思うけどその格好酷いよな」
「だって寒いと身体動かなくなるんだもん、途中でタウロスに襲われたらどうすんの」
「その格好で戦えるかどうかの方が俺は怖いんだがな」
 まぁ俺が一緒だからいいけど、と、ため息をついてアルがヴァンを見上げた。
「で、何だ?スニークは掛かってるだろ」
 洞窟というより、鍾乳洞に近い中をヴァンとアルはゆっくりと登っていく。既に他のメンバは随分先を走っていた。
 今日はLSでウルガランENMだ。
「なんだよ」
「あのね」
 少しだけ言いにくそうにヴァンが下を向いた。
「歩きながら話せよな、ただでさえ遅れてる」
「うん」
 いつもはもっとはっきりとしたものの言い方をするヴァンが言葉を濁す。なんとなく嫌な予感がして、アルは両手をあげて深いため息をついた。恋愛相談ならパス、そう言いかけて口を開くと、ヴァンに先を越された。
「好きなら、普通セックスする、よね?」
 いきなりそれか、と一瞬引き攣った顔はヴァンには見られていない。
「好きじゃなくてもするだろ。愛の言葉ってのはセックスのための社交辞令みたいなもんじゃね?」
「…そうじゃなくて。好きだったらセックスしたい、って言った方がいい?」
「何、お前したくないの?」
 そうからかい気味に言ってから、アルは後悔した。
「いや、えっと、そうじゃないけど」
 あからさまに声が小さくなっていくヴァン。
 不味いことを言った、アルは口の中で小さく舌打ちした。
 ここ数日アニスと二人きりで引きこもっていたことは知っていた。何となく二人の間にあった事は想像できる。あの臆病者のアニスが結局手を出さなかったか、一大決心をして手を出してみたが寸前でヴァンが逃げたかのどちらかだ。今の言い方からしておそらく後者。
「変な言い方して悪かった」
 洞窟を抜けてしまい、嫌なところで一端話は途切れた。雪の中を、徘徊する魔物の視界をかいくぐって進む。ヴァンは無言でアルの背中を追いかけてくる。
 視覚遮断の魔法や術を使っているから、足跡だけが雪の上を綺麗に道を造っていく。
「鼻水、出てきちゃった」
 広いゲレンデを登り切って通路まで来てから、ヴァンが震えた声で顔を擦った。
「泣くなよ、悪かったってば」
「泣いてないって」
 アルはヴァンにもう一度スニークをかけ直すと、そっと脛当についた雪を払った。
「俺の話で悪いけど」
 何となく恥ずかしくてアルはヴァンを見上げることが出来ないでいた。
「本気で好きになったやつとね、初めてやったときは馬鹿みたいに緊張したわけよ」
 この百戦錬磨の俺が、と照れ隠しのように付け加える。
「なんかこう、傷つけてしまいそうで、壊れそうな気がして。そう思うならやめとけって話なんだけど、流れってあるじゃない。なんとなく、今からするんだなってそういうやつ!お前も初めてじゃないんだからわかんだろ!」
 上手く言えない。もどかしさに苛々しているとヴァンが目の前でしゃがみ込んだ。
「俺もいい年したおっさんだしな、相手まだ17歳冒険者なりたてだったし。犯罪じゃないのか、とか色々考えたよ」
 じっと黒い瞳で見つめられてアルは少しだけ顔を背ける。
 小さな手を口元に当てて咳払いを一つ。
「でもな、一番考えたのは、俺タルタルだから嫌って言われるのが怖かった。緊張の9割がそれだった」
 好きすぎて、怖かった。拒否されたらきっと立ち直れない。
 アルは小さな帽子を両手で握ると目深にかぶりなおした。
「結局自分の事ばっかだったってわけ。…拒否られなかったけどな、俺は」
「エラッタ愛されてるなぁ」
「…誰もエラッタの話だとか言ってねぇ」
 インビジまで掛けてやって歩き始める。冷たい風が洞窟に入り込んできて、後ろで小さなくしゃみが聞こえた。このままでは明日風邪引きそうだ。苦手だ苦手だ言いながらも、こうして極寒の地をしっかりとした足取りでついてくるヴァンは、きっとアニスの事も真正面から受け止めている。
 それはいいことでもあり、悪いことでもあると思う。
「なぁ、ヴァン」
「喋ると蝙蝠に気付かれるよ」
「こんな事、俺が言うのもなんだけどさ」
「アル?」
 静かな洞窟の中で、アルの声が響く。
「お前、今そういうことあんま深く考えるなよ。好きなんだろ?」
 好きだからとか、理由を見いだそうとするとか。
 世間体とか、一般常識とか。
 あんまり考えてる節はみえないけれど、頭のどこかに、心の隅に必ずあるアブノーマルに対する抵抗。それは多分ヴァンよりもアニスの方が強い。アニスはヴァンの持つ「普通」を奪うことを畏れていて、ヴァンはその「普通」ではないことを戸惑っている。その戸惑いをアニスは勘違いしているのだ、と思いたい。
「お前はお前のしたいようにしたらいいんだ」
 きっとヴァンの望むことを、望んだ形でアニスは叶えようとするだろう。
 止めていた歩みを再開する。自分に再度スニークを掛けながら、アルは振り返らずに言った。
「そんで、ちゃんと思ってることをアニスに伝えな」
 お互いがお互いの思考を理解するなんて無理だ。
「言葉にしないと伝わらないことってのも沢山あるんだ」
 かつての自分がそうだったように。
 背後で、小さく鼻をすする音が聞こえた。
「うん、でも俺アニスの話とか一言も」
「ここまで来て違うとかいうか!」
 二つ目の洞窟を抜けて緩やかな斜面を登る。
 小さな足跡を追いかける足跡。吹雪は一段と強くなってきていた。ヴァンのくしゃみは本格的だ。
「…違わないです」
 鼻声の掠れた声で小さくそう言うと、それきりヴァンは黙ってしまった。アルは背後に感じる気配で、ヴァンがついてきているのを知る。
「アル、ありがと」
 ややあって囁かれるお礼の言葉。
 頂上はもうすぐだ。
「どういたしまして」


 ──今度ヴァンを泣かせたら、あのアホをフルスイングしてやる。
 握りしめた杖。どうやら俺も他の連中と同様に、ヴァンには甘いらしい。


 頂上に差し掛かった頃、丁度雲間から晴れ間が覗いた。
 ぴたりとやんだ吹雪。暫くすれば氷柱で覆われた洞窟が姿を現し始めるだろう。
「急ぐぞ、ヴァン」
「オーケー」
 歩みを早めたアルに、ヴァンもまた続いて走り出した。




 

 

Next