Close to you

 





 ぐらぐらする頭を振って這うように風呂場を出ると、ヴァンは冒険者用の携帯端末を眺めた。

 冒険者協会にはこの端末からすぐに連絡できるようになっている。
 焼け付くような喉はからからに乾き、緊張を表していた。ただ、全てを話すだけなのに、怖い。
 だけど、それ以上に、アニスが居なくなるのが怖かった。
 

 





 今年も星芒祭の季節が近づいてくる。
 祭りが始まるのはまだ少し先だが、既に街中は星芒祭に向けての準備が始まっていていつもよりも慌ただしい。ジュノも例外ではなく、星芒祭向けの商品が沢山店を飾っていた。

 そんな中、突然アニスの帰還が決まった。
 アニスが監獄に入ったあの日から丁度3ヶ月がたとうとしている。

「ヴァン、待たせてごめん」
 下層の噴水近くで寒さと戦っていたヴァンに、遠くからルルゥが手を振った。
「いや、俺も突然呼び出したし」
 近づいてきたルルゥが、ヴァンの顔色を見て額に手をかざす。
「最近ずっと顔色悪いよ、随分ここにいた?」
「いや、そんなに」
「暖かい所にいこう」
 有無を言わさずルルゥがヴァンの手を取って歩き始める。ヴァンより少しだけ背の低いルルゥは、こう見えてもヴァンより3つ年上だった。大きな蒼い目はいつも真っ直ぐに何かを見ている。羨ましいほどに。
 ルルゥは近くにあった詩人酒場に入るとコートを掛け、奥の席にヴァンを座らせた。慣れた様子で飲み物を注文すると、向かい側に座って剥き出しだったヴァンの手を優しく擦る。
「ちゃんと手袋しなよ」
 冷たい指先を軽くマッサージしてやると、青白い手がほんのりと色付いた。
 戦士の手だとは思えないほど小さく細い指。吟遊詩人のルルゥの手の方がよっぽどごつごつしている。
「また痩せたろ、アニスが出てくるのにそんなんでどうすんの。NMLS続けるんでしょ」
 ため息混じりのルルゥに、何も言えなくなってヴァンはうつむいた。
 全てを話したあの日にもう大丈夫だと、元気に振る舞うと誓ったのにアニスが出てくると聞いてから膨れあがる不安が、ヴァンをそこに立ち止まらせている。僅かな安堵と一緒に、襲ってくる大きな不安が今ヴァンを蝕んでいた。
「質問、変えようか」
 運ばれてきた飲み物を受け取って、ルルゥはヴァンの方へ身を乗り出した。
「アニスのこと好き?」
 ヴァンは少しだけ驚いて、そして視線を逸らす。
 ため息。
 アニスがヴァンを好きだなんて事は、見ていればすぐに分かった。だけど分かりやすいアニスの視線は、ルルゥから見ても不安になるほどで。彼の臆病さは、ヴァンをきっと苦しめる。
 ヴァンがそのまま気付かなければ。アニスの気持ちに気付かなければいい、そう思ってきた。気付いてしまえば、ヴァンはまたそれで悩むだろうから。でも、もう無理のようだ。ヴァンが気付いたのか、それともアニスが告白したのか。前者の可能性はあり得ない、と勝手にルルゥは納得し、心の中でアニスを罵っておく。
 ヴァンは、何度も言いかけては途中で言葉を呑み込んだ。ルルゥは辛抱強く、ヴァンが言葉を発するのを待つ。
 あの時からついた癖だ。言いたいことを途中で呑み込んでしまう。そう、せざるを得なかったヴァン。
「わ、かんない」
 小さく呟いた。
「アニスが出てこられないかもって聞いて心臓がとまるかと思った」
「うん」
「逢いたいって、思った」
 アニスの突然の帰還はカラナックの尽力だと思っていたがそれだけじゃないようだ。ルルゥはそっとヴァンの握られた手に、自分の手を重ねる。
「でも、アニスは俺のせいで。どんな顔して逢えばいいのか分からなくて」
 そうしてヴァンはルルゥのところにきた。
 答えを貰えると思って来たわけじゃないのは明白だ。
「むしろアニスがまた俺と逢ってくれるのか、とか、アニスに応える言葉が見つからなくて」
 ゆっくりと時間を掛けて、ヴァンは一つ一つ言葉を紡いでいく。自分の中の不安、どうしたらいいか分からない疑問。全て整頓されずに、ただ口から溢れるように零れた。それをルルゥはただ聞いて、ヴァンの中で答えが出るのを待つ。
 素直なヴァンのアニスへの想いが、言葉の中に込められていた。
 これが恋でなければ、一体なんというのだろうか。
「ヴァンさ」
 言葉が途切れたところで、ルルゥが言った。
「今まで女の子たちに好きですって言われたとき、どんなだった」
 どう応えようか、なんて悩んだことなどなかった。
 好きですと言われれば、ありがとうと笑った。付き合ってくれと言われれば、付き合った。ちゃんと大事にしたし、一緒にいたいと言われればなるべく一緒にいた。でも、どれも長続きしなかった。
 好きじゃなかった。
 好きになろうと努力はした。だけど、好きになる前に、彼女たちは去っていった。
 彼女たちは待てずに、ヴァンから離れていったのだ。
「ヴァン」
 もう一度問う。
「アニスのこと、好き?」
 顔を覆ってうつむいてしまったヴァンに、少しだけ意地悪に問いかけた。
 耳が赤い。
 ヴァンは答えを返さなかったが、真っ赤な顔をしたまま、小さく、本当に小さく、恥ずかしい、と呟いた。
 青白かった顔色は、血色を取り戻し、冷たかった指は今は熱い。
「ヴァン、ナックの大切な友人を助けてくれてありがとう」
 そう言って握りしめた手を引き寄せた。
「ナックに、誰にも言わないから。代わりで悪いけど」
「別に俺何も」

 僅かに震える指先。ルルゥはその手を、強く握りしめた。



 

 

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