Close to you

 






 聞こえてしまった。

 リンクシェル名義で借りている部屋で、カラナックとアルタイル、そしてポートンが話している内容をこっそりと聞いた。階段の陰に隠れて、出て行くことも、逃げることも出来ずに一部始終を知った。彼らはヴァンが近くにいたことを知らない。予期せぬ状況で、たまたま、聞いてしまったにすぎない。隠していた彼らに非はない。
 彼らの話が終わって、話題が変わった頃にようやく凍っていた足を引きずるようにして部屋へ戻る。
 吐き気がした。
 慌てて口元を押さえ、風呂場に駆け込んで胃の内容物を全部吐き出す。後から後から込み上げてくる嘔吐感に涙がこぼれた。胃液まで吐き出して焼け付くような喉の痛みに顔を顰める。それでも気分の悪さは収まらない。
 荒い息をつきながら、そう自分自身に悪態をついてヴァンは風呂場の床に転がった。
 カラナックの台詞を口の中で反芻してみる。
「──出てこられない…」
 吐き気は最高潮に達し、ヴァンは風呂場の床に額を押しつけた。




「クラインが出てくる」

 カラナックが苛立ちを押さえられない様子で吐き捨てた。アルは怒りをあらわにし、噛みつくようにポートンに詰め寄る。
「まだ1ヶ月だろ、早すぎじゃないのか」
 テーブルに肘を突いたポートンが、ため息混じりで言った。
「彼の罪状はジュノでの暴力だけですからね」
「暴力だけとか、馬鹿な」
「言えませんよ、ヴァンにされたことを全部話させる気ですか。悪いけれど私には出来ない」
 アルが悔しそうに首を振って項垂れる。
 LS同士の諍いから発展した暴力。恒常的に暴行を受けてきた事は説明出来ても、それを証明する手段はヴァンが話すしかない。当然、話せばあの男から受けてきた性的暴行にも話は及ぶだろう。
「悔しいけれど、黙っているしかない」
 ポートンも怒っている。怒りの矛先はあの男ではなく、何も出来ない自分に対してだ。
 ようやく落ち着きを取り戻し、少しずつだが笑うようになってきたヴァンにクラインと何があったかを聞くことなど出来そうにもなかった。カラナックもクェス経由でアニスの話を聞いただけなのだ。実際受けた被害は想像を遙かに超えるだろう。
「それにしても早いんじゃないか」
「問題がある」
 アルがほぅ、とカラナックを睨み付けた。これ以上何がある、と言いたげに。
「アニスの付けた傷が、想像以上に深い」
「はっきり言え」
 黙ったポートンと、苛立つアル。
「アニスの精霊でついた火傷が、クラインの冒険者としての人生を終わらせるかもしれない」
「自業自得だろ!アニスのせいじゃない」
「そんなことは分かってる。だけど冒険者協会は過剰防衛だと判断してる」
 過剰だったのは誰もが認める。あの炎は、アニスの全てが込められた業火だった。
 計り知れない高温の炎が瞬間的にクラインの身を焼く。
 あの瞬間、無意識に炎を選んだアニス。得意とする雷ではなく、炎を選択し、手加減することなく確実に息の根を止めるために放たれた業火。殺意は否定できない。アニスも否定しなかった。
「明確な殺意があったのも心象が悪い。アニスもヴァンの事は黙ったままだからな。このままじゃ出てこられない」
「罪を全部かぶる気でいるのか」
「俺は、アニスを助けてやりたい。だけど、ヴァンの事を考えると」
 天秤に掛けても、例えそれが片側に傾いたとしても、選べない状況にカラナックは頭を抱える。
「その場の暴力を止める行為なら過剰、だが恒常的な暴力を止めるための行為ならあるいは」
「残念です、カラナック」
 カラナックの言葉を遮るポートン。これ以上聞きたくはない、と訴える目。
「例え貴方の頼みでも、反対します。ヴァンをこれ以上追い詰めないでください」
 今度はアルが考え込むようにして黙る。カラナックはポートンから目を逸らすようにして床を見つめた。
「ここ1年近い間にヴァンはどれだけ窶れて痩せたか。それに気付かなかった私にも責任がある」
「でも、言うか言わないか選択すんのはヴァンだろ」
「こんな事あの子に言えば、言いたくなくても我慢して証言するでしょうね」
 アルがちらりとカラナックを見上げた。
 ポートンのアニス嫌いは今に始まった事ではないが、そのことを抜きにしてもポートンの言うことももっともだ。カラナックは、悪かったと謝ると椅子に腰掛けた。
「悪い、ポートン。焦りすぎた」
「分かって貰えて」
 ポートンがアニスを嫌うのは、ヴァンが絡んでいるからだ。
 明言はしないが、ヴァンがNMLSに関わる事もあまりよく思っていない。けして過保護ではないが、アニスに事になると普段温厚なガルカが難色を示す。なんとなくアニスの持つヴァンへの想いを感じ取っているのだろう。
「クラインと話してくるのが先だったな」
 鼻で笑いながらカラナックが自嘲のため息をついた。座ったカラナックの代わりにポートンが席を立つ。
「ナック、郊外に住む腕のいい医者の紹介なら出来ますよ」
 提示される交換条件。カラナックの苦笑いに釣られてアルも口元が綻んだ。
「考えておく」




 

 

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