wish

 




「これはどういうことだ、フィアル」


 待ち合わせに指定された商工会議所の中には、友人が一人でいた。

 ここ最近ずっと人が減り続け、残ったLSメンバはフルアラに満たない。事態を深刻に見たアラシャは何度もミーティングを開いてきた。だが彼女の努力むなしく脱退者は増え続けた。今日は重要な全体ミーティングをするとアラシャに言われてクラインは商工会議所に来たのだ。
「クライン」
 友人が眼鏡の奥から冷めた視線を送ってきた。
「これの説明をしてくれ」
 僅かに怒気を孕んだ声。そう言ってテーブルに広げられたのは、クラインが撮った画像だった。
 中央の被写体のヒュームは脚をめいいっぱい広げられ、苦悶の表情を浮かべながら男のペニスを受け入れている。顔には殴られた痕。後ろ手に戒められた両腕が、この行為が同意の上ではないことを指し示す。
 見慣れた男だ。
 どこから流出したかなんて、一つしかあり得ない。疑う余地もない。クラインはゆっくりと視線を、自分の部屋に出入りできる数少ない友人、だった、男へと向けた。
「フィアル」
 フィアルと呼ばれた男の肩が僅かに震える。
「なぁ、もうやめてくれ」
「今更、お前だって一緒にやっただろうが」
「やめてくれ」
 お前も同罪だと言いかけた言葉は強い制止の言葉で遮られる。
 最初に、一緒にあの競売横の路地裏に小生意気なヒュームを連れ込んで強姦したのは紛れもないフィアルだ。
「あのときだけだと思ってた、一回だけだと。あれで終わったと思ってた」
「都合のいいことで」
 鼻で笑ってクラインは手近にあった椅子に腰掛けると、手を振って続きを促して見せた。
「酒も入ってたし、腹いせの悪戯のつもりだった。お前だって最初はそのつもりだっただろ」
 途中で奪われた大きな獲物、それの腹いせ。
 戦闘中のちょっとしたミスが大きく膨れあがって、どうしようもない状態までなるのにそう時間は掛からなかった。ばたばたと倒れていく仲間、必死で立て直そうと声を掛け合う。数多のLSが所謂全滅待ちの静観を決め込んでいる中で戦うのは恐ろしいプレッシャーだった。ひとつ積み木が崩れれば、崩壊は止まらない。
 悔しかった。単純に。
 プレッシャーに負けた自分たちが。僅かに崩れた積み木を、立て直すことが出来なかった自分たちが。
 そしてその矛先は、余計なことをした男に向かった。最初はそんな単純なきっかけだったのだ。
「アラシャに、言ったのか」
「違う」
 そこで言葉は止まった。なんて説明していいか分からない、そういった様子の友人。ややあってため息。
「サブリダからお前の部屋にあの子がいたと聞いた。体中痣だらけで、怯えてたと。やばいことになってると困るからそれとなく聞いてくれと言われて、お前の部屋に行ったらその画像が机の上に」
 ベッドのシーツには僅かな吐瀉物と血の痕。画像に見える両腕を縛り上げたと思われる赤いリボンが床に落ちていた。これで何もなかったと思う方がおかしい。フィアルは鮮明に焼き付いた凄惨な様子を思い出す。
「俺は黙ってるつもりだったんだ」
 愚かにも保身のために。言えば最初の事も明るみに出るだろう。
「だけどアルビオンの方からアラシャにテルが行ったみたいで、今日話し合う予定だと呼ばれてここに」
 不思議な感覚だった。LSの崩壊の危機を迎えているはずなのに、クラインにとってそれは既にどうでもいいことのように思える。それよりも今思考の大部分を占めているのは、繋ぎ止めたはずの男のこと。退路を断ち、自分の腕の中にしか動けないようにした。誰にも言えるはずがない。言えないようにしたのだから。
「あんなに甘やかしてやったのに」
「クライン?」
「あれは俺のものだ」
 まるで狂気。もう一度名を呼んだフィアルの声は届かない。
 商工会議所を飛び出したクラインを追いかけるフィアルとすれ違う黒魔と白魔の二人連れ。
「待てクライン!」




 開けた視界にはクリーム色の薄汚れた天井。
 レンタルハウスとは違う、硬くて高い壁と凛とした空気。

「気が、ついたのね」

 隣で掠れた声が聞こえ、すぐに赤い髪の毛が視界に入る。
 タルタルの、アラシャだ。
 そう気付いたら徐々に感覚が戻ってきて、ヴァンは痛む身体に思わず呻く。アラシャが驚いて汗ばんだ額を撫でてくれた。無様に殴られて気を失ったのか、と思い出し、ヴァンはアラシャに怪我がないことを確認すると、クリーム色の天井に視線を戻した。酷く気分が悪い。目の前が回る。
 小さな手が優しく頭を撫でてくれた。
「あなたに謝りたくて。クラインのこと」
 小さな手が彼女自身の目を覆う。
 上手く笑えなくて、ヴァンは目を閉じた。
 そんな話忘れてくれていい。聞かなくて良い。否、聞きたくない。
「ごめんなさい」
 聞きたいことが沢山あるのに頭が回らない。ぎゅっと胸を鷲掴みにされたような、そんな苦しさが襲ってくる。冷たい指先をアラシャがそっと握りしめてくれたが、どうしていいか分からずにヴァンはアラシャから視線をそらした。
「クラインは?」
「いいかな」
 同時にドアがノックされ、カラナックが入ってきた。すぐにアラシャはヴァンの指を離すと、カラナックに一礼して椅子から降りた。部屋を出て行く小さな背中を見送って、ヴァンは近寄ってくるカラナックを見る。
「大丈夫か、気分どうだ」
 アラシャが離した指先を、今度はカラナックが握った。
「気持ち悪い」
「吐いてもいいよ」
 大丈夫、目が回るだけだとバケツを取りに行こうとしたカラナックを引き留める。
「ねえ、俺どうしたんだっけ。喧嘩しちゃってさ、殴られたところまで覚えてるんだけど」
 掴まれた指に力が込められるのが分かる。
「相手の男は」
「喧嘩じゃないだろ、お前の頬をひっぱたいてやりたい」
 そう言うとカラナックは握った手を額に当ててうつむいてしまった。そう言われて続けることも出来ず、ヴァンはじっとされるがままに黙り込んだ。
「クェスから聞いた」
 ヴァンは気が遠くなるのを感じた。小さく漏らしたため息のような声は酷く疲れていた。
 どこまで、なんて愚かな質問は出せそうにない。
「後のことは俺達がやる、お前はゆっくり寝て全て忘れろ」
「ナック」
 カラナックはヴァンと視線を合わすことなく、ポケットから大事そうに小さなパールを取り出す。
「ナック」
 もう一度呼ぶがカラナックはそのままヴァンにパールを握らせた。
「これはルルゥから預かってきた。二度と、離すな」
「ナック、アニスは?」
 数秒間の沈黙。
「あんな馬鹿野郎なんか知らない」
 アニスとカラナックは古い友人だ。その信頼関係は二人が側にいればすぐに分かる。
「アニス、どうしたの」
「お前を殴ってた男に精霊を」
 冒険者憲章に記されている、冒険者同士による戦闘行為の禁止。攻撃的な魔法も、抜刀すら街中では許されてはいない。当然その罰則や取り締まりは厳しく、それを破ればそれ相応の罰が与えられる。
 しかも、確かにあったであろう明確な殺意。
 やはりあの鮮烈な赤はアニスの炎だったのだ。
「お前を助けようとしたと何度もクェスがかけあったがダメだった」
 冒険者同士での諍いなど絶えないが、武器を持つもの同士が喧嘩をした場合の結末など誰の目に見ても明らかだ。唯一許可されているのはバリスタなどにおける競技のみで、それらは一定のルールを守って行われる。殺し合いではない。この場合、例え人助けであろうと一方的なアニスからの攻撃にあたるのだ。
「ごめんな、知ってたら監獄送りなんかにさせなかったのに」
 嗚呼、と洩れた言葉は顔を覆った小さな手に呑み込まれる。
「ごめんなさい」

 馬鹿だ。大馬鹿だ。
 ヴァンのために怒り、その手を罪に染めて。
「いいから、大丈夫。もう、大丈夫」
 




 

 

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