Scourge

 


 こういう一見すると華やかに見える世界に身を置いていると、余計な噂が色んな所で広まっていく。

 うわさ話というのは大概なんの関係もない人が、おもしろ半分に根も葉もないような嘘を言いふらす事から始まったりする。なんてことはないただの口論でも、さも殴りあいの喧嘩のように尾ひれが付いて、やっぱりこいつは危ないやつだった、と結論付けられてしまったりもする。
 でも結局は一過性のもので、知らない振りをしていれば、本当の事でない限りはさらりと流されて終わる。
 要するに自分たちは、こういう世界にいて、他愛のないうわさ話にいちいち構っていたら身が持たないという事なのだ。そして、自分たちはそれを覚悟してこの世界に足を踏み入れ、全て承知でこの世界に今もとどまっている。
 噂なんて、ただのあることないことをおもしろおかしく書きたてたゴシップ雑誌と同じだ。
 いちいち反応していたらきりがない。


「それでも限度というものがあるだろ」
 誰に聞かせるともなく、そうヴァンは呟いた。
 丸めたタブロイド紙をガイドストーン横のゴミ箱に放り投げると、ため息をついた。捨てたタブロイド紙は、ジュノでは有名なゴシップ紙で、根も葉もないうわさ話8割、真実2割のいい加減な大衆紙だ。その割に発行部数が多く、意外と見ている人がいるのは、内容が冒険者の身近な話題で占められているからだろう。
 今週のコンクエスト、デュナミス情報、競売の相場や売れ筋商品、流行と普通のものから、読者から寄せられたパーティの失敗談や、後悔した話、迷惑な冒険者を実名で罵ったりする記事もある。たまの退屈凌ぎにはいいが、この中に自分のことが載るとなると話は別だ。
 どう見ても当事者としか思えない内容の記事。あの日の龍のねぐらで起きた一部始終が詳細に記載されていた。「横取りに報復」と見出しが出された記事の内容はねぐらでの出来事だけで、その後については禍根を残しそうだ、と締めくくられただけで何もない。少しだけほっとしてしまう。
 記事によるとあのエルヴァーンの男はクラインという名前らしい。あんな事をしておきながら、そう言えばお互い名前も知らない。向こうは知っていたのかもしれないが。
 レンタルハウスへと続く通路の階段に足をかけて、ふと部屋を出たばかりの男と目があった。
 エルヴァーン特有の端正な唇が、笑みを作るように歪んだのをヴァンは感じ足を止めた。そのまま何事もなかったように通り過ぎてしまえば、悪い夢を見たで済んだであろう事柄を、自分の手で現実にしてしまい軽い目眩と後悔を覚える。
 すぐに一歩足を踏み出せば、立ち止まった事など分からない。それなのに足は一歩も前に動かなかった。
 視線を動かない足に落とし、速くなる動悸と、じわりと滲む汗に焦りだけがつのった。
 早く通り過ぎて欲しい。
 大丈夫だ、と言い聞かせるも身体は指一本動かすことができない。それが恐怖のせいだと、知ったのは大分後になってからだった。
「なんだ、奇遇だな」
「や」
 鼻で笑いながらそう声を掛けられてヴァンは頭を上げた。唇が震えているのが自分でも分かった。
「真っ青じゃねえか。大丈夫かお前」
 差し伸べられた手に身体が先に反応した。男の伸ばした手を思い切りはねのけると、ヴァンは一歩下がった。
「ちか、よんな」
「しらねえよ、俺の進行方向にお前が居ただけだ」
 今にも膝が抜けて倒れそうなヴァンの腕を、クラインは強く掴むと自分の方へ引き寄せた。
「気持ちいいこと思い出した?」
 耳元に唇を近づけてそう囁いてやると、怯えた表情で目をぎゅっと閉じるヴァン。噛みしめた唇から色が失われていく。クラインはその顎を掴むと、人目をはばからず唇に噛みつくようなキスをした。
「んう」
 人通りが少ない夜更けとはいえ、今からパーティを組んで狩りに出かける連中もいる。ましてやここは比較的待ち合わせ場所に使われることの多いガイドストーンに近いのだ。誰が見てるとも限らない。ヴァンはクラインの腕を掴むと押しのけようと身を捩るが、背中から後頭部を押さえつける手は力強く、咥内を舐め回す舌の感触に負けてしまう。
「どうせあいつのものじゃないんだろ」
「んあ、めろ」
 押しのけようとした手を引かれて身体ごと抱き込まれた。まだ絡まった舌でうまく言葉を発声できず、舌足らずな声が喉から零れた。


 頭の奥でずっと警鐘が鳴り響いているのに思考が停止していた。

 

 

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