Scourge

 


 誰かが酷く乱暴に何かを叩く音で意識が戻った。
 最初は遠くで何かを叫んでいるような声、それがどんどん近づいて、はっきりと名前を呼ばれ、そして肩を揺すられて一気に覚醒した。
「ヴァン、おいヴァンデリング!」
 余程驚いていた顔をしていたのか、目の前にいる人物は安堵のため息を漏らすとともに小さく謝った。
「悪い、大丈夫か」
「アニス」
 そう呼んだ名前は掠れて、アニスはまた悲痛な表情をヴァンに向けた。
「水、飲むか?」
 頷くとアニスはキッチンまで水を取りに行った。
 ヴァンはその間に上半身を起こすと、少し汗ばんだ額を拭う。眠ったのは昼だったはずだ。小窓から指す日差しは眠ったときと変わらない。
「…あつ」
 荒い呼吸を整え、上着を脱ぎかけて自分がそれを羽織っているだけな事に気付く。僅かに袖をめくると、赤くはないが擦れたようなベルトの痕が手首にくっきりと残っていた。そっとため息をついて袖を戻すと服を着込む。
「ほら」
 グラスに水を注いで持ってきたアニスに礼を言って受け取った。
「鍵、あいてたぞ」
「閉め忘れた、のかな」
 喉を湿らせると、掠れた声は少しだけ戻る。
「テルも、メッセージも入れたんだが」
「ごめん、ゆっくり寝たくて端末オフにしてたかも。酔っぱらってたから」
 口から流れるように嘘が出てくる。横目に端末を見ると、確かにメッセージの着信を知らす淡い光が点っていた。アニスが視線を床に向けてため息をつく。
「二日酔いには見えないが」
「今日、何日」
 アニスが答えた日付は、例の真龍戦をやってから三日たっていた。二日近く寝ていた計算になる。
「あの日俺と別れた後、お前が誰かに支えられてレンタルハウスへ行ったと」
「誰から聞いたの」
「お前んとこのナック」
 ヴァンは思わずため息をついた。
 カラナックとはメインのLSが一緒で、長いつきあいがある。彼もまた、別の古参HNMLSに所属しており、昔はよく競い合った。しかし最近はずっとアルタユ方面で活動していて、地上や空には滅多に顔を出さない。
「さすがに耳早くてな、ねぐらで何があったか全部知ってた。お前を見かけてどういうことだとテルがきた」
「競売で友人と会って飲み直しただけだよ」
 誤魔化しようのない事実に言葉を選んでいると、アニスに睨まれた。
「俺と別れて15分程で前後不覚の酔っぱらいか」
 15分程度の事だったのか、と逆に驚いた。あの早漏め、と喉まで出かかった言葉を慌てて飲み込む。
「あのな、ヴァン」
 アニスが何度目かの深いため息をついた。
「俺はお前がまた殴られでもしたんじゃないかと」
「違うよ」
 じっと目を見つめてくるのは嘘をついていないか探っているからだ。アニスの伸ばされた指は、ゆっくりと頬をなぞり、顎を掴むと視線をそらそうとするヴァンの顔を自分に向けさせる。視線が眼から頬、首筋、鎖骨へと降りていくのが分かった。
「…そうか」
 アニスは距離をとって腕を組んだ。見下ろす視線はまだ険しい。
「今晩あたりから、亀が産卵しに来る。調子悪ければ来なくてもいい」
「いや、行く」
 頷くと、アニスは背を向けた。邪魔したな、と小さく言ってから、部屋を出る間際に一言。
「付き合う友人は選べよ」
 思わず頭を抱えた。
 アニスは、何処まで見て、何処まで知っているのか。ちゃんと話すべきだったのかと、一瞬思いはしたが、なんて話せばいいのか考えてやめた。耳に届く、ドアの閉まる無機質な音。
 後に残ったのは静寂。


 

 

Next