Scourge

 


 ささやかな祝勝会が終わる頃には、既に日付は変わろうとしていた。
 冒険者のグループとしては比較的平均年齢が高く、男所帯の自分たちは、どれだけ飲んでも顔色ひとつ変えないような連中ばかりだ。発足メンバーではあるが、発足当時まだ10代だったヴァンは、最古参メンバーの中で一番若い。
「俺は今回寝泊まり四日ですんだな」
「三日以上風呂入ってないとか防御1くらい上がった気になる」
「きたねぇな」
 数人が釣られたように鎧から剥き出しの手を鼻に当ててつい臭いを嗅いだ。
「疲れてるとは思うが、武具の手入れは怠るなよ。次いつ招集掛かっても大丈夫なように頼む」
 LSリーダーのアニスがそう言う。これが毎回の祝勝会終了の言葉だった。
 各自ジュノでレンタルハウスを借りるもの、デジョンで自国に帰るもの、それぞれが挨拶を交わし下層で別れていく。次ぎに逢うのは、悪名高きモンスターがどこかで見つかったときだ。それがいつか、なんてのは天気予報みたいなもので、確実な時期なんて誰にも分からない。
 なんとなく、最後まで残ったヴァンは、同様に最後まで残ったアニスに小さく言った。
「ごめん」
「取った取られたは何度も経験してんだろ」
 黒を基調としたスロップスに手を突っ込んで、アニスは苦笑いでヴァンを見下ろした。
「でも、あれだけ罵られたの初めて」
「殴られたのもな」
 ああ、そうか。
 アニスに言われてヴァンは初めて、殴られたことが響いているのだと気付いた。
「帰って風呂入って寝ろ。明日にゃ忘れてるさ」
「そうする、またね」
 肩をすくめると、鎧が乾いた金属音を立てた。さっきまで感覚の無かった身体が、急に熱を帯びて現実に返ってくる。
 アニスはたばこを取り出すと火を付けた。
「俺ぁ、もうちょい涼んでから帰る」
「おやすみ」
 アニスに手を振って、背中を向けた。帰りがけに購入した蒸留水に口を付けながらゆっくりとした足取りでレンタルハウスに向かう。
 真夜中だというのに下層は賑やかだ。
 だから不意に肩を掴まれて小さな路地に引きずり込まれても、知り合いだとばかり思って何一つ警戒していなかったのだ。
「なんだよ」
 親しげな調子で、そう言ってから後悔した。
 背中を壁に押しつけられて見上げた先にいた顔は、知り合いでもなんでもなかった。そして、口を開こうとした瞬間に、拳が、鈍い音を立てて鎧の部位としては比較的柔らかな腹にめり込んだ。言いかけた言葉は、無様なうめき声となって唇から零れる。
「ビンゴ、コイツだ」
 背中が壁を伝って落ちていく。頭上から投げかけられた言葉は、知り合いのものではない。
 疲れと、酒と、不意をつかれた事で正常な判断が出来ない。殴り返すことも出来ないまま、しゃがみ込んだ姿勢で目の前の男を見上げた。早く立ち上がらなければ、次は蹴られる。腕に力を入れて腰を浮かしたところで腕を掴まれた。
「オレが見間違うはずないし」
「昼間はどーも」
 言われて初めて、目の前にいる男たちが昼間、ねぐらで取り合ったライバルLSのメンバーだという事に気付いた。
 二人。
 一人はあの殴りかかってきた男だ。エルヴァーンの暗黒騎士。
 もう一人は覚えていない。ナイトだったか、詩人だったか。とにかくこちらもエルヴァーン。二人とも既に鎧は脱ぎ、私服だったため、言われなければ気づかなかっただろう。暗黒騎士じゃない方は片手に酒瓶を握り、やたら酒臭い。
「なにか、用?」
 既に一発殴られて用件も何もないのだが、じろじろと値踏みされるような視線が気持ち悪い。
「別に。たまたまお前が通ったからもう一発くらいぶん殴って」
「そう、じゃあこれで」
 言葉を途中で遮ると、もう用は済んだよな、と落ちた帽子を拾い上げた。軽く汚れを払うと男を見上げる。
 腹の虫が治まらない、というのはよくある話。たまたまそこに通りがかれば、酒の魔力も借りてカッとなることもあるだろう。別れの言葉を短く言って背を向けると、今度は首根っこを掴まれて地面に引き倒された。倒れた衝撃で息が詰まる。
「なにすっ」
 暗黒騎士に両腕を地面に押しつけられ、前に回った男が両脚の間に身体を押し込んでくる。
「話は最後まで聞いた方が」
 そう言って酒をあおると、残った分を無理矢理口に含まされた。喉を焼くような強い酒に思わず咳き込む。
「おとなしくしてろよ」
「なに、を」
 殴られる、と思って身体を構えたが、男の手は腰を掴む。
 手早くズボンを膝まで下ろされて、ようやく自分が置かれた状況を理解した。
「ちょ、やめろ俺おとこ」
「みりゃわかる、黙ってろ」
 身を捩って逃れようとすると、大きな手が口を覆い、そのまま思いっきり押さえつけられた。後頭部が地面に勢いよく押しつけられ目の前が一瞬白く滲む。一瞬目の前がふわりと浮いて、そして急速に周囲の音が遠のいていく感覚。
 僅かに霞んだ視界に見覚えのある小瓶が見える。男は器用に片手であけると、どろりとした液体を手にのせ、軽く尻を撫でた。その行為が場所を確認している、と気付くと同時に、指が、太い指が身体を、こじ開けた。
 突き刺すような痛みに、全身が一瞬で硬直し、全ての感覚が一気に現実に戻される。額に嫌な汗が浮かんだ。
 目の前が滲んだのは涙のせいか。
「ン、うー」
 抵抗、というより痛みに身じろいだ。こみ上げる不快感に顔を顰めると口を覆っていた手が離された。
「ア」
 太ももを掴まれて、腰を上げられて、自分の膝が眼前にあって、やめて、という暇もなく何かが、身体に侵入してくる。
 痛みに目を見開いた。痛いのに声すら出ない。モンスターに攻撃されて傷つく痛みとは比にならなかった。
 さっきまでしっかり掴まれてた腕は離されていて、無我夢中で男の腕を掴む。
「この縋り付いてくる感じがたまらんね」
 痛い、痛い。やめて、痛い。そう、叫びたいのに食いしばった歯が邪魔をして何一つ苦痛を和らげるための言葉は出てこない。
 次から次と溢れてくる涙が頬を伝った。無遠慮に突き動かされる痛みに、いつしか手は男の背中に回され、爪を立てるようにしがみついた。
「…っや、ァ」
 いつ終わるともしれない苦痛。まともな呼吸さえ叶わない。
 何かの糸が切れるかのように、突然としがみついていた腕が地面にぱたりと落ちた。
「おい?」
 男はさすがにおかしいと思ったのか、ぐったりとしたヴァンの顔をのぞき込む。
 正気を手放したのか、僅かに紫がかる闇の宝珠みたいな瞳は焦点を失い虚ろに揺らいだ。
「力抜けていいんじゃない」
 ヴァンの頭の上で、見ていた暗黒騎士がそう言った。
「この状況でまだ続けるのかよ」
 苦笑いした男は少しだけヴァンの身体から身を起こすと暗黒騎士を見上げる。
「怖じ気づいた?」
「いや、違うけど。さすがにちょっと可哀想かな、とか」
 そこまで言った男を暗黒騎士は鼻で笑うと、転がった酒瓶を取り上げて口に含む。
「今更何を」
 男は肩をすくめてみせると、もう一度腰骨を掴み、自分に引き寄せた。ヴァンの色を失った指先がぴくりと動いて、喉の奥から絞り出されるようなうめき声が洩れる。瞳孔が色を取り戻し、身体が捩られる。その瞬間を待ちかまえたように、暗黒騎士がヴァンの両腕を押さえ込んだ。
「…う、やだ、も、やめて」
「もうちょっと我慢して、ね」
 泣きながら懇願するヴァンの涙を指で拭うと男は深く腰を突き出した。

 

 

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