Chemical Reaction

 



 その日から、リンクシェルで毎日のようにケイさんを呼ぶグラールの声が聞こえるようになった。
 昔付き合っていた、と思われる頃は、どちらかというとケイさんがグラールを追いかけていた。今は逆で、グラールがケイさんを捕まえているみたいだ。
 ケイさん自身がどう思っているか分からないけれど、俺は手放しでグラールの戻りを喜べる気持ちには到底慣れなかった。それは俺の醜い嫉妬も大部分に含まれているのだけど、それだけではない。
 ケイさんは脅えている。
 グラールがまた、ケイさんを置いてどこかへ行ってしまうのではないかと畏れている。それが痛いほど分かって、俺がつらい。グラールは悪いやつではない。だけど、俺はグラールを許せそうにない。
 そんなもやもやした日常の中で、久しぶりに俺はケイさんに会った。
 あの時と同じジュノ上層で、あの時と同じ場所だった。ケイさんは相変わらず海とも空とも取れる場所を見ている。グラールが戻って来てから、ケイさんは殆どグラールと一緒にいたから、こうやって会う機会なんかなかった。
「ケイさん」
 呼びかけると、ケイさんはやっぱり暫くしてから俺を見た。
 少しだけ困ったように微笑んで、ケイさんは色々なことを誤魔化すかのように俯いてしまう。
「まだ、眠れないんだ?」
 そっと伸ばした手を、今度こそケイさんの頬に添えた。
 ケイさんの表情が、疑惑から確信に変わる瞬間。
 唇を寄せると、はじめてケイさんは俺の手を掴んで一歩退いた。
「まいった」
 手を掴んだまま、ケイさんは俺をみてため息をついた。
「ノーマルだと思ってたぜ」
「いや、最近気付いたよ」
 少しだけ思案した表情。ケイさんの年齢の割に幼い顔がやや翳った。
「俺、こんなふうに、して」
 泣きそうなケイさんの雰囲気に俺も泣きそうになった。どうしてこの人は、どうしてこんなにもグラールの事を思うのか。ねえ、ケイさん。俺じゃあダメですか。そう、思ったら、つい俺は口に出していた。
「俺じゃあだめ?」
 瞳が、泳いだ。
 今、この人は迷った。あからさまに迷ったケイさん。
 勇気を出してもう一度唇を寄せてみる。
「ここじゃ、だめだ」
 ここ、じゃあ。
 じゃあ、何処ならいいのケイさん。
「じゃあ、俺の部屋で」
 些か乱暴にケイさんの手をとって握った。それは逃げられないようにと思ったのかもしれないし、気が変わらないうちに、と気が急いたのかもしれない。どちらにしろ、いつも早くしろと言われている鈍くさい俺からは想像も付かない行動だったのだろう。ケイさんは流されるように俺についてくる。
 お互い無言で、上層のバタリアにほど近いブリッジから中央の居住区まで歩いてきた。ケイさんの迷いは繋いだ手のひらから伝わってきたけれど、ここで一度は握ったこの手を離すほど、俺はお人好しじゃなかった。
 部屋に連れ込んで、キスしようとケイさんの肩を掴んだ。
「お前、どっち」
 見上げたケイさんの目は真剣だった。
「どっちって」
「上か、下か」
 上か、下。
 その言葉を理解するには、俺は知識がなさ過ぎた。一瞬考えた俺に、ケイさんはため息をつく。
「どっちが女役やるんだ」
「あぁ」
 思わず声に出して納得した。
 俺はナチュラルに、ケイさんに突っ込む気でいた。というより、ケイさんに突っ込まれるとか、考えたこともなかったというか、ケイさんはそっちなんだと思い込んでいたというか。
「ケイさんは、どっちがいいの」
「俺は、」
 ケイさんはそこで言葉をとめて、そして俯くと急に笑い出す。
「いいよ、お前男相手すんの初めてだろ」
 何がいいんだ。
「ちょっとシャワー借りるぞ」
 さっきより随分と吹っ切れたような、そんな笑顔すら浮かべてケイさんは勝手にタオルを持ってシャワールームへと行ってしまった。残された俺は、まるで初めて女の子とその手の宿に入ったときのように、自室にいながらも居たたまれない気分でケイさんの長いシャワーの音を聞いていた。
 こういう、ことになるなんて正直思ってもみなかった。
 ねえ、ケイさん。嫌だったら嫌って、ちゃんと断って。
 

 

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