Chemical Reaction

 



「ケイさん、何してるの」

 ジュノ上層。海の見える架け橋の上で、呆然とたたずむヒュームの赤魔道士に声をかけた。
 彼は羽帽子を風に飛ばされないように小脇に抱え、海を見ているのか、それとも空を見ているのか分からないどこかただ一点を見つめているように見えた。
 ケイ、さん。
 可愛い顔をしているけれど、随分と男前な人で、俺の憧れの人。
「ああ、ごめん」
 呼びかけてからだいぶたってから、ケイさんはようやく目の前に立つ俺に気付いた。少しだけ残念そうな笑顔が俺に向けられる。心が鈍い痛みを伝えてきた。
 彼は、ケイさんは、つい最近、といっても既に四ヶ月も前のことだけれど、グラールというエルヴァーンと付き合っていた。先に言っておくけれど、グラールもケイさんもどちらも男。
 ケイさんはゲイだ。
 好きです、と言った女性メンバに対し、リンクシェルにてあっさりと女性に興味がないとカミングアウトしたイケメンヒュームは、何故か同じリンクシェルにいた気まぐれなコルセアエルヴァーンに惚れた。そのコルセアが、グラール。
 二人は付き合った、ように見えた、けれど、グラールはけして男に興味のあるタイプではなかったし、当たり前だけれど女性と付き合うかのようにケイさんを大事にしなかった。それは端から見てもケイさんの一方的な恋愛、どちらかというと片思いだったと思う。
 分かっていた事だけれど二人は長続きしなかった。
 グラールは酷い男ではなかったけれど、ごく一般的な思考の持ち主だった。当然同性よりも、女性を好んだ。だから突然飽きた、と言い残して姿を消したときも誰も彼を責めることは出来なかったし、ケイさんも納得しているように見えた。
 表面上は、だ。
 これが四ヶ月前の話。
 でも、やっぱりケイさんはショックだった。元気だったケイさんが、ふさぎ込むようになって数週間。久しぶりに見たケイさんは随分やつれてしまっていた。リンクシェルのイベントにも顔を出さなくなって、彼はもっぱら自宅に引きこもりがちになってしまってた。
 ケイさんは、凄くグラールの事が好きだったんだ、なんてやっと気がついた俺は、同時にケイさんのことが好きだったのだと気付いた。今でもケイさんはきっとグラールの事を思ってる。そこに俺のつけいる隙なんかない。
「ごめんな」
 僅かに出来てしまった沈黙の時間を埋めるようにケイさんは謝った。
「最近眠れなくてさ、処方された薬を飲むとぼうっとするんだ」
 処方された、と強調したケイさん。
 かっこわるいから、みんなには内緒にしておいてくれ、と言われて断れるはずがなかった。
 だけど、この一抹の不安。ケイさんはその薬を随分前から飲んでいるに違いない。きっとリンクシェルに顔を出さなくなった頃から。
 この人は自分を置いて消えた男のことを思って、今も泣くんだろうか。
 一度も俺たちの前では涙を見せなかったケイさん。強い人なのか、それとも弱い人なのか、分からないままその頬に触れようと手を伸ばしたところで、突然リンクシェルから懐かしくも、聞きたくなかった声が聞こえた。
「ただいま」
 グラール。
 ケイさんの顔が一瞬強張った。
 沈黙が訪れたリンクシェルに、グラールは不機嫌な声を上げる。
「なんだよ、久しぶりに戻ったのに歓迎されてない雰囲気だな」
「あんた、ケイがどれだけ」
 リンクシェルメンバの咎めるような発言に、ケイさんがやめてくれと小さく呟いた。その声がリンクシェルにも届いたのだろう、グラールの声。
「ケイ?いるのか、ケイ」
 呼ばれてケイさんは僅かに躊躇ってから、残念だけどまだいるよ、と憎まれ口を叩いた。リンクシェルの微妙な空気など全く気にしない様子で、グラールはケイさんを自分のいる白門に呼びつける。抗議しようと口を開きかけた俺を、やんわりと制止してケイさんは無理に笑った。
「じゃ、俺いくわ」
 昔みたいにひらひらと手を振ってケイさんは歩き出す。
 その背中を見送って、俺はこの人がどれだけグラールを好きだったかを今更理解した。
 

 

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