Paint me Blood/Onslaught

 



 呼ばれた花鳥風月とは、一部の間で人気がある所謂ノートリアスモンスター狩りの俗称だ。
 極めて稀なノートリアスモンスターの出現情報を金で買うことで、長時間の張り込みを必要としないインスタントなお手軽ハンティング、とは誰の弁だったか。こういった事に敏感で、よく言えば新しもの好きで挑戦的なうちのリンクシェルメンバーはあっという間にいくつかのノートリアスモンスターの目撃情報を集めてきた。
 一度やり始めるとなかなかやめられない、そんなドラッグ的な楽しさがあるのも分かる。けれど特に毎日の予定のない俺なんかは格好の的らしく、毎回ワジャームだのマムークだのと駆り出されるのだ。特に予定はないので、なんの問題もないのだが。
「カデンツァ、今日イリズイマだからワジャームな」
 そうリンクシェルで声を掛けられて曖昧に返事した。何度もやっている相手なのもあって、参加者の声に緊張はない。イリズイマはワジャーム樹林に生息するマーリドの突然変異体だ。西方の伝承に登場する怪物によく似ているためそう呼ばれるが、なんてことはない、ただのでかくてタフなマーリドだ。
 漠然と、マーリドのハツはとろけるようで美味しかった、と思い出した。慌てて首を横に振る。
 以前思い立ったようになんとなく食べてみたくなって、無謀だと思いつつも一人でマーリドに挑んだ事を思い出した。マーリドは思っていたよりずっと巨大でタフで、その身体に寄生するチゴーにも随分と邪魔をされた。結局ワジャーム中を走り回ってようやく仕留めたのだ。人気のない奥まったワジャームの一角で、地に伏したマーリドの、かたい皮を爪で切り裂いて、引き締まった肉の中から未だ脈打つ心臓を取り出して両手で口に押し当てた。
 甘くて、濃厚で。鼻孔を刺激する血の香りに我を忘れかけたのを覚えている。
 思い出した味に唾液がじわりと滲みだした。飢えと空腹は違うのに、結局のところ摂取する場所は同じなのだな、とどうでもいいことで感心してしまう。食べるのは俺で、食べたものはやっぱり食道を通って胃におさまるしかないのだ。
 莫迦なことを考えている間に殆どのメンバが準備を終えてワジャームに集合し始めた。慌ててワジャームに飛び出して、慣れた道のりを急ぎ足で向かう。

 ワジャームは樹林という割にはあけた場所が多く、林道はしっかりと踏み固められ獣道と行った様子ではない。話によるとまだマムージャ蕃国との間に防衛線が築かれていた頃、各地の監視塔と皇国軍の巡視隊によって今以上に安全だったのだという。今ではマムージャ軍が至る所で見かけられたり、トロルの歩哨が監視塔を占領し逆にこちらが監視されている有様だ。
 見上げると木々の間から澄んだ青空が見える。陽が沈み掛かれば、この樹林は夕日に照らされて真っ赤に萌ゆる。いつかみたそれは、まるで皇都を焼き尽くす炎にも見えて、この国の未来を暗示しているかのようだった。
 集合場所には既に大半のメンバが揃っており、こちらが挨拶をする前にルリリが俺に気付いて手を振った。小さな彼女がメンバの足下を潜り抜けて俺の方へとやってくる。
「カデンツァ、あなた顔色悪いわ」
 帰って来てからずっとよ、と彼女は俺を咎めるように言った。どう答えようか困って、曖昧な笑みを返したら、ルリリは小さなため息をついてお手上げだ、と大きな頭を横に振って見せた。
「まあ、あなたは青魔道士ですものね、それが普通なのかしら。監視哨のいけ好かない不滅隊もみんな顔色悪いし」
 いけ好かない監視哨の不滅隊、に思わず苦笑いした。確かに彼らの顔色は悪い、何となくアズーフに居る一際顔色の悪い彼女を思い出す。
 同じ血の色、同じ、心の色。
 不浄な蒼く、汚れた器。彼女が俺に言った言葉だ。
 彼女の同じものを見る目、そして同じものを嫌う目。あの頃はその意味が分からなかった。だけど今なら分かる。彼女が俺を見て、青の魔物、と悲しそうな目をしたことも。
「なによ、ひとりでニタニタとして気持ち悪い」
 脹ら脛の鎧を小さな手で叩かれて、自分が笑っていたことを知った。
「俺、ニタニタしてた?」
「そうよ、笑うならもっと爽やかに笑いなさいよね、ツェラ様を見習ったらどう」
 思わず吹き出した。ツェラシェルのどこが爽やかだよ、と。だけど彼女には爽やかに見えるのだろう。これが恋は盲目だというものなのだろうか。思い出したツェラシェルの表情は冷たくて、酷く澱んでいた。あのジャグナーで、俺を見下ろした深く、憎悪の色すら浮かべた、あの瞳。本当に、腕を落とされると、思った。
「なによ、なにが可笑しいのカデンツァ」
 元からふっくらとした頬をさらにふくらませて、ルリリは俺の足を何度も叩く。小さいとはいえタルタルの力は侮れない。短い腕を振り回して憤慨するルリリにずるずると押されて、一歩、後退した俺の足は柔らかい何かを踏んだ。
 瞬間、俺の視界は一面の青。
「おおい、カデンツァ」
 雑談をしていたメンバが一斉に振り向いた。
 転んだのだ、と気付くのにかかった時間は一瞬。雨によって出来た水溜まりは最早小さな池といっても差し支えないだろう。俺はそこに尻餅をついた形で転んだのだ。足下には両手で持てるほど大きなリーチが俺に踏まれて形を変えている。その様子がやけにおかしくて。ずぶ濡れの自分がおかしくて。
「はっ、あはは」
 思わず声を上げて笑った。顔に飛んだ水しぶきを拭うと、目の前で大きく口をあけてルリリがおろおろと手を差し出した。
「やだ、わたし。ごめんなさいカデンツァ」
 彼女の差し出した手を握って、当たり前のように体重をかけると彼女は引きずられるように俺の前に突っ伏した。小さなタルタルの力で、ヒュームの平均的サイズの俺を起こせるわけがないのだ。
「ちょっと、カデンツァ!」
 池の浅いところでお互いずぶ濡れになって、ルリリは酷く怒ったけれど、俺は可笑しかった。なにが可笑しかったかなんて分からないけれど、ただ、本当に可笑しかったのだ。
 水面に浮いたシャポーを掴むと、軽く水を払ってルリリの頭にかぶせる。
「ごめんね」
 そう言ってもう一度笑った俺に、ルリリは真っ赤にした頬をふくらませてシャポーを深くかぶりなおした。



 

 

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