Ordinary days/Onslaught

 




 白銀貨を手渡して、大きなため息とともに飛ばされたジュノ、ル・ルデの庭。
 ジュノ公国の中心にして、巨大な空中庭園は、冒険者の活動拠点がアトルガン皇国へと移った今も十分に機能していた。俺自身はあまり来ることはないが、冒険者の姿は多い。同様に飛ばして貰った冒険者が、競売やレンタルハウスの方向へ走り出していくのを見ながら空の青さに立ち尽くす。
 相変わらずの日差しと、近い空。
 澄んだ青色に塗られた一面の空は、高いようで低い。俺は空が苦手だった。小さな窓から毎日見ていた、ただ青い空は、あんなにも遠かったのに。今は手が届きそうなほどに近い。
 押しつぶされそうで、怖い。
 ゆっくりと着地地点となる場所を離れ、木陰になったベンチへと向かうも一面の青が歪んで、空が回り出す。気分の悪さに思わず口元を覆うも、何も食べていない胃は吐くことすら拒んだ。
 いつもなら苦手だ、で済むル・ルデの庭が、今は凶器だと思う。
 生憎といつもなら持ち歩いているクロークも今は手元にない。レンタルハウスまで歩こうにも、ベンチにすら辿り着けない有様だ。ル・ルデの美しい石壁に手をかけてしゃがみ込み、とにかく落ち着くまで呼吸を整える。
 こんな事になるのは二度目だった。
 一度目は、リンクシェルのイベントでトゥー・リアと呼ばれる空中都市に行ったときだ。あの時もこうやって気分が悪くなって、ル・アビタウ神殿の入り口で横になって休んだ。
 その時も、空は雲一つない、塗りつぶしたような青だった。
 隣にはツェラシェルが居て、近くの小川、空中都市に小川があること自体が奇妙だけれども───から汲んだ水で俺を冷やしてくれたことを思い出す。ツェラシェルは心配そうに俺を覗き込んでた気がするけれど、俺はツェラシェルのかたい太ももに頭を預けてぼうっとしていたように思う。日除けのクロークを持ち歩くようになったのはそれからだった。
 思い出したら何故か笑いが込み上げてきて、俺はどうにか身体を引きずって木陰のベンチに腰を下ろした。
 青が苦手だとか、空が苦手とか、そういうものじゃあないのだろう。言葉で表すなら、空に酔う。
 青魔道士自体が湿った薄暗い沼に生息してそうなイメージがあるのも相まって、結局の所お天道様の真下を歩くことを許されていないだけなのではないのかとさえ思う。馬鹿げていると思うけれど、あながち間違ってもいないのではないかと思ってしまうあたり、どうかしてる。
 ベンチが木陰でよかった。
 他人の目を気にせず、ベンチに上半身を倒すと、葉の間から差し込む日の光が揺れた。目を閉じると、閉じた瞼の前で光が風に揺らいでいるのが分かる。心地よさに思わず欠伸が一つ。
「何をやってるんだ」
 光が遮られて、うっすらと目を開けると、怒ったような、それでいて酷く心配したとでも言うような表情のレヴィオが俺を見下ろしていた。
「空に酔った」
 怪訝な顔をして、それからすぐに頭を抱えて大げさに溜息をついてみせるレヴィオ。意外と大振りなリアクションは昔から変わらない。大きな手が顔に降りてきて、俺の額に被せられた。
「顔色よかったと思ったのにな」
「いや、本当に空に酔っただけだって」
「わけ分からないこと言ってないで頭貸せ」
 そう言うとレヴィオは隣に腰掛けて、俺の頭を引き寄せるとそのかたくて、高い太ももの上に乗せた。シーフらしい身軽な格好をしているレヴィオだけれど、その服の下にあるのはエルヴァーンらしくしっかりと鍛えられた筋肉だ。思った以上に乗せ心地の悪い太ももに、思わず文句が口をついてでる。
「かたいし高い」
「贅沢言うな、落ち着くまで目閉じてろ」
 よほど調子が悪いと思われたのか、レヴィオは有無を言わさない口調で俺の頭を自分の太ももへと押しつけた。前髪をかき分けて額をなぞっていく指先。これは唯一俺に触れながらも、触れる以上のことをしない長い骨張ったエルヴァーンの指だ。俺を掻き乱し、惑わせる指だ。
「ほんと、平気」
「ウソくせえ。飯なんていつでもいいから、まずは調子整えろ」
 違うんだ、本当に。それに、もう心配して貰わなくても、俺にもレヴィオにも、もう、足枷はないんだ。たとえ本当に俺が死んだとしても、レヴィオが罪をかぶることなんてもうないのだから。
「自由だ」


 

 

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