Elysion/Onslaught

 



 いい。いらない。大丈夫。
 それが、口癖───


 風邪をひいた。
 乾いた咳が、喉から溢れるように出てくる。
 さすがに苦しくて、薄いシーツを首元までかぶって寝台の上で丸まった。与えられた朽ちかけた粗末な寝台と薄手のシーツは、俺の唯一安らげる場所だ。
 けれど、寒い。
 俺の部屋は元々物置で、外から鍵は掛かるが内側から鍵は掛からない。すきま風が吹き付けて、冬の室温は外と何ら変わらないのだ。
 あまり風邪はひかない方だったけれど、ここ数年で驚くほど体力は衰え、免疫力の低下を痛感する。少し考えれば、不特定多数の人間との性行為、これだけで目の前が真っ暗だ。
 大聖堂に来るまで、同性はおろか、異性とも性行為の経験はなかった。知識として、どのような行為か程度はあったけれど、俺は知らなさすぎた。それは俺にあらゆる行為を施した連中も同じだったのだろう。衛生面においてお互い身を以て経験したことも多い。
 お陰で俺は、比較的自由に風呂だのシャワーだのを使わせて貰える権利を得たが、それと同時に強制的に排泄行為を強要される事も少なくはなかった。その状況に見かねたレヴィオが部屋でしてくれるようになったが、見物人が複数人から一人になっただけで、実際されている事に変わりはない。
 せめて、身体の内側も外側も綺麗にしておくようにと、心がけた俺は間違ってない。

 羞恥心は時間と共に根こそぎ抉られ捨てられていく。

 咳が止まらない。
 そろそろ聖堂を閉めて掃除をしなければならないのに、身体が動かない。短く繰り返される息が熱いから、多分熱もあるのだろう。
 昨日からだ、喉が痛むのは。だけれど、その程度の不調で呼び出しに応じない、という選択肢は俺にはなかった。複数を相手に、体調の不調も重なったのか、行為中に三度、気を失った。そのたびに冷たい水を掛けられて呼び戻される意識。間違いなく悪化の原因はこれだ。
 ごほごほと喉を鳴らしていると、外側の閂が抜かれた音がして、ノックもなしにレヴィオが入ってくる。
 薄いシーツにくるまって咳き込んだら、盛大にため息をつかれた。
「悪化したのか、昨日から喉の調子悪そうだったから気にはしていたんだが」
 飯も食ってなかったし、と付け加えられたが、飯が食えないのは体調とは別の理由だ。散々口で咥えさせられると、口の中に何かを入れるのが嫌になる。お陰で、酷い行為の翌日は腹が減っていてもものを口に運ぶことが出来ない。こんなことを説明するのも、食べられない、食べないの訂正するのも面倒だ。
 咳が止まらず返事できずにいると、レヴィオはもう一度ため息をついた。
「ここ、寒すぎるんだ」
 そんなこと、言われても。
「俺の部屋に来い」
「やだよ」
「ここじゃ治るものも治らない」
 反論しようと息を吸い込んだら大きく咳き込んでしまった。慌てた様子でレヴィオが俺の背中をさする。
「熱いな、お前」
「いい、大丈夫。寝ていれば治る」
 いい。いらない。大丈夫。
 いつの間にかついた癖。口癖。
「よくないだろう、とにかくそんな薄いシーツ1枚で」
「今までずっとこれ」
 言葉を言い終わらないうちに咳が言葉も、呼吸も遮る。
 苦しさに涙がこぼれた。
「エヴラール様やマルテュー様から贈り物がきていただろう」
「俺は娼婦じゃない」
 非公式に大聖堂を尋ねてきては、俺を組み敷く───権力と、それ相応の地位を持った人たちは、何故かその後、俺宛てに色々なものを送りつけてきた。それはまるで、お気に入りに娼婦に己の所有物だとでも言っているかのようで吐き気がした。
 大量のライラック、シルクのクローク、ウィンダスの毛織物、バストゥークの装飾品。
 どれも、俺にとっては必要のないものだというのに。
 本当に欲しいものなんか、誰もくれやしないのに。
 咳の苦しさと、惨めな自分が悔しくて、涙を見られないように顔を両手で覆う。
「悪かった」
 レヴィオが頭を優しく撫でた。
「だから、頼む。風邪が治るまで、俺の」
「カデンツァ、アビオレージェ様がお呼び、と。なんだ、レヴィオ。此処にいたのか」
 若い修道士の一人が、レヴィオの言葉を遮るように俺を呼びに来た。俺は背中を丸め、泣いていたことを悟られないように咳を押し殺す。
「んじゃあ、あとは任せた。ちゃんと連れて来いよ」
 軽く手を振って彼は部屋を後にする。
 耳に届くレヴィオのため息。
「断ってくる」
「いい、行く」
 嗄れた声がやけに響く。
「いい、ってお前」
 大丈夫。アビオレージェ様なら酷い事はしない。乱暴はしない。
 咳き込みながらゆっくりと、寝台から地面に足をつけたところでレヴィオに支えられた。倒れてしまうような眩暈などはなかったが、その手を払いのける元気もなかった。
 一度立ってしまえば、普通だ。
「終わったら、俺を呼べ。迎えに行く」
 心配しなくても大丈夫。きっと俺はまた気を失ってしまうから、貧乏くじを引いたお前が呼ばれるだろう。使い終わった、必要のないゴミを、引き取ってくれと言われるだろう。
 なあ、レヴィオ。
 どうしてお前は何も言わずに、こんな俺の後始末をしてくれるのか。
 性欲処理の玩具にされている俺を、可哀想だと思ってくれるのか。
「大丈夫、行ってくる」
 この苦しさはなんだ。この感情は何だ。

 苦しいのは咳のせい。
 この不安定な感情は風邪で弱ってるせいだ。
 


 

 

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