Departures/Onslaught

 




 過去長らく、俺の身体はただの道具だった。相手の都合で使用されて、終われば掃除されて片付けられる道具。性処理用の動くラブドールだった。
 普通なら当たり前に感じるはずの快楽という存在を俺は知らなかった。性行為の全ては挿入に始まり、相手が射精すれば出て行く。その間、ただ身体をこじ開けられる痛みと、突き上げられる苦しさに耐えていればそれで良かった。彼らはそれ以上の事を俺に要求することはなかったからだ。時折、こう言え、と卑猥な台詞を要求されたり、自ら乗り上げて腰を振るようにと命令されたりしたものの、それらは全て彼らが満足するための付加効果に過ぎない。そこには俺である必要性や、俺が快楽を得る必要性は皆無だった。
 もう誰だったか忘れてしまったが、何度も俺を気持ちよくさせようと色々としてくれた人もいた。だけど、結局その時俺はそれに応えることは出来なかった。なんとなく気遣って気持ちいいよ、と嘘をついたとき、それが嘘だと分かったのか俯いて少しだけ哀しそうな顔をしていた気がする。
 つまるところ、俺にとっての性行為というものは道具で在り続ける事でしかなく、淡々と、出来ればさっさと済ませて欲しいものだった。それは今でも変わらない。
 じゃあ今、それを克服できたのか、というと残念ながらそうではない。
 そのことに気がついたのは、青魔道士になって大分だった頃だった。不相応に魔を喰らい、力を我がモノにしてきた中、初めて襲ってきた強烈な飢えに堪えきれず、とうとう思うがままに目の前の殺したばかりの獲物を無我夢中で喰らったときだった。
 甘美な感覚と一緒に込み上げる、異形のモノに喰らいついた自分に対する不快感とあり得ないモノを喰らってしまった事による吐き気。気がつけば湿った土に這いつくばり、夢でも見ているかのように今まで喰らってきた魔物が俺の身体にのしかかってきた。指一本動かせない状況で、ただ身体の中心からわいてくる熱に歯を食いしばった。
 何が起きたのか、全く分からないでいた。
 若くして愚かにも信仰に縋り付いた俺は、ある程度知っていたとはいえ性に対する知識は乏しく、その熱がなんなのか分からなかった。正直自慰の経験すらなかった俺は、下腹部に響くような熱に戸惑ったのだ。
 声すら上げられず、地に伏していた俺の視界に、見覚えのあるつま先が見えたのはどれくらいたってからだったのか。
 苦しいか、と掛けられた声。
 それは夢中で俺が掴んだ手と同じだった。
 彼が次に教えてくれたのは、その熱を消す方法────だった。
 こう考えてみると、それは性欲だなんて呼べるものではなく、ただの行き過ぎた食欲の気もする。反り返ったペニスに手を伸ばしかけて押しとどまり、未だ痙攣を繰り返す触手を握った。
 処分、しなくては。
 目の隅に入るのは、自分の持つものと同じ、薄青い絹の装束。
 軟らかな土をひっかくようにしてザッハークの印を切り、一息に燃やした。瞬間的に布に火が回る光と、焼け付く臭い。もう何度となく嗅いだ臭いだった。
 ただじっと、彼という個体が失われていくのを見ていた。
 覚えている、と言った側から、さらさらと流れていくように小さく、朧気になっていく記憶。顔は思い出せるのに、本当にそうだったか、と言われると、そうだと断言できない。声だって、どうだったのか。高かった、低かった、どんな声だった。多分同じ声は二度と脳内で再生出来ないだろう彼の言葉を繰り返しなぞる。
 存在が消える、というのは、誰からの記憶からも消えてしまう、という事に他ならない。
 そこにいても、周りに何人の人がいても、それは孤独だ。人と触れあわず、けして交わらず、人の記憶に残らないよう生きていくのは、果たして生きている、と言えるのだろうか。生きていく、ということは、意図せず誰かと交わって、関わり合って行くことだと思う。
 では、それがもう出来なくなったなら。
 人と交わることも、関わることも出来なくなったら。
 それを「生」とするか「死」とするか。彼は、生きていたのか、死んでいたのか。
 答えのでない螺旋回廊にはまって、急に込み上げた嗚咽に謝るかのように額を地面に擦りつけた。

 嗚呼、レヴィオ。

 謝らなくてはならない人。
「レヴィオ」
 今度は声に出して呼んだ。側には人気などなかった。
 俺をずっと覚えていてくれた人。
 俺を取り巻く小さな世界で、レヴィオの記憶が俺を生かしていた。俺はレヴィオの記憶に存在して、今この世界にとどまっていられる。きっと俺は、レヴィオによって「俺」という個体として存在することを許されてた。道具であり続ける事を強要されながらも、あの場所、あの時間、あの瞬間、人で居ることが出来たのだ。
 携帯端末に向かって、絞り出すようにその名前を口にする。
 端末が繋がっていたかどうかなんて、どうでもよかった。

 

 

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