Departures/Onslaught

 




 逢わない、と言ったからとて、レンタルハウスから一歩も外に出ないわけではない。
 むしろ、何かを食べに行く、という明確な目的がある以上、冒険者や傭兵が多い場所に足を運ぶのは必至だった。人気を避けたところで、俺が分かる場所、というのはアトルガン近郊以外では数える程しかない。
 手近なコリブリ、インプは時期や時間を考えなければ食事中に誰かが通るとも限らない。出来る事ならそれだけは避けたかった。羞恥心なんてなくしたと思っていたのに、魔物に食らいつく人ではない姿を見られることを嫌がるなんて自分がよく分からない。
 正直に言うと、昔人の心臓を食べたい、と思った事がある。
 限界までふくれあがった飢えと、身近にいた人の血を見て我を忘れた。直前で思いとどまることが出来たけれど、俺は化け物なのだと確信して泣いた。結局、未だに食べていないけれども、そのことはずっと今も尾を引いている。
 ゆっくりと深呼吸をして、レンタルハウスを出た。
 もしレヴィオが前で待ち構えていたら、なんて言い訳しただろう。幸いなことに、彼はレンタルハウスの前で待ち伏せるようなことはしなかった。ホッと胸をなで下ろし、人混みに紛れてワジャーム樹林へと出た。明るいときに、樹林や段丘へ行く事は少なくて、昼間の樹林は雰囲気がどことなく違って見える。
 案の定近場のコリブリは姿が見えず、まばらにたたずむ人が、飛来するコリブリを待ち構えているのは手に取るように分かった。彼らを避けてゆっくりと奥へと向かう。
 何処で、何を食べるか。
 頭の中はそればかりだった。
 何を食べれば満足するのか、自分でももう分からない。最近では、自ら無残に引き裂いて、血を浴びてその肉を頬張り、全ての血肉を、臓物を、啜り尽くす、という行為が、満足するのではないかとすら思う。
 残忍性、残虐性、とでもいうのか、それともただのストレスの解消なのか。体内に飼う魔物たちをそうやって満足させているのではないか。色々考えたところで答えなどでないのだけれども。
 樹林に生息する大きな蜘蛛が前を横切った。近くではペプレドの羽音もする。
 これらを好むものは珍しい、と思う。
 ヴァーミンやリザードに分類されるものは、大きさの割に臓物が小さい。珍味として好む人はいるのだろうが、堅いものが多く俺の好みではなかった。比較的ラプトルは美味しいのだけれど、苦労する割に収穫が少ないのが難だった。
 プラントイドはその名の通り植物なので臓物などない。アモルフも同様で、あるようでない。当然除外。
 バードの中でも特殊なのがコリブリで、比較的楽に捕まえられるから主食になりがちではあるものの、他のバード類に比べると格段に不味い。一度食べたジズはとても美味しかったというのにこの差はなんなのか。そう言いながらも、お手軽なコリブリやインプには随分とお世話になった。
 こうやって歩くと、飢えが遠のいているような錯覚に陥る。
 日が陰り、辺りが薄闇に包まれていくのを実感しながら、今から自分の時間だと思った。
 暗闇でもあまり変わらない視界、気がつけばアルザダール遺跡の入り口まで来ていた。
 あの日以来、あまり近寄らなかった遺跡。ここは何故か、気分がざわめくのだ。落ち着かない。
 ため息をついて場所を移動しようと視線を動かしても、いつも見えるはずの不滅隊の姿は見えなかった。彼らが持ち場を離れる事はない。何か問題でもあったかと僅かに足を遺跡の方に向けると、不意に喉の奥でクツクツと笑う声が背後から聞こえた。
 喉が鳴る。慌てて振り返ると、薄闇の中に朧気に浮き上がる青い装束。
 同業者だ。
 濃い血の香りが漂う。
「お前も今から食事か?」
 低く唸るようにも、楽しそうにも、喉に何かが引っかかっているようにも聞こえる声。
 風上に立つ彼から漂ってくる深い血臭は、つい最近のものだ。
 彼はいったい、何を食べたのだろう。
「随分飢えてるな、飢えは初めてか?」
 伸ばされた手が俺の頬を撫でた。いつの間に、こんな近くに来ていたのだろう。
 闇に沈む黒髪と浅黒い肌が、急に近づいた。
 唇が重なって、ぬるりとした物体と共に咥内に拡がる錆びた鉄の味。流れ込むのは唾液と、血と、何か。
 甘い。
 血の香りに我を忘れた。
 夢中で唇を貪り合う。
 喉を潤すのは、彼のものではない、なにものかの血。
「お前、うまそうだ」

 

 

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