Collapse/Onslaught

 




 出航した船上で、レヴィオと二人。
 どちらが言い出すわけでもなく、甲板にあがって凪いだ海を見る。この外洋航路に飛び込んで、一年。あのとき死ぬつもりで飛び込んだ海は、俺をアトルガン皇国へと運んだ。
 大聖堂が出した結論は間違いじゃあない。
 あのとき、ワーウードの手を取ったとき、俺という存在は二度目の死を迎えた。
 今此処にいるのは、カデンツァという皮を被った一匹の、哀れな魔物。
 無意識に埋められた水晶体が在るべき場所を指で押さえた。それだけで、何かが溢れそうだった。もう身体に同化してしまった水晶体は取り出すことは叶わない。
「カデンツァ」
 呼びかけは棘のように胸に刺さる。
 考えていたことを振り払って、俺はレヴィオを見上げた。
「なんで、爵位があることを言わなかった」
「知ってたら、もっと優しくしてくれた?」
 強い風を受けて、顔前に張り付く髪の毛をすくい上げる。
「ごめん」
 これはどっちの台詞だったのだろう。俺か、レヴィオか。先に謝ったのは、どっちだろう。
「爵位は父のもので、俺のじゃないし。俺の信仰の度合いが地位で決まるわけじゃない」
 それでも、サンドリアという国は、地位やお金で信仰が秤にかけられる場所だ。
 言わなかったわけじゃない、俺はその爵位が自分をどれだけ高い場所へ連れて行ってくれるかを知っていた。それをしなかったのは、ちっぽけな自尊心と劣等感、そして信仰を過信したからだ。
 今更馬鹿馬鹿しい、と呟いて階段に腰を下ろすと、レヴィオが心配そうに俺の顔を覗き込む。船酔いか、と唇に形作られた言葉は汽船の警笛でかき消された。
 信仰はとうの昔に捨てた。
 あのとき、レヴィオの傍らに置いてきた。欠片残った信仰も、ここから海に飛び込んだときに泡となって消えた。
 なんとなく泣きそうな雰囲気を察したのか、レヴィオが俺に背中を向ける。じわりと滲んだ涙を無理矢理擦って誤魔化して、俺は膝を抱えた。
 何故今更涙が出てくるのだろう。


 サンドリアの町並みは何一つ変わっていなかった。
 俺が覚えている町並みは7年も前のものだというのに。大聖堂にいた6年間、サンドリアは何一つ変わってはいなかった。ロンフォールから見えた城壁、門をくぐった見張り塔、柔らかな石畳と緑豊かな南サンドリアの風景。相変わらず賑やかなバザー、競売の人だかりは若干減っただろうか。
 まるで、俺だけの時間が進んだみたいだ。懐かしさとこみ上げる不安で足を止めると、レヴィオがそっと俺を促す。
 眼前に凱旋門をとらえて、息を飲んだ。そこを抜ければ、正面にドラギーユ城を、そして右手に大聖堂を拝むことができる。視線が泳いだのをレヴィオが目敏く気づき、背中を軽く抱えられた。まるで見るなとでも言うかのようにレヴィオが俺の視界を遮るようにたつ。
 従者横町の奥の寂れた宿屋に案内されて、訝しげにレヴィオを見上げると、レンタルハウスは冒険者しか使えないから、と言われて理解した。
「なぁ、カデンツァ」
 夕日が部屋に差し込んで、レヴィオの緋色の髪を黄金色に染める。
 見つめられる。レヴィオの深い青い瞳が、俺をじっと見つめて離さない。
「いや、悪い。なんでもない」
 行き場を失った手が戻された。
 俺はただゆっくりと、その動作を見ていることしかできない。
 結局、レヴィオはそれ以上何も言わず、俺もまた、何も言えないまま気まずい沈黙が部屋を覆った。ベッドとベッドの間、それが俺たちの距離だ。近くて遠い。この距離は、今も昔もきっとこれからも変わらないだろう。
 そう思っていたのに、ふと目を伏せた俺の視界にあったレヴィオの足が一歩、俺に近づいた。慌てて顔を上げると、俺の方へと身を乗り出したレヴィオと目があった。
 ベッドに置かれた手が、レヴィオの体重で沈む。
「カデンツァ」
 近づいてきたレヴィオの顔は、そのまま俺を素通りする。息を飲んだ瞬間、俺はレヴィオの広い胸に抱き寄せられた。
「レヴィオ?」
「ごめん、少しだけ」
 レヴィオの声が震えているのが分かった。
 俺は、ただ、レヴィオの鼓動を聞く。
 どれだけそうしていたか、長いようで、きっと短い。レヴィオの手が弛んで、離された。
「悪い、どうかしてた。何か、食べるもの買ってくる」
 まるで逃げるように、早口でレヴィオはそう言うと俺から離れた。上着を羽織って部屋を出て行くレヴィオを、俺は黙って見送る。


 レヴィオの鼓動が、耳に残った。



 

 

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