Collapse/Onslaught

 





 ───内に秘めた魔が、いつかお前を喰らい尽くすだろう。

 それは予言にも似た言葉。今までそんな言葉を、現実として終わりを予想したことなどなかった。
 それが、いつ、かだなんて、考えたこともなかった。明日なのか明後日なのか、それとも一ヶ月後なのか、それとも一年後か。そこから逃れる術などないのだと、最初に言われていたのに、今はそれを考えることが怖い。
 力が欲しいか、と笑って手を差し伸べてきた彼の言うままに、魔を喰らい、時には仲間を喰らって生きてきた。それが、お前の生きる全てだと、そう言われて。
 喰らった魔が、器を壊していく。喰らうたびに、重くなっていく身体。器はその重さに耐えきれず、心は指先からこぼれ落ちるように壊れていくのだと知った。
 終わりの時は、誰にでも訪れる。
 それは抗いようのない、死という全ての終わりにして、新しい始まりだ。
 だけど、俺の終わりは死ではない。
 数多の喰らってきた同胞達と同じように、肉体が魔を全て受け入れることで俺は人としての終わりを迎える。肉体は人在らざるものに変容し、俺という存在は魔に喰われるのだ。その変容は、何度も見た光景。
 そして、その瞬間は間違いなく、俺にも訪れる。
 身体の中に流れる血は、赤いのか、それとも青いのか。もはや自分自身でも分からなくなっていた。だけど、足掻ききれずに変容し、処理した仲間の血は、どれも紅すぎて、目の奥に焼き付くほど、鮮烈に、残される。仲間を喰らう味なんかとうの昔に感じなくなった。
 あるのは舌に残る僅かなぬくもりと、思い出にも似た痛み。
 いつか俺もまた、別の誰かに魔として処理される。そのとき、俺を処理した同胞は、同じような痛みを感じるのだろう。だけどそれは、喰らうことでしか救えなかった、残されたものが背負う罪なのだ。
 残酷な終わることのない輪廻。
 断ち切れない罪と罰。
 飽くなき力への渇望。力を追い求め、その身に魔を宿し、内包し、喰らい続け、さらなる力を求める。器は悲鳴を上げ続け、心は軋み、それでも喰らう。心ごと壊れることをよしとせず、重荷を受け入れるための変容すら受け入れず、これからも、ずっとその罪を背負って生きていく。
 俺は人で在りたい。
 魔に侵されてもなお、人たらんと抗い続ける器でありたい。
 動き始めた時間は、もう止まらない。



 真夜中の邂逅。
 レヴィオに連れられて、両親が宿屋に来たのは日付も変わろうかという頃だ。ベッド二つと、小さな文机しかない狭い宿屋の一室で、俺は七年ぶりに両親の顔を見た。
 お互い同じような気持ちだったのだと思う。言葉はなく、俺はただ差し伸べられた腕に抱きしめられた。言いたいこと、伝えたいこと、たくさんあったのに、何一つ声にならない。
 ごめんなさい。
 たった一言、口から零れた謝罪の「ことば」は一体何に対しての言葉か。
 信仰を失ったことも、自ら捨てたことも伝えることはできなかった。俺は死んでも、両親と同じ場所には行けないのだと今更に悟る。
 死後の世界があるなんて思わない。俺にとってはもはや楽園への扉なんてまやかしに過ぎない。だけど、魂の還るところはあるのだと思う。それが安らぎを約束するものだとは思えないけれども。
 ただ抱き合って、其処に存在することを確かめ合って時間はあっという間に過ぎた。俺たちに赦された時間は短く、部屋を控えめにノックしたレヴィオが申し訳なさそうに時間の終わりを告げた。
 戻って来なさい、だとか、帰って来なさいだとか、直接的な言葉はなかったけれど、そう思っているのは確かに俺にも伝わった。それでも言わなかったのは、それができないことを知っていたからだと思う。
 部屋から出るなと言われて、レヴィオが両親を送って行くのを見送った。最後まで振り返る母、それを窘めるように一度も振り返ることのなかった父。
 遠ざかる背中をただ見つめて、俺は身体の中に確かに存在する魔に怯えていた。
 これが最後かもしれない、そう思って、この瞬間をまぶたに焼き付けて。
 一人残った部屋は、先ほどまで手狭に感じていたというのにただ広くて落ち着かない。ベッドに座っても、寝転がってみても、ざわついた心が落ち着かない。
 カーテンの隙間から見えるのは、あの日と同じ翡翠の月。
 誘われるように、言いつけを破って宿の外へと踏み出した。あの頃俺は従順で、信仰という呪縛の中にいた。俺は俺自身の信仰によって身動きがとれずにいたのだ。
 従者横町から見上げた月は、美しい翡翠色。僅かに欠けた、丸い月だ。
 月光が照らし出す俺の手は、まるで。
「カデンツァ、外に出るなと」
 小さく咎められて、じっと見ていた手から視線を上げる。いつの間にか帰って来ていたレヴィオがすぐそばにいた。
 あぁ、とため息のような吐息が零れる。
「戻ろう、夜は冷える」
 軽く俺を促すレヴィオの手は大きい。
「どうした」
「レヴィオ」
 その手を掴んで引き寄せた。
「俺が、変わったら殺して」
 レヴィオが息を飲んだ。
「人じゃなくなる前に、俺を殺して」
 俺は残酷で我が儘だ。
 俺の身体が魔に喰われたら、変わりきる前に、人であるうちに。人のまま、死なせて欲しい。
 そしてレヴィオに、罪を背負えと言っている。
 それでも俺は。
「ああ、約束する。必ず俺が、殺してやる」
 きつく握られた手。レヴィオの震える声。
 頬を伝っていった涙を舐め取るかのように、レヴィオの唇が下ろされた。
 そのまま唇は、ゆっくりと俺の唇を啄むように重ねられ、小さな水音を俺の耳に届けた。
 今なら分かる。

 唇伝いに感じた苦みは、レヴィオの煙草の香り。
 

 

 

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