Collapse/Onslaught

 




 北門前には門番をしている皇国軍兵士以外誰一人としていなかった。
 嫌な予感が脳裏をよぎる。先ほど広場を見たときは居なかった。見落としたか。心臓を鷲掴みにされたかのように胸が苦しくなって、俺は目を閉じて深く深呼吸をする。
「来てくれたか、カデンツァ」
 突然真上から声が降ってきて、俺は慌てて見上げた。
 砦の二階部分から、レヴィオがひらひらと手を振っている。砦の上は人気がない。其処に来い、という意味なのだろうと、俺は無言でレヴィオの居る方へ向かった。
「読んだ?」
 砦の上を伝ってきた俺に、レヴィオはそう聞いた。
 読んだから来たのだろう、と言われてる気がして、ただ頷いた。握りしめた羊皮紙の束を、もう一度強く握り込む。
「ごめんな、俺に出来たのはそこまでだ」
 躊躇いながら伸ばされたレヴィオの手が、俺の頭をそっと撫でていく。
「サンドリアに、一度戻る気はないか。今なら、見つからずに逢わせてやれる」
 言葉にならない。
 この国に渡って一年と少し。生きることに必死で、気にはしていたものの一度も顧みることのなかったもの。自分だけが、偶像の女神に見放されたと思い込んで残された者の気持ちなど考えもしなかった。
 封書に、羊皮紙に綴られていたのは父から俺宛の手紙だった。簡潔だけれど丁寧に綴られた父の心の内。
 レヴィオの話と、封書の内容で、俺が大聖堂を飛び出した後、どのように俺という存在が処理されたか、あらかた理解した。
 俺は死んだことになっているということ。既に葬儀も終わり、俺という存在は消えてしまった。
 両親には、カデンツァは種族と信仰の事で大変悩んでおり、思い詰めたあげく身を投げてしまったのだと説明がされたようだった。父は手紙の中で、何度も詫びていた。
 詫びることなど、何一つないのに。
 出自というのは自分で言うべきことでもないし、それによって個人を変化させるものではない。変わるのはいつだって周囲の自分を見る目であって、自分自身ではないのだ。
 サンドリアにおける爵位は、絶対の地位を示すけれど、爵位と家が裕福かどうかは実のところ関係ない。
 父の爵位は、水晶大戦時の功績を称えられて叙勲されたもので、いわば成り上がりだ。ヴァイデンライヒ家はサンドリアの一般家庭で、父は騎士ではなかった。ただ、祖国のために剣を手にとって戦った、農民の子だった。
 父は生涯独身を誓っていたが、50歳を過ぎてから出会った若く美しいヒュームの修道女と激しい恋に落ちた。
 それが、母だ。
 異種族間における出生率は激しく低く、エルヴァーンで生まれてくる確率はさらにその半分。加えて父は妙齢ということもあり、後継ぎは絶望的だった。敬虔なアルタナ教徒だった父は、その時点で爵位を返上するつもりだったけれど、神は、アルタナは俺を授けた。
 生まれてきた子は、男ではあったが姿は母と同じヒューム。
 それが、俺だった。
 サンドリアの選民思想、階級に対する根底にある差別、そして自種族至上主義の感覚は其処に生まれた者にしか理解出来ないだろう。馬鹿げていると思いながらも、自分の奥底に宿るヒュームであるが故のコンプレックス。これは随分と父を苦しめたように思う。
 それでも父は、誇りと信仰を忘れないようにと言い続けた。
 お前は、父と同じ、アルタナの子なのだと。
 手紙には俺が生きて、別の場所に逃れている事は書かれていなかったが、レヴィオが秘密裏に両親に伝えたことは分かった。父は一体どんな気持ちで、渡せるかどうかも分からない封書をレヴィオに託したのだろう。
 俺は、いつだって愚かだ。
「カデンツァ、俺と」
 そこでレヴィオの言葉は途切れる。
「泣くな。ごめんな」
 顎を伝って行った涙を、レヴィオは指でそっと拭ってくれた。
「一度俺と戻ろう」
 今度は躊躇うことなく、レヴィオは俺の頭を強くその胸に抱える。引き寄せられた身体はレヴィオの大きな胸に包まれた。耳に響く鼓動に、一度だけ頷いた。しっかりと。
 レヴィオはいつだって優しかった。

 俺たちは、一体何処で、何を、間違えたのだろうか。


 

 

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