Collapse/Onslaught

 




 本当に偶然だった。
 久しぶりにジュノで見かけたカデンツァは、あの頃から何一つ変わってなどいなかった。どこか遠くを見る深い宝石のような目、周囲を拒絶するような雰囲気。それでいて長い睫毛はゆっくりとまばたき、桜色の濡れたくちびるが時折何かを口ずさむかのように薄く開かれる。
 祈りを口にしているのか、それとも、歌か。
 少し見ないうちに、筋肉がついたか。小柄な体躯はそのままでも、随分と雰囲気が違って見えるのは、その身に纏う革を鞣した深紅のアトルガン装束のせいかもしれない。それとも腰に携えた、美しき曲刀のせいか。
 一瞬、声を掛けることを躊躇った。
 凛と、しなる弓のような男だ。あどけなさが残っていたあの頃とは違う、張り詰めた糸のような美しさ。
 ゴクリ、と喉が鳴る。
 俺は、出会ってはいけないのだと理解しながらも、その美しき獣に声を掛けてしまった。

 どうしたかったのか、なんて、分からない。
 俺は贖罪をしたかったのかもしれない。けれどもその方向性は果てしなく間違って、誤って、俺はまた、彼を傷付ける。


 俺は憎まれなくてはならなかった。
 本当なら殺されてやらなければならなかった。
 雨の降るジャグナーで、初めて俺に切っ先と共に向けられた憎しみと怒りの感情は、すぐに蕩けるように消えてしまった。
 信仰など、とうの昔に捨て去っていると思っていたのに、純粋すぎた彼の信仰は、今もなお彼を縛り続けている。まるで男神を戒める鎖のように。
 彼に必要なのは、怒りの、憎しみの対象だと思うのだ。
 ぶつけることの出来ない苦痛を内に溜め続け、自分が悪いのだと謝罪と贖罪を繰り返してきた。俺は責任を取らなくてはならない。彼にそれを強要し続け、助けを求める手を振り払ってきた罰を受けなくてはならない。
 彼は何も悪くなかった。
 罰せられるのは、赦しを請うべきなのは彼の純粋な信仰心を弄んだ俺たちなのだ。

 それなのに、俺は。
 助けを求める腕が俺に伸ばされないのを知って愕然とした。
 代わりに向けられた憎しみの感情に安堵した。
 終わりにしよう、カデンツァ。俺たちは出会うべきじゃあなかった。
 最後に一つだけ、話を聞いてくれ。


 ───それなのに決意はあっさりとあの男の登場によって霧散する。
 かき乱される心。
 相反する思い。
 咄嗟に俺はカデンツァの手を握った。
 だが結局、俺はまた傷付けたのだ。離さないと誓ったばかりの手は、すぐに離され、差しのばされた指を振り払うかのように逃げた。信じさせて、裏切る。同じ事を繰り返す。
 俺は最低な野郎だ。

 俺はもう一度握ることを赦されたあの手を、二度と、離してはいけなかったのだ。
 俺はやり直したい。もう一度出会う前に戻りたいと願った。出来るはず、ないのに。


 願いはむなしく、カデンツァとともに雷雨の中に消えた。


 

 

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