Cloudy Misfortune/Onslaught

 




 レンタルハウスにあったのは備え付けのアミールベッドとコンソールだけだった。

 装備品も、調度品も、目に付く範囲には何もない。本当に無味乾燥な、寝るだけの部屋だ。それはまるで、いつでもこの生活を手放せるぞ、というどこか覚悟のようなものを感じて胸が震えた。死ぬときは何も遺さない、そう言われているようだったのだ。
 そんな何もない部屋の中で、唯一自己主張をしていたのは、ベッドの上に無造作に置かれたカシミア織物だった。装飾は地味で、柄も地味だったが一目で高級品だと分かる。カデンツァらしい趣味だと思ったものだ。
 鎧を脱がして、ベッドに横たえてそのカシミア織物をかけてやると、安心したように細い指がカシミア織物の端を握った。もしかすると何か思い出の品なのかもしれない。一般的に、冒険者が寝るためだけにカシミア織物のような高価なものを求めることは少ない。きっと何かあるのだろう、そう思うと一歩だけカデンツァに近づいた気がした。
 カデンツァはこんなにたくさんの人の中にいながらも孤独だ。
 いや、孤独であろうとする。他人を遠ざけ、弱った部分を見せない。それは俺だって同じだけれど、カデンツァの場合は頑なに他人と交わるのを拒む。
 他人と混ざり合うのを、怖がるのだ。

 結局俺は固く閉ざされたカデンツァの部屋の扉の前で、ノックできずに立ち尽くした。
 衝動的な行為を謝ることも、出来ずに。
 後ろ髪を引かれながらもカデンツァの部屋の前を後にして、居住区前まで戻る。エントランスのようなそこは多くの冒険者がたむろしていた。突き抜けるような青い空、遠くでパーティを募集する声が聞こえる。
 無意識にため息をついていた。
 どうしたいのかすら分からないまま、何を求めているかも分からないまま、ただそこに、手の届く場所にカデンツァを望んだ。これが恋なのだと、気付かないほど初心ではない。
 俺は恋していた。カデンツァという一人の男に。
「あらぁ、ツェラ様」
 突然そう声をかけられて慌てて振り返ると、先ほどまでワジャームで一緒だったリンクシェルの友人がひらひらと手を振っていた。エルヴァーンの彼女はショートパンツにブーツというラフな格好でレンタルハウスを出てきたところだった。見かけによらずしっかりとついた筋肉、しなやかで長い腕はモンクに相応しい。
「今一人、なのかな。暇、かしら」
 柔らかそうな金の髪を一房耳元で編み上げて、風に遊ばれる前髪を押さえつけながら彼女は笑った。
「丁度、暇になったところだよ」
 そう答えると彼女は花開くように笑って、やった、じゃあシャララトに行こう、と俺の腕を取った。
 急かされるようにレンタルハウス前の人混みを抜けて、南へ抜ける。いつもならすぐに他のリンクシェルのメンバに見付けられ、一人二人と増えていき、気がつけば大所帯になっているものだが、今日は珍しく誰にも会わずにシャララトまでたどり着いた。彼女はシャララトに知り合いが居ないことを確認すると、絨毯の敷かれた隅の方へと俺の腕を引っ張っていった。
「ハイ、座って。ツェラ様甘いもの食べないよね、アルザビ珈琲でいいかな」
「俺が行くよ、なにがいい」
 彼女を座らせてそう聞くと、彼女はイルミクヘルバスとチャイを頼んだ。いつものようにブリキのトレーに珈琲とチャイを乗せて、この地方ではよく食べられているというケーキを選ぶ。食べたことはないが比較的甘くなく、美味しいらしい。
 カデンツァも普段甘いものは食べないけれど、ルリリと一緒だとよく同じケーキやプディングを頼んでいるようだった。俺とここに来るときはいつも顔を顰めながら俺と同じ珈琲を飲む。どちらが本当のカデンツァなのか、俺と同じで分からない。ただ、きっと彼の舌にはここの珈琲は苦すぎるのだろう。サンドリアの珈琲は比較的酸味が強く薄いから。
「おまたせ」
 ケーキを運んでいくと彼女は目を輝かせてトレーを受け取った。幸せそうにフォークで口に運ぶのを見て、なぜだか俺まで嬉しくなる。
「ツェラ様と二人っきりでお茶出来るなんて私、タイミングよすぎ」
「そうだっけ」
「そうですよー、いつもルリリとカデンツァとばっかりでなかなか遊んでくれないし」
 俺はちっともカデンツァに遊んで貰えないのだが、と言いかけてやめた。


 

 

Next