Burn my Dread/Onslaught

 




 こんな日が来るなんて、思っても見なかった。
 俺はそれなりに満たされていたし、少なくとも、相手も、もちろん、そうだと────思い込んでいた。
 最初から俺とあいつの歯車はひとつたりとも噛み合ってなどいなかったのだと思い知った。独りよがりな俺の気持ちが、あいつをずっと苦しめて、傷つけていたと気付いたときには、歯車の形すらも維持出来なくなったあいつが、俺の歯車に蝕まれて、跡形もなくなってしまう直前だった。


【→side:Zeller→】

 気持ちがいいか、と問うたらカデンツァは、微かに笑って気持ちいい、と言った。
 青白いとも言える顔色に、濡れた唇だけが焼けに色彩を帯びて目に焼き付いた。

 俺の部屋を汚すのが嫌だというカデンツァに連れられて、南港近くのくたびれた安宿を何度も利用した。
 その宿はそう言った目的で使われることを前提としているのか、通常なら誰かいるはずのフロントは板張りで、受け付けてくれる人間の性別は愚か種族さえも分からない。無造作に差し出されたカギに、誰がどんな目的で部屋を利用しようがかまわない、そう言われているような気がした。
 事が終わって、申し訳程度に備え付けられた浴室で生温いシャワーを浴びて出てくると、ベッドに腰掛けたカデンツァと目が合った。既に支度を終えたカデンツァは、手のひらに握った鍵を弄びながら何か言いたげに口を開く。
「どうした」
「満足、してなさそうだ」
 心臓が、というより、飲み込んだ唾液が音を立てたのが分かった。
 そんなことない、と言おうとした言葉が喉に引っかかって、結局俺は何も言えないまま立ち尽くす。
 カデンツァは俺の様子を伺い、ややあって手にしていたルームキーをベッド脇に備え付けられたサイドボードに戻すと、ゆっくりと立ち上がった。細い指が自身の装束の裾を弛めていく。
 どうして欲しい、そう小さな声が部屋に響いた。
 床に落ちる紐解かれた鮮やかな籠手。
「どうしてって」
 裏返った声が無様だ。
「あんたがして欲しいこと、なんでも」
 近づいてくるカデンツァの腕を握って、そのまま後ろのベッドに押し倒す。
 カデンツァの視線は、俺を通り越してどこか別の何かを見ているようだ。その深紅の瞳に、俺は映っているはずなのに、カデンツァは俺を見ていない。それはまるで、カデンツァを抱いているのが俺でなくてもいい、と言われているようで苦しい。
 きっとこれが満たされない、ということなのだろう。
「俺を見ろ」
「みてる」
 形のいい唇がそう言った。
「嘘付け」
 深紅の瞳が僅かに細められる。
「俺は誰だ、俺の名前は」
「何言って、ツェラシェ、」
 最後まで言わさずにその唇を塞いだ。それはその唇から俺ではない別の誰かの名前が出てくるかと畏れたからで間違いない。自分の名前を呼ばれたことに少しの安堵と、そっと背中に回されたカデンツァの細い腕に不安だけがつのった。
 あの日、初めてカデンツァをこの腕に抱いた日から、食事に誘っても、アサルトに誘っても、結局目的は果たされることなくこうやって身体を繋げて終わる。終わってしまえばカデンツァはすぐに帰ろうとし、俺はそれをなんとか引き止めようと藻掻くのがいつものパターンだ。今日みたいにカデンツァの方から誘って来ることは珍しく、それだけでも不安になるというもの。
 何かあったのか、俺が何かしたのか。
 何でも言って欲しい、何でも相談して欲しいと思うのに、カデンツァは何一つ言わない。
 だから、俺も聞かない。聞けない。


 

 

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