【←side:Kadenz→】
覚えてる。
あの日、大聖堂の奥の小部屋でのはじめてのキスを。
まだ、覚えてる。
何度も俺の手を取って、躊躇いがちに強く握り締めてきたことを。
繋いだ手は人の温かさを返すのに、俺の冷たい手がその熱を奪っていく。顔を近くに寄せれば、規則的な呼吸音が耳に届いて、まだそこに居ることを教えてくれた。
椅子に座ったまま上半身を倒し、ベッドの端に頬を埋めた。
何度朝が訪れ、何度夜が更けていったか、分からない。つい数日前のような気もするし、もう随分と長い間こうしてここにいる気もする。ベッド脇に置いた果物の入った籠、そういえばあれはいつ持ってきたものだったか。ツェラシェルが最後にここに来たのは何日前だったか。日付の感覚はとても曖昧だ。
「レヴィオ」
名前を呼ぶとじわりと瞳が潤んだのが分かった。
涙なんて、とうの昔になくしてしまったものだと思っていたのに、今は気がついたら泣いている気がする。この水分はいったいどこからやってきて、何処へ消えていくのか。まるで海のようだ。打ち寄せては引いていく。このまま、波に攫われて何処でもない何処かへ行ってしまいたいとさえ思う。泡になって、海になる。今は何も考えたくない。
いつの間にかうとうととしていた。
繋いだ指が、そっと撫でられて俺は思わずその心地よさに笑った。
顔を上げればそこには無限に広がる海。
海の瞳が、俺を見ていた。
その海は今にも閉じられそうで、俺は慌てて身を乗り出した。
「レヴィオ」
レヴィオはゆっくり目を閉じると、握っていた手に僅かに力を込めた。
「……ん…」
喋らないでくれ、もういいから。
無理に笑おうとしたレヴィオの頬が引きつったように歪んだ。俺はそれすらまともに見えなくなって、視界は膜で覆われたようにぼやけていく。
「ひとりに、しないって、言った」
側にいるって言ったじゃないか。
言葉は無様に震えた。それなのに、何故か雰囲気は酷く穏やかで、止まらない涙だけが全てを理解していた気がした。レヴィオの瞳がゆっくりと瞬きを繰り返す。繋いだ手を無理矢理持ち上げて頬に押しつけた。
「もう、離さないって言った!嘘つき、うそつき」
俺は我が儘で、勝手で。
それでも心の底からそう叫んだ。
レヴィオの指先が優しく俺の頬を撫でていく。
「…や……」
掠れたレヴィオの声。なんて言ってるのか、俺にはちっとも分からなかった。唇の動きすら、今の俺にはまともに見えてはいなくて、ただレヴィオの困ったような雰囲気だけが伝わって来る。
「な……も……」
目が閉じていく。
撫でていた指から力が失われていく。
「いやだ、レヴィオ」
「…ツァ」
名前を呼ばれたのだと分かった。
止まらない涙がレヴィオを焼き付けようとする俺の視界を邪魔する。
「いやだ!」
まるで子供が駄々をこねるように俺はそう繰り返した。
俺の声を聞きつけて、近くに居たらしいツェラシェルやルリリが来たけれど、ゆっくりと、スロウがかったように俺の手からレヴィオの手はすり抜けていってしまった。
何を叫んだか、もう、覚えてない。
思い出せない。
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