「馬鹿な、カデンツァだぞ!」
続けて繰り出される剣戟をかわしつつ動かない、いや、動けないツェラシェルを振り返る。
「お前は帰れ」
はっきりと、邪魔だと言えばよかった。そうすれば、見なくていいものを見なくて済む。
これから俺がしようとすることは、結果がどちらに転んでも、心に酷い爪痕を残すだろう。全ての発端は6年前。この男にはなんの関係もない。これは俺たちの問題で、俺が責任を負わなければならないものだ。
そうだろう、カデンツァ。
お前は、終わりを望んだんだよな。人であるうちに、殺してくれと願ったお前の頼み、最後くらいお前のお願い、叶えてやらないといけないよな。それが何もしてやることが出来なかった俺に、唯一出来る事だ。
「何を、」
口を開いたツェラシェルを遮ろうとした瞬間、ザッハークの印が目の端で見えて、凄まじい轟音とともに遺跡の床を走ってくる何か。真っ直ぐに突き出されたカデンツァの腕が嫌な音を立てて軋んでいるのが見えた。
カデンツァの頬を伝っていくのは間違いない涙。
俺も、カデンツァも泣きながら刃を交える。カデンツァの腕が在らぬ方向に曲がったのが見えて歯を食いしばって涙を拭った。魔によって無理矢理ねじ曲げられる痛みはダイレクトにカデンツァに伝わっているに違いない。意識の半分以上を魔に奪われながらも、未だあの身体はカデンツァのものなのだと思い知らされる瞬間だった。
愚かにも俺の切っ先には躊躇いがある。カデンツァの切っ先は正確に俺の急所を狙って来ていたというのにだ。
いっそ魔物と割り切れたなら。
「クソ、わけがわからねえ」
どうしていいか分からないまま、次々と俺に魔法を投げかけ続けるツェラシェル。カデンツァと刃を交えることに躊躇う心とは裏腹に、この男が踏んでいる場数が無意識に彼の身体を動かし続けている。それに助けられていたとはいえ、この男を最後まで付き合わせるわけにはいかない。
近くで印を結ぼうとしたカデンツァの脚を払い、ツェラシェルの腕を掴んでフロアを走る。とにかくこの男を。目の端でカデンツァの小さな身体がもの凄い瞬発力で起き上がり、そのまま曲刀の切っ先を構えて飛びかかってくるのが見えた。
咄嗟に伸ばした手でツェラシェルの身体をその軌道から押しのける。
鈍い音、鈍い痛み。
柔らかく青い皮で出来た、長く愛用してきた俺の籠手が、音を立てて床に落ちた。同時に、カデンツァの足下に広がった薄い氷が、カデンツァの動きを一瞬止める。続けざまにツェラシェルが詠唱した魔法で小さな風がカデンツァの髪の毛を巻き上げ、視界を奪った。
ぱたぱた、と床を流れる赤。
俺の、赤。
ギラついた同じ赤い瞳が、俺をじっとみていた。
「ちくしょう!」
すぐにツェラシェルが俺の腕を逆に掴むと引きずるようにして奥へと引っ張った。扉を開けて通路を曲がり、そこでようやくツェラシェルは俺に癒しの魔法をかける。ツェラシェルもまた、潤んだ目を拭った。
「なんだよ、なんなんだ。なんであいつが」
なんか、馬鹿みたいだ。
大人の男が三人揃って馬鹿みたいに泣いて、戦って。その先にあるのはなんだ。
息を吐いて、目をそらしながらそっと傷口に手を触れる。表面さえ、ふさがっていればいい。
「はは、上出来だ…手間かけさせたな」
俺が軽く笑ったのが気に食わなかったのか、ツェラシェルは思い切り俺を睨み付ける。癒しの魔法を貰ったとはいえ、この怪我では短剣をしっかりと掴むことも出来ない。指先に力が入らず、仕方がなく革紐で短剣を手のひらに固定した。
「どうすんだよ」
「頼まれてんだ」
何を、と言われる前に初めてツェラシェルという男をまともに見た。
翡翠の瞳がじっと俺を見ていた。シャポーに隠れた黒髪が額に張り付いて、エルヴァーン特有の浅黒い肌に汗が浮かんでいる。長い耳がぴくりと動いた。こいつがエルヴァーンでなかったら、カデンツァを頼んでもよかった。だけど、もう頼める相手もいない。
ツェラシェルが通路の向こうを気にし始める。そろそろあの薄い氷の効果も切れる頃なのだろう。
「人であるうちに殺してくれって、頼まれてんだ」
「まだあれはカデンツァだろう、が…」
ツェラシェルがそう怒鳴った瞬間、嫌な音が、扉の向こうで聞こえた。
それは柔らかい肉がつぶれるような、ひしゃげるような。
ずる、ずる、と汁気を含んだなにかを引きずる音。
ツェラシェルが蒼白な顔で、小さく来るぞ、と言った。
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