[→side:Leviony→]
雨の中、離した指先に残る微かな温もり。
忘れることの出来ない、その感触。無意識に、必死に掴んできた指は、あの頃のままだった。
俺は何がしたいのだ。俺は、また選択を誤ったのか。
こうなるだろうということは薄々分かっていた。彼らの素行がどんなものか知っていたし、カデンツァの名前を出すと下卑た笑みを浮かべて寄ってきたのだ。だけど俺は、行動を起こした彼らを止めることもせずにただ見ていた。
ずっと、そうしてきたように。同じように。
俺は、ただ、見ていた。
鮮明に覚えている。
小雨が降りしきる中、呆然と何もない空間を見上げたままのヴァイデンライヒ男爵。その隣で泣き崩れ、床に頭を擦りつけるように嗚咽した男爵夫人。
謝罪することも許されず、腫れた頬を隠して葬儀の鐘を聞いた。
遺体なき、カデンツァ・バロレ・ヴァイデンライヒの葬儀──────
空の棺の中には、遺体の代わりに使い古しボロボロになった教典だけが収められた。
俺ははっきりと逃がしたと言わなかった。だが、大聖堂の誰もが理解していたのだと思う。教皇の怒りに震える錫杖が振り下ろされ、罵られた。俺はそこで初めて、カデンツァの素性を知った。
ミドルネームを名乗ることを許された名家。ヒュームであっても見習い修道士などではなく、もっと高い地位で大聖堂に迎えられただろうに。とはいえ、バロレの名前を持ちながらも若く美しいヒュームの妻を娶った男爵の立場もまた微妙なものだったのかもしれない。そこまでは俺の想像に過ぎないが。
逃げたと知り、すぐにカデンツァの実家や至る所に手が回されたが、カデンツァは見つからなかった。
当たり前だ、俺が小さな背中を見送ったとき、彼は振り返りもせず真っ直ぐにラテーヌ方面へと走ったのだ。無意識に戻ることを拒んだか、両親に迷惑が掛かると思ったか、それともただこの場所から逃げたかったのか。今となっては知るよしもないが、彼がもう戻ってくるつもりがないことは俺にも分かった。
見つかるはずがない。
籠の中にいた鳥は飛び立ったのだ。
結局カデンツァは見つからず、どうしようもなくなった大聖堂は、彼を死んだこととして扱った。
俺が、目を離した隙に、カデンツァはシュヴァル川へ身を投げたのだと。
ヒュームであること、信仰のこと。悩んでいた彼は、衝動的に自らの命を絶ったのだ。正直、俺は彼の両親にねじ曲げられた事実を伝えに行く役割を与えられなかったことに感謝した。
俺はカデンツァから目を離した責任を取って、くそったれな大聖堂を去りそのまま冒険者になった。
元々信仰心の欠片もなかった俺だ。大聖堂に未練などなかった。
カデンツァが居たから、そこにとどまっていたのだと、気づいたのはいつだっただろう。
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