『ひぁっ、い、あぁ』
壁を一枚隔てた向こう側から一際高い喘ぎ声、そして低いとも高いとも言えない男のぼそぼそとした声が続いた。なんて話しているかなんて聞こえないが、いい加減にしろと言いたい。
一度吐き出したからか俺には僅かに余裕があって、カデンツァの口淫が続いていた。
ふと、その行為がとまりカデンツァが見上げる。
音を立てて唇から離れた息子が腹の上で跳ねて、カデンツァはそれを追いかけるように握り締めた。
「俺と、したくない?」
少しだけふてくされた様子に慌てた。
「俺はしたいのに」
興奮した。
俺はしたい。
はっきりと向けられたカデンツァの意志。
「こういう覗きみたいなので、レヴィオも興奮するんだなって思ったら俺も興奮した」
見てないけど、と続いたカデンツァは軽く壁に目を向けた。
「レヴィオ、俺たちもしよう」
言葉にならなかった。
もう頭の中はカオスで溢れていて、ちょっとでも動こうものなら暗黒ラスリゾでダンシングエッジだった。そんな状況で気の利いた台詞なんか出てくるはずもなくて、多分俺は無様に半開きの口で呆然としていたのではないかと思う。
「する?しない?」
二択を突きつけられて、俺はようやく我に返ったのだと思う。
「す、する」
カデンツァが満面の笑みを浮かべるのと、俺が押し倒すのは殆ど同時だった。
覆い被さるようにしてベッドに押しつけて、軽く唇を重ねる。カデンツァの唇が笑みの形を作るのが分かった。絡めた指が強く握られて、俺も離したくなくて握りかえす。
一般的なセックスには手順ってものがあって、肌と肌を重ね合いながら気分を高めていく過程がある───と、俺は思ってる。律儀にも俺はそれを忠実に守り、実践してきた。それはある意味スタート地点から一歩踏み出せばゴールだったカデンツァのセックス概念を別のモノへ塗り替える過程でもあった。
セックスイコール挿れて出す、それは挿入する側の一方的な行為だと思ってた。
そんなモノはクソ喰らえだ、と。
だけど挿れたい。
今すぐ一つになりたい。
「欲しい」
この性急さも、情熱も、別物だと思いたい。
「もういれて」
耳元で囁かれるカデンツァの声。
「前みたいにぐちゃぐちゃに気持ちよくして」
もう、イオリアンエッジだ。
華奢な背中と筋肉質の胸が密着する。
後ろから腰だけを高く上げた恰好で、カデンツァと俺はベッドを軋ませる。
「あ、はっ」
焦って必要以上のオイルを使ったせいもあって、文字通りぐちゃぐちゃだ。緩く動く度にオイルがその通りの音を立てる。
俺の吐息とカデンツァの微かな喘ぎ声が重なって、その合間に安物のベッドがギシギシと鳴った。隣の部屋の声はもう耳に届かなかった。終わったのか、それとも聞こえていたけれどそれどころではなかったのか分からないが。
「レヴィオ、もっと」
小さく、震えた声が俺にねだる。
もっと、どうして欲しい。
珍しく汗ばんだ額を撫でて、シーツを掴んだ手に俺の手を重ねた。
強く腰を突き出すと、背中が反る。急に離れた肌に冷たい部屋の空気が絡んで根こそぎ体温を奪われる気がした。それなのに、繋がった所だけはバカみたいに熱くて、カデンツァがさらに腰を押しつけるから。
「も、う、気持ちよすぎて、どうにかなっちまいそうだ」
音を立てるのはオイルだけじゃないことくらい自分でよく分かる。
カデンツァは分かってて何も言わない。
俺も、萎えない。
「きもちい」
そう言って振り返ったカデンツァに堪えられるはずもなく。
俺たちはただひたすらに、お互いの身体を喰らい、貪り尽くした。
翌朝、朝なのか昼なのかも分からなかったが、食べるものを求めてレンタルハウスのドアを開けた俺たちの隣で、見知った男が煙草片手に出てきた。
古い、知人。隣の、あの声の───主か。
自分の部屋であろうそこに鍵も掛けずにそいつは俺の方を見て唇の端を上げた。
同じエルヴァーンとは思えないほどバカみたいに歪みのない、マネキンみたいな整った容姿。カデンツァとはまた違った美人、とでも言えばいいのか。そいつは相変わらず何処までも不遜な態度で必死に鍵を掛けるカデンツァを見下ろし言った。
「昨夜はお楽しみだったな」
時が止まり掛けた俺を尻目にカデンツァは表情一つ変えずこう返した。
「そっちもね」
|