触手が振られ、水が跳ねる。
自分の分身を作っていた紙兵が3枚、あっという間に形代になって舞い散った。次の紙兵を懐から取り出す暇もなく、攻撃が眼前に迫る。歯を喰いしばって耐えたものの、続けて繰り出される次の攻撃を避けられなけれぱ間違いなく終わりだった。怖くて閉じかけた目を必死で開いて攻撃に集中する。
だいじょうぶ、避けられる。
強く握り締めた力王。噛みしめた唇。
運よく触手は自分の頭上をすり抜けた。
「もう少し、頑張って」
息を吐く余裕もない。ケアルが幾方向からかけられて光に包まれるけど、後衛の魔力も残り少なかった。
だけど、もう、集中力の限界。
目の前のノートリアスモンスター、カリュブディスは太い8本の触手を自在に操って攻撃を繰り出してくる。いつもなら支援してくれる吟遊詩人がいないのもかつかつの原因。
夜半遅く、現れるとされる時間から数時間が過ぎた頃になってカリュブディスはひょっこりと戻ってきた。人も減ってもう今日は諦めようって話をしていた最中だったから、みんな準備もそこそこに興奮して戦闘を開始してしまった。
いろいろなことが重なって、今のこの状況がある。
やっぱり彼のツアーは問題なく終わったことがない。とはいえ今回の状況は彼のせいではないし、もとより毎回のようにトラブルが発生するのも彼のせいではなかった。
トラブルメイカーは自分かもしれない。
ああ、もうちょっとなのに。触手がブレて見えてうまくかわせない。
作り出したばかりの分身を一気になぎ払われて、頭上に振り上げられた2本の長い触手が目の端に映る。
ダメだ、間に合わない。
慌てて懐からひっつかんだ紙兵が宙を舞うのが見えた。
直後ぐしゃりと嫌な音が耳に届いて、眼前は真っ赤に塗り潰される。
あー、骨までいった。
そう感じるのもつかの間、痛みより熱が広がっていく。感覚器が順番に閉ざされていくのを感じながら、精霊魔法の着弾する轟音と僅かな歓声が理解できた最後の音だった。
気がついたら冷たい水の中に一人。
端末に残った履歴に彼からのありがとう、という短い文言と一緒に、自分が倒れたと同時にカリュブディスを退治できたこと、目的のものが手に入ったこと、そしてもう時間が遅いことと、自分の意識が戻らずテジョンを掛けられなかったことを詫びるメッセージが届いていた。そして鞄の上にパムタム海苔が1枚。
白魔道士の高位レイズのお陰で、酷く気分が悪いこと以外身体に別状はなさそうだった。
遅い時間なのも分かってるし、最後の最後でやられてしまった自分が悪いのも分かってる。だけど。
ううん。
自分が倒れても、結果勝利できればそれでいいじゃない。勝てて目的のものも手に入ってるんだし。何度も繰り返しそう言い聞かせても、じわじわと瞳を覆う膜はおさまらない。
自分も一緒に勝利を喜びたかった。
どうしようもなくあふれ出した感情を吐き出す場所がなくて、今の時間を忘れてシグナルパールを握り締めた。気がついたときには遅くて、寝ていたことがありありと分かるヴァルの間の抜けた声がパールから聞こえた。
「あ、ごめん。まちがい」
間違いとか、バカか自分。
こんな時間に。
「ごめんホント、起こしてごめん」
『どこだ、そっち行く』
えぇー、ダメだよ、大丈夫だから。自分のこと棚に上げていうけど今何時だと思ってんの。
『いいから待ってて』
結局あっさりヴァルに押し切られて、じっと待つ。
この二人だけのシグナルパールは特別製で、ヴァルは自分の居るところに瞬時にワープしてこれる。そのための魔力充填に大体1日程度掛かるけど。これがシグナルパールを使うと、一日一度程度という条件付でヴァルといつでも逢えるという理由だった。どういう原理、とかどうしてそんなものをヴァルが持ってるの、とかそういうことには特に触れてない。
着替えていたのか、いつもより若干時間を置いてヴァルは目の前に現れる。髪の毛にちょっと寝癖がついていて、急いで来てくれたことが本当に嬉しかった。
ヴァルは自分の惨状を見て慌てふためき、おろおろしながら結局自分の隣に腰を下ろす。
「なんだよ、どうしたんだ」
「ちょっとジュワタコやっててやられちゃった」
「またあいつか!」
それだけで大体のことを色々曲解して察したらしいヴァルが憤慨した。多分その想像は8割間違ってるけど、またあいつか、だけは大体あってる。
ごめんね、色々吐き出したいとか思って呼んだようなものなのに、ヴァルの顔みたらどうでもよくなっちゃった。
「こんな時間に呼び出してごめん、でも、来てくれてありがと」
そう言ったら濡れた身体ごと抱きしめられて、頬ずりされた。
ごめん、きもい。
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