Greed

 





「自覚しろよ、お前は強欲だ」
 何を言い出すかと思えば、とポートンが鼻で笑う。
「お前はヴァンの人生そのものを望んでいるだろう」
「あなたと一緒にしないでください」
 今度はアニスが鼻で笑った。
「保護者だとか家族って言葉で誤魔化して、結局は俺もお前も同じだ」
 二人の間に僅かな沈黙が流れる。
 ポートン自身、そんなつもりではないのだろう。だが、行き過ぎた束縛はヴァンにとっても苦痛だ。
「この手の届く範囲に、この目の届く範囲に居て欲しいだけなんだ」
「あなたに何が分かる」
 声を荒げたポートンが一歩前に出る。ガルカの太い腕がアニスに伸ばされ、途中で引きとどめられた。
 シャワーの水音が止まったのだ。どうしていいか分からない様子でポートンがアニスの顔をじっと見つめる。交差した視線にアニスが軽く笑って見せた。
「ちゃんとヴァンに謝れよ」
 サイドボードに置いた携帯端末を手に取るとアニスはゆっくりと玄関に向かった。アニスは後でまた連絡すると伝えてくれ、と言い残し部屋にポートンを置いて出て行く。
 静かな部屋に玄関の扉が閉まる音だけが響いた。



 ポートンとヴァンが出会ったのはヴァンが生まれた時だ。
 だからヴァンの年齢分だけのつきあいがある。その中で邪で、破廉恥な想いなど抱いたこともない。ヴァンをあんな行為でどうこうしようなんて思った事もなかった。それでもアニスは同一だという。
 束縛したいわけではない。それでもヴァンが最初に頼りにするのは自分だと思っていた。何かあったとき、そして人生の岐路に立ったとき、相談してくるのは必ず自分だと思っていた。
 思い上がりだ。
「まいった」
 結局の所どうだ。今回の事件では、ヴァンはポートンに相談もなく、頼りにすらしなかった。おそらく自分一人で片付けようと思っていたはずだ。アニスが気付き、手を差し伸べ、あの状況から救い出さなければどうなっていたことか。
「ポートン?」
 シャワールームを出てきたヴァンはまず部屋を見渡した。探しているのはただ一人。分かっても、理解出来ないことがある。まさにポートンにとってこの状況こそがそれにあたる。ヴァンはアニスが居ないことを確認して視線をポートンに戻した。
「彼は帰りました、あとでまた連絡すると」
 ヴァンは黙って頷くとタオルをランドリーボックスに放り込んでポートンの方へと近寄ってきた。
 アニスが出て行ったのはポートンとヴァンがゆっくりと話す機会を与えるためだ。謝る機会を与えられたのだ、と気付かないほどポートンも愚かではない。
「ごめんなさいヴァン、あなたを殴ってしまった」
 手を伸ばせば届くヴァンに、手を伸ばすのは躊躇われた。けれどもヴァンは伸ばした手に気付いたかのようにそっとポートンの大きな手を取る。その手に唇を寄せて、ヴァンは包み込むように囁いた。
「ねえ、俺、アニスが好きだ」
 理由の分からない痛みが、ポートンの胸の奥を突き刺す。
「錯覚かもしれない、そんなこと分かってるし、助けて貰って好きって言われて勘違いしてるのかもしれない」
 言葉を選ぶようにゆっくりと、ヴァンは言葉を続ける。
「でも、今はそれでいいと思っている」
 柔らかいヴァンの声が繰り返し繰り返しポートンの頭の中で再生されていく。まるで何かが響くように、胸の痛みは激しくなっていく一方だった。
「間違ってるなんて思わないし、今後どうなるかも分からない。お互い別の人と人生を歩んでいくかもしれないし、普通に女作って結婚するかもしれない。そんなの誰にも分からない。でも今をあやまちだとか思いたくない」
「ヴァン」
 思わずそれ以上の言葉を遮るように名前を呼んだ。
「俺の意志なんだポートン、分かってとは言わない」
「ヴァン」
 ヴァンの手を強く握り締める。噛みしめた唇と鈍く燻る胸の奥の痛み。
「いいんです、ごめんなさい。あなたがいいなら、私はそれでよかったのです」
 焔を噛み殺した。この胸の痛みは、子供が親の手を離れていく痛みだ。それ以外何ものでもない。違う、この胸の奥で燻った焔はけしてアニスのそれと同一ではない。
保護者でいい。そうだ、ヴァンもいつまでも子供ではない。自分で考えて、自分で決めた道を歩んでいくのだ。もうとっくの昔に、手は離れていた、ただそれだけだ。それを求めて、保護者であることを当然だと思っていただけに過ぎない。
 この痛みは幻だ。違うのだ。
 アニスの言葉がポートンの中で何度も何度も繰り返された。
 ───捨てちまえ。

「…私は堅物ですから、理解はしてあげられません。だけどあなたが選んだ道を否定していい権利など私にはない」
 ため息をついて目を閉じる。胸の内に燻っていた焔にゆっくりと蓋をした。そっとヴァンの小さな頭を撫でて、その焔が消えたことを確かめる。
「腫れてしまいましたね」
 アニスに言われなくても分かっていたはずなのに。
 ゆっくりとなぞったヴァンの頬。この唇を欲しいだなんて思った事はない。この瑞々しい、潤った桜色の唇を欲しいなどと、自分だけのものにしたいとなど思った事もない。
「ヴァン、私はいつでもあなたの味方です」
 指に乗せた癒しの光が頬を滑る。
「ポートン?」
「なんでもありません」


 私は強欲だ。だが私は貴方とは違う。
 ────この胸の痛みの理由など、生涯理解しないだろう。


 

 

 

end