Turn It into Love

 



 年末になると必ずつきまとうのが「実家に帰郷」と「大掃除」だ。
 今年も例に漏れずヴァンの携帯端末に実家から連絡が入ったが、ヴァンはあっさりと今年は帰らないと言い切った。もうあれから1年になる。
 ひんがしの国では、12月の事を師走というらしい。よく分からないが、高僧も走り回るくらい忙しくなるから、師走、というらしく、語源は曖昧だったが、その語感が気に入ってヴァンも俺も12月は師走という言葉を使う。師匠が走りまわるだなんて、少し想像したら面白いじゃないか。たまにはテンゼンもまともな話をするものだ、と感心したのも付け加えておく。
 そんな師走も最後。新しい年月になるまで残すところ3日というところで、ようやく俺たちの活動は年末年始休暇に入った。昨年はもう少し長く休みをとった気がするが、今年はナックたちの地上参入で随分と盛り上がりをみせ、つい昨日まで龍のねぐらで寝泊まりだったわけだ。
 結果、美味しいところはナックに持って行かれたものの、星芒祭当日も返上でねぐらにいた俺たちは相当アレな集団に違いない。ただ、同じ道を目指した者達が、同じ場所で、同じ時間に迎える星芒祭はやはり特別だったと言わざるを得ない。来年、最初の集合はまたねぐらで、と決めた。
 そんな話はともかくとして、長期の張り込みで疲れた身体を一日休め、翌日の今日俺が直面している問題とは。
 この山積みになった本だ。
 最近グリモアの関連書物が沢山刊行されて、つい買いあさった結果、元々書棚に入りきらなかった本達は、所狭しと部屋中に散らばって積まれることになった。何処に何を置いたかは覚えているのだが、さすがに縦積みされていると読みたいときに読みたい本が取り出せない。
 まさしく本に埋もれた生活とはこのことで、ベッドの上にも散らばった読みかけのグリモアが僅かに中身の入った酒瓶と一緒に転がってる姿はさすがの俺もどうにかしなくてはと思う。
 だがそうはいっても、備え付けの書棚の許容量はとうに超えていて、持ち込んだ愛用の書棚も一冊の隙間もないほど詰め込まれているわけで。新しい書棚を買おうにも、中々これといって、これだ、というものがない。
 それはデザインだったり。
 耐久性の問題だったり。
 まあ色々だ。
 さすがにこんな状況になってくると、ヴァンが来ても寝るどころか、座るところすらないのもかなりの問題だ。幸い、ヴァンとは昨日ついジタで盛り上がってしまい、立ち、ああいや、俺の性生活はどうでもいい。要するに、昨夜遅くにヴァンを送って寝かしつけたのでまだ時間的に少し余裕があるというわけだ。ヴァンが目を覚まし、俺の所に来る、と言い出す前に、座るところくらいは作らないと、あれはあれで非常に繊細な子なので、俺の部屋のこの惨状を見たら何を言い出すか分からない。
 整頓しようか、ならまだしも、軽く捨てようか、と言いそうで。
 この愛する蔵書たちは、俺の三十うん年の全て。ちゃんと一冊一冊何処に何が書かれているかも覚えている愛書だ。読まなくなった本は手放すし、置いておく価値もない本は捨てる。だがこれらは違うのだ。捨てるなんてとんでもない!
 と、興奮してしまったが、そうこうしているうちにもう十分が過ぎた。
 さあ、この本をどうする。
 ループしたところで、案の定目を覚ましたヴァンから通信が入った。まだ少し寝ぼけた様子で唸っているから、もう少し寝ててもいいよ、と優しく声をかけた。いや、けっして牽制したわけではないぞ。俺だって早く逢いたいし、抱きしめたいわけで。でも抱きしめるスペースの問題があってだな。まずはそこを解決しないことにはだな。
 まあ、全ての解決策は俺がヴァンの部屋に行くことなのだが、実はそれにも問題があって。
 ヴァンの部屋はレンタルハウスで、ベッドは平均的なヒュームのサイズなのだ。
 いや、俺もヒュームなのだが。
 ご存じの通り俺の身体はけして平均的とは言えない。この無駄に図体ばかり大きな俺には明らかに小さすぎる備え付けの”平均的な”サイズのベッド。あの動くたびにギシギシと鳴るベッドもいいものだが、それとこれはまた話が別だ。
 関係ないが俺のベッドは特注品の持ち込みだ。ジュノのレンタルハウスを引き払う時を想像するのが怖いが、備え付けのベッドが小さすぎたのだからこればかりは仕方がないと思わないか。
 結局色々考えていたせいでさっぱりはかどらない大掃除という名前の単なる整頓。
 今頃きっとヴァンは下層のあの店でホットドッグと珈琲を買ってこっちに向かっている頃だろう。ドアを開けたヴァンの、冷ややかな視線が俺に突き刺さるところまで想像した。
 嗚呼、俺好みのこのスペースにぴったりとおさまる耐久性に優れた書棚が存在すれば全て問題は解決なのに。立ち上がり本の海をかき分けて書棚の前に行き、優しく表面をさする。この持ち込んだ書棚は親父が作ったものだ。
 俺のために作られた、この世界でただひとつの書棚。
 俺の親父は、サンドリアの南にある田舎町で大工をしている。俺もゆくゆくは大工になるものだと思っていたが、予想に反して親父は必死になって俺を神学校に入れた。クリスタル戦争とか、色々あって結局は冒険者をしているけれど、あの時神学校に行かせてくれた親父には感謝してもしきれない。
 似たようなデザインのものをもう一度作ってもらえばいい、そう思うだろう。けれども親父は無理がたたって数年前に身体をこわし、もう大工の仕事はしていない。仕事を辞めると人間急激に老けるものだなと、親父を見て痛感したのが1年と数ヶ月前。頼んだところで、最早ものが作れるかどうかすら怪しい。
 そう物思いに耽っていたら突然ドアがノックされて開かれた。
「うわ」
 短くそう言って、ヴァンは部屋の惨状を見て言葉を失う。
「いや、その今整頓中で」
 必死で言い繕う俺に、ヴァンは腹を抱えて笑い出した。
「なにやってんだよ、これじゃあ俺座るところないじゃん」
 少しだけスペースあけてよ、とこの状況を見てもヴァンは部屋に入ってこようとする。冷たい言葉も、視線も、何もない。ヴァンはただ、機嫌良く笑いながら本の山をずらしていくだけだ。
 そうだよな。ヴァンが、本を捨てようだなんて言うはずがなかった。
「ベッド、おいで」
 ベッドの上に積まれていた本をどかし、ヴァンを呼ぶ。結局は隣の山に積まれただけではあるものの、一応のスペースは確保出来た。何処に何があるのか分かれば、別にこのままでもいいのだ。
「これで何処に何があるか把握してるのって無駄に頭使ってる気がしない?」
 ベッドに乗り上げて、手に持っていたホットドッグの包みを俺に渡したヴァンは、そのまま俺に顔を近づけて軽く唇を重ねた。短い水音。離れていく唇。
「アニス。腹、減ってない?」
「どっちの意味で?」
 質問に質問で返すと、ヴァンは不敵に笑った。今日はやけに機嫌がいいのは気のせいか。
「俺を先に食べると冷めちまう」
「ホットドッグは冷めてもうまいが、ヴァンは熱いうちに食べないとな」
 細い腰を抱えて抱き寄せ、ヴァンの身体を俺の下でベッドに横たえた。昨日のようにうつぶせにして、後ろから腰を抱えると僅かに肩が震えた。耳元に口を寄せて、大丈夫と囁くと小さく頷くヴァン。
「俺も、さ、捨てられない本ってあるんだ」
 手に垂らしたオイルを丁寧に馴染ませてるとヴァンがそう言った。
「ここ来れば読めるのに、何でか手放せない」
「分かるよ」
 シーツを握り締めたヴァンの指に力が籠もる。
「つい揃えたシュルツ軍学論全集とか」
「ギヌヴァ全集、とか、だろ」
 そうそう、と頷きながらヴァンは小さく息を吐いた。ゆっくりと腰を押し進めながらシーツを握り締めるヴァンの手に自分の手を重ねると、ヴァンは微かに笑った。
「どうせすぐ手に取りたくなるから、側に置いておけば」
 何処にあるか分かればいいから。
 背中から、小さなヴァンを抱きしめる。後ろからだった体位をヴァンを抱えることで座位にしてやると、顔だけ俺の方へ向けてキスをねだってきた。それに軽く応えながら俺は幸せを噛みしめる。
 いいんだよ、それで。
 そう言われた気がして、整頓が莫迦らしくなったわけではなかったけれど、言葉に出来ない肯定された嬉しさ、みたいなもの、だろうか。全てを置いておく事は出来ない。理解していたけれど、実行出来なかった事。中々手に取らなくなった本を自国のレンタルハウスに送り返して、俺はここにヴァンとのスペースを作ろうと思った。
 それはすぐに手に取りたくなるものを、側に置くためだ。
 しっかりと繋いだ手。繋がった身体と身体。
 ミラテテ様言行録みたく読みやすくすんなり頭に入ってくるのもいいが、俺はギヌヴァみたく難解である方が好きだ。それがためになるかならないかはさておいて、そうやってどこかで頭を使わないと気が済まないのだろう。だけど、ヴァンの単純明快な言葉はもっと好きだ。ミラテテの言葉よりもすんなりと頭に染み渡ってくる。いつもそうやって、ヴァンの言葉は俺を前へ動かしていく。ヴァンの言葉はいつだって、誰の、どんな名言よりも、俺に響いた。
「なあ、ヴァン。俺はお前を側に置きたいんだけど」
 抱えたヴァンの腰を上下させながらそう首筋で囁くと、ヴァンが吹き出した。
「俺を置いておくスペースは?」
 俺は躊躇わず言った。
「ベッドで」
「バカ言ってろ」
 そう言って笑ったヴァンの汗ばんだ頬を引き寄せて噛み付くようにキスをした。
 いつか読まなくなる本があるように、捨てられてしまう戦術や戦略があるように。全てに永遠などない。だけどそれらは新しい戦略に必ず取り入れられ、変化し、数多の人によって昇華され、さらなる戦術となって引き継がれていく。俺とヴァンも今この瞬間の永遠より、いい意味での変化をしていかなければならないと思う。
 それは覚悟だったり、色々なしがらみとの真っ向勝負だったりするわけだが。
 何にせよ、目下の所超絶清く正しく美しくの大恋愛中カラナック大先生よりもその決断を迫られる日は近いのではないかと思ってみたりもする。俺たちが汚れているというわけでは断じてない。
「あぁ、腹減った」
「俺喰いながら言う台詞かそれ」
「ホットドッグ」
「このクソオヤジが」
 何したか、とか何を言ってるのか、なんてよい子の皆さんには分からなくていい。
 結局昨日も盛り上がった癖に、三十路半ばの老体にむち打って抜かずの複数回プレイ強要とか若い子って怖いなおい。ついて行く俺の身体も怖いが、こういうとき魔道士としては規格外に鍛えていてよかったと思わざるを得ない。
「もう暫く読んでいない本、自国に送り返すから手伝ってくれよ」
 ぐったりとベッドに横たわったまま煙草を引き寄せるとその手を取られる。
「いいよ、でももうちょいこのまま」
 ヴァンにしては珍しく指を絡めて額を俺の身体に押し当ててきた。さすがに疲れたのか、覗き込んでみれば目を閉じて今にも眠りに落ちそうだ。
「一眠りしてからでいい」
 うん、と軽く頷いて、ヴァンは規則正しい寝息を立て始める。
 なんとなくその寝顔を見ながら、俺って幸せものだよなあ、なんて呟いてみたり。シーツをそっと引き寄せて、ヴァンの肩に掛けた。きっと次に目が覚めるのは夕方だろう。それまでに少しは整頓して、珈琲でもいれて。ああ、冷めてしまったホットドッグもあたためなくては。
 ゆっくりと絡めた指をほどくと微かに声をあげるも、ヴァンが起きる様子はなかった。
 薬指に嵌められた俺の愛用していたダイアリング。サイズを調整してしまったから、もう俺が嵌めることは出来ない。なあ、お前さえ良ければ俺だって家の一軒くらい借りてもいいんだが。でもレンタルハウスのほうが気が楽か。
 なんか色々考え始めたら作業なんかどうでもよくなってくるな。
 このまま俺も一緒に少し寝てしまおうか、なんて一度思ったら身体を起こすことがやけに億劫になってくるのは元々の性分だろうか。いいよな、起きてからで。有名な「ダイエットは明日から」って言葉があるように、整理整頓も明日からだ。
 結局起こしかけた身体を元の場所に戻し、ヴァンの指をもう一度握り締めると、俺もまた目を閉じた。目を閉じればやっぱり疲れていたのかもの凄い勢いで睡魔が襲ってくる。
 山積みになった本を思いながら、俺もまたヴァンと共に眠りに落ちた。

 
 

 

End