星降る夜の贈り物

 





 俺が生きてきた35年の中で、後悔している事が二つある。
 


 逆に言えば、後悔したのは二つだけ、という幸せな人生とも言えるかもしれないが、それは慰めでしかない。小さな後悔は生きていればいくつもあるが、悔やんでも悔やみきれないほど大きな後悔は少なくあるべきだ。
 要するに、俺は二つもある大きな後悔を背負って今を生きているということに他ならない。

 そのひとつは、前のLSで俺がやってしまったこと。
 そして、もうひとつが、ヴァンを好きになったこと、だ。

 普通、こういう場合は例えそれが成就しなくても「お前を好きになって良かった」と締め括られるのが恋愛小説などにおけるセオリーであるが、現実はそんなに甘いものではない。

 大切な友人が、世話になった人の、さらに世話になった人の息子、というなんだかとても複雑な関係なのだが、そこまで遠ければ好きにしてもいいだろうと思わないでもない。しかし彼を取り巻く過保護なヤツらは俺に首を縦に振らないわけで。
 当たり前と言えば当たり前ではある。
 至極ノーマルな反応だ。

 しかもヴァンがそれなりにそれ相応の地位を持った裕福な家庭で生まれ育っているとなれば、素性を知っている奴らが「はいそうですか」と簡単に頷くはずがない。
 冒険者になった時点で、地位だのなんだのとそういう事は忘れるべきだとは思うが、気にするのは本人ではなく周囲なのはこれまた世界の常識。
 育ちがよさそうだなあとは出会った時から思っていたけれど、いざ本人以外から強制的に聞かされると顔がひきつった。本人以外からと、強制的、これ重要。試験に出ます。
 ヴァンは当然ながら一言もそんなことは言わない。むしろ冒険者の素性なんて誰も気にしない。

 別に恋愛に家系だの地位だのが関係するなんて思ってもいないけれど、例えば「息子さんを俺にください」なんてご両親にご挨拶するなんて事になったら、と思うとぞっとする。
 あり得ないが。ありえない。「息子さん」って時点でおかしい。

 むしろそれ以前の問題だということに気付くべきだ。

 そこで俺も「お前とは住む世界が違ったのだ」と諦めればいいのに、諦められないからたちが悪いのだ。まるでこれでは、姫君に恋をした侍従という世間一般でありふれた恋愛小説じゃないか。
 悲しいかな、その手の小説のラストは侍従が姫君をかっさらってハッピーエンドと相場が決まっている。姫君だって侍従を選ぶのだ。きっと侍従が余程のイケメンなんだろう。じゃなかったら姫君も選ばない。なんて世知辛い世の中だ畜生。

 いやそんな話を妄想したいわけじゃない。

 だけど、ピンチの姫君を救うのはいつだって隣国の王子なのだ、という現実。

 どこまで話がそれたか忘れたが、根本的に俺達は男同士で、ヴァンは姫君でもなければ王子でもない。
 そして恋愛ってのは、周りがどうこういうものじゃなく、本人同士の問題であるべきだ。
 男同士で恋愛が成立するかという問題はこの際置いておく。

 そんな答えの出ない馬鹿なループにはまって、悶々としている中、ヴァナディールでは俺が生まれて36回目のクリスマスを迎える。
 昔はクリスマスを共に過ごす女もいたが、ここ数年ご無沙汰だ。
 女というのは計り知れないほど聡い生き物で、他に思い人がいることを一瞬で見抜いていく。例えそれが叶わぬ恋であったとしても、自分以外のことを考える瞬間があることが許せないのかもしれない。

 ジュノで流れる往年の少し切ないクリスマスソング。
 恋人達が駆け抜けていく大陸と大陸を繋ぐ巨大なジュノブリッジ。

 微かに響く鈴の音。
 きらびやかに光るクリスマスツリー。
 俺の隣に、欲しいやつの姿はない。
 今頃あいつの側には、あの憎き金髪がいる。
 2週間前突如俺からヴァンを奪ったあの金髪ポニーテール。クリスマス間近になって、あっさりとヴァンの隣というポジションに割り込んできたいけ好かない女。野良アサルトでヴァンに一目惚れしたらしい。
 …俺が先に一目惚れしたのに。

 ため息一つ。

 空を見上げると、きらきらと輝く結晶が、降り注ぐ。
 雪だ。

 このまま降り注いで、俺の心ごと凍っていけばいいのに。
 この思いを全部、凍らせて閉じこめてしまえればいいのに。

 雪は俺の身体に落ちた瞬間に溶けていく。
 凍らすなんて無理な話だ。

 無理なんだ。
 無理なんだよ。

 お前が側にいるだけで、俺の季節はいつだって春なんだから。

 正直「おわってんな」とか「お前キモイ」とかもう聞き飽きた。
 自分でも終わってると思ってるが、こればかりはどうにもならない。正直自分でもどうかと思う。
 だけど、俺はヴァンが死ぬほど好きで、どうしようもないくらい好きで、そんな馬鹿であることだけは確かだ。

「好きなんだよね…」

 自嘲気味にそう呟いたら、あり得ない返事がかえってきた。

「なにがだよ、雪か?」
 真っ直ぐ目の前を見ると、そこには長いマフラーを首に巻き、寒そうに肩を竦めたヴァンが居た。
 あり得ない。本物か。マジか。なんだこれは。俺の妄想か。幻か。
「なんで」
 これは神様が恵まれない俺にくれたクリスマスプレゼントか。
 嗚呼、アルタナ様、プロマシア様、ウガレピ様。俺今だけあんたたちを崇める。
「アニスキモイー」
 その一言が俺を我に返らせる。
「何ぼけっとしてんだ、ジュノの往来で。探したぞ、テルにも反応ないしさ」
 うそ、マジで。てか探したってホント?
 慌てて端末見たら、テルを知らせるほんのりとした魔法の灯りが点滅していた。
「ほんとだ、悪い。雪見てぼけっとしすぎた」
 雪じゃ、ないんだけど。
 手袋しているのに寒いのか、ヴァンは白い息を手袋はぁっと吹きかけた。その手をそっと取ると、ヴァンは少しだけ笑って、寒くねぇの?、と言った。

 だから俺はお前がいると年中春なんだって。言えないけど。常春ってやつよ、頭の中がな。
 お前が近くにいるだけで、俺はほわーっと暖かくなっちまうんだよ。心も体も全部が。いい年して。

「寒いからさっさと行こうぜ」
「どこへ」
 そう問いかけると、ヴァンは眉をひそめて、何を言ってるんだアホアニスめ、という顔をした。
 いや、てか、今日はイヴだぞ。分かってるのか、ヴァン。
「お前、彼女は」
「昨日あっさり振られてきた」
「なんで、お前」
 今日はクリスマスイヴで、お前の彼女は今日を楽しみにしていたんじゃないのか。
 …お前も。
「なんでって、今日は誕生日だろ」
 誰の。

 …まさか俺のか。

「ちゃんと言ってあったんだけどさ、まさか本気にしてないと思わなくて」
 小さく昨日大げんかですよ、と続けたヴァンは俺から視線を逸らした。
 お前馬鹿だろう。
 大馬鹿だろう。
 普通、彼女持ちがイヴに友人の誕生日、しかも男、とかあり得ないだろ。彼女も冗談だと思ってたのは頷ける話だ。彼女と俺と比べて、なんで俺を選ぶんだ。しつこいようだがイヴだぞ、今日は。
「お前こんな大事なイベント日に」
「アニスはアホですかー、アニスの誕生日だって1年に1回のイベントでしょ」
 どこかの誰かの見知らぬ生誕日を祝うなら、目の前の友人の誕生日の方が大事だろ、とヴァンは言う。

 そんなことするから、俺はお前を諦められないままこうやって今も足掻いているんだ。
 お前はそうやって俺を。

「あ、なんだよ。やっぱり寒いんだろ」
 そう言って、ヴァンは涙目の俺に、仄かなぬくもりの残るマフラーを巻き付ける。
「それ、やるよ。俺のお下がりだけど」
 何気ない、こんな。
 どうして。
 俺はどうしたら。
「あ、アニスのが年上だからお上がり?今年のプレゼントそれでいい?」
 昨日一日喧嘩しててなんも準備出来てないんだ、とヴァンはいつもと同じように笑うから。

 俺も、笑うしかなくなるんだ。

「ハッピーバースデー、アニス」

 お前がそうやって俺の名前を呼んでくれるから。
 俺はこの恋心を捨てられずに今もいるのだ。
 そうだ、これは淡い恋。今にも溶けそうな、雪の結晶のように儚い恋心。だけど俺の心の中で、いつまでも溶けることのないまま、形を残す。

 これを後悔と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
 俺はこれからもこの気持ちを抱えたまま生きていく。
 隣を歩く、それだけの喜びと、そんな小さな幸せをこれからも抱きしめていく。

 でも今日だけ、今だけは。
 少しだけ許して欲しい。だって、今日はイヴだから。

「ヴァン」
 そう呼んで、振り返ったヴァンの首に、俺が巻いたマフラーの先を絡めた。
 一本のマフラーを、二人で分ける、なんてどこぞの小説にも今日日出てこないだろう。腕の中に収まってしまう、そんなヴァンの身体を背中から抱きしめて、俺は精一杯の気持ちを込めて、ありがとう、と言った。
 馬鹿な俺は泣いていたかもしれない。

「黒魔のコートはあったかいな。今からじゃレストランどこもあいてなさそうだし、酒でも買って俺んち行く?」
 レストランってお前、周りはカップルだらけだろうに。
 こんな日に男二人でレストラン、とか。俺は本望だが正直ヴァンが可哀想だ。
 しかし当の本人はそんなこと微塵も気にしてなさそうで、俺は少しだけ彼女だった女に同情した。過去最短記録の破局の気もするが、そんなことはどうでもいいな。

 ヴァンは俺を選んだ。この星降る夜に、俺を。

「バタリアで雪見酒にしよう」
「俺が寒がりなの知ってる癖に。意地悪。俺が凍死してもいいんだ」

 そんな可愛いヴァンが白い息を吐いて鼻をすすったから、俺はヴァンの肩を「自然に」抱いてレンタルハウスへと促すのだった。


 今夜は星の代わりに雪が降った。
 ───雪降る夜の贈り物。


 星の代わりに雪に願いをかける。
 願い事?

 野暮なことは聞くな。

 

 

end