Corsage

 


 あたしの頬に飛んだのは、生温かな液体。




 目の前であたしの、目の前で、ヴァンが横殴りに吹っ飛んだのを、あたしはスローモーションで見た。
 巨大なドールの大きな手が、ヴァンの頭を薙いだのだ。

 そのまま床に倒れたヴァンから飛び散った血が、壁にも飛んだ。
 さすがに、このドールを連れてきた従者も、余りにも凄惨な光景に立ちすくんだ。

「あ、あ、ヴァン?」

 ヴァンは動かない。
 いつもの戦士ならともかく、今は軽装の白魔。
 いや、そもそも殴られたのが頭だ。

 やだ、やだな、ヴァン、なんであたしをかばったの。
 あたしの方がつよいじゃん、あんた今白魔じゃない。

 なんでよ、どうしてかばったのよ!

「いや、やだヴァン、ねえ、ちょっと」

 ヴァンをなぎ払ったドールの矛先はあたしに向いていた。
 だけど、あたしは、叫ぶことしかできなくて。

 エラッタのフラッシュがあたしを助けた。
 でもエラッタじゃ、このドールを倒せない。
 分かってるのに身体が動かない。

 血が。
 ヴァンが。
 動かない。

「ファニーさん、しっかりして。私じゃ無理です、お願いヴァンさん連れて逃げて」

 エラッタは自分を省みず、ヴァンにケアルを詠唱した。
 何度も、何度も。
 白い光がヴァンを包んでは消える。

「ここにこんなの居るわけナイじゃない!絡まれるわけないじゃない!こんなところまで連れてきたのはあんたたちでしょ!」
「あたしたちのせいじゃないわ!勝手に絡まれたあんたが悪いのよ!死んじゃえ!」

 泣きながら叫んだ。
 我に返ったシィルさんがエラッタにケアルをかけてくれる。
 そして、ヴァンにも。

 従者たちはびびってるのか一歩も動かなかった。
 あたしはヴァンを助け起こすが、ヴァンの顔は流れ出た血で真っ赤に汚れていた。
 息があるかも分からない、脈は、ねえ脈。
 頭を抱えて小さなヴァンを抱きしめた。
 どうしよう、どうしてこんな事に。

「ファニーさん、ねえもう無理、お願い」
「まあ、立派なMPKだよな。エラッタ、インビンしろ」

 聞き覚えのある声がして、エラッタに指示が飛んだ。
 その直後、激しい雷鳴が轟いて、マニピュレーターに凄まじい落雷が直撃した。
 同時にエラッタが剣と盾を交差させてインビンシブルを発動させる。

「全く、次から次と問題ごとを」

 後方からため息混じりのポートンが、エラッタに高位ケアルを投げた。

「違う、違うわ!あたしはなにもしてない!彼らが勝手にやったことよ!」

 この期に及んでどこかの政治家のような捨て台詞を吐いて、タルがデジョンした。
 従者の表情まで見る余裕はなかったけど、みな一様に呆然としていたと思う。

 アルがきて、ポートンが来てくれたから、あたしたちはなんとかマニピュレーターを倒すことが出来た。
 ドールの身体を構成していたものが全て鉄くずになって床に散らばる。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 タルがデジョンした後、従者は後を追う様に逃げた。
 ひとり残ったシィルさんが、終わったあとあたしのそばまできて何度も謝った。

「あなたはとめようとしてくれたのだから、気にしないで」

 あたしはそう言うのが精いっぱいで。

「ポートンどうだ、ヴァンは」
「頭は傷の割りに出血が多いですからね」
「大丈夫って事、ですか?」

 エラッタも心配そうに覗き込む。

「大丈夫ですよ、もう少ししたら気がつくと思います」
「よかったぁ…」

 へなへなとエラッタが床に座り込み、アルが驚いて隣に駆け寄った。
 ヴァンが無事で、よかった、と思う。

 本当に。

 よかった。

「泣かないでファニー」

 ポートンがあたしを撫でてくれた。
 そして、その大きな腕で、あたしをぎゅっと抱きしめてくれた。
 あたしは、もう、堪え切れなくて。

 声をあげて泣いた。


 その後どうやって帰ったとか、実は覚えてない。





「驚かせて悪かったな、ファニー」

 アルザビのシャララトでパニーニを頬張っていたら、後ろから声を掛けられた。
 振り返ると、今日もアリストチュニックを着たヴァンが立っていた。
 まさかアリストだったとはね。
 てかよく見たら、指ラジャスだし。
 まさか耳、ブルタルに素破かそれは。

「座ったら、何か食べる?」
「いや、今から予定があるから」

 僅かに肩をすくめて見せるヴァン。

「ごめんな」
「謝るのはこっちよ、変な場所に呼び出してごめんなさい。怪我の具合はどう?」
「大丈夫、心配かけました」
「ううん、こちらこそ。色々ありがと」

 ヴァンは薄く笑った。
 この子、こんな色っぽく笑ったっけ。

「お前の顔に傷、つかなくて良かった」

 そういわれて、申し訳なく思うと同時に、ヴァンの顔をじっとみた。
 額の丁度生え際近くに、小さく抉られた痕が見えた。
 気付いたヴァンがそっと手をかぶせる。思ったより目立たなくて良かった。

「あたしは…、ヴァンの顔の方が嫌だな」
「アホか。お前は女の子なんだし、いつも綺麗にしてるのに傷なんかついたら困るだろ」

 なんか、驚いた。
 そしてちょっと恥ずかしくなった。

「なんだよ」
「ううん、そんなこと言われたの初めてだったから、その、ありがと」
「そうだっけ、まあなんだ。コサージュ作ったら、ちゃんと見せろよなー」

 あーちくしょう、可愛い。
 なによこの可愛い男は。

「うん、あんたの分も作ってあげる」
「いらねえ」

 本気で嫌そうな顔をするヴァンに思わず吹いた。

「ほら、アニスさん待たせてるんでしょ。あたしも今からエラッタとリベンジ」
「気をつけろよ。じゃあ、また」

 細い肩、細い腰。いや、ヴァン見て言ったわけじゃないよ。
 小柄な身体に憧れたこともあるけど、あたしはあたし。
 似合わないとか、卑屈になるのはもうやめよう。

 可愛い生き物の背中が見えなくなってから、ふと目の前に視線をうつした。

「ファニー、ご一緒していいですか?」

 ポートンがトレイをもってあたしの前にいた。


「もちろんよ」


END