Chicken or Beef ?/Scourge

 



「なあ」
 響いていた笑い声が、ねぐらを包む凛とした空気に溶けてなくなった頃、今度はクェスがヴァンに問いかけてくる。瓶を抱え、口元に当てながら水を飲むこともせず、いつになく真剣な声が真っ直ぐ耳に届いた。
「お前だけはアニスを裏切らないでくれ」
 予想もしなかった言葉にヴァンは思わずクェスを振り返る。クェスは真っ直ぐ前を向いたままで、振り向いたヴァンの方を見ようともせず、ただじっと膝を抱えていた。
「あんたも、だろ」
 ヴァン自身裏切るつもりは全くなかったが、クェスにそういった心配をされることの方が堪えた。裏切ると、そう思われているというのか、含みのある言葉に思わず険しく言葉を返す。
「俺たちは裏切らない。誰も口には出さないが」
「なんだよ、それ」
 予想もしなかったクェスの言葉に、ヴァンは戸惑いを隠せないでいた。宙を泳いだ視線が、クェスに向けられてすぐに地面へと向かう。
「裏切ったの、カラナックなの」
 あからさまに失言だったという様子のクェスから、眉間に寄ったしわを隠すようにヴァンは腕の中に顔を埋めた。クェスが首を横に振る。
 違うんだ、カラナックじゃない、悪かった、カラナックじゃないんだ。
 そう何度も否定して、クェスは僅かに身体をずらすとヴァンの頭を優しく撫でた。
「すまなかった、変なことを言った」
 ごめんな、優しい声がヴァンの近くで響く。
「酔ってないときに、それも含めてお前にはちゃんと話しておかないとな」
 アニスを裏切った誰か。
 それが、このリンクシェルが出来たきっかけなのだ、ということくらいヴァンにも想像がついた。そのきっかけが、シェルを二分するような規模のものだった事も、アニスを含め、クェスや多分漏れなく他の皆にも未だ深く根を下ろす事だったであろうことも、何となく察しがついた。
 裏切りとはなにか。
 人の心に残るような傷を付ける裏切りとは一体なんなのか。
 ヴァンは静かに首を横に振った。
「ナックじゃなくてよかった」
「そうだな」
もう一度ヴァンの頭を撫でて、クェスは手を戻す。
 理由を聞きたい。知りたい。だが、今聞くべき場所でも、状況でもない。それくらいは酔った頭でも理解出来た。
「近いうちに、な」
 ヴァンが素直に頷いてみせると、クェスはホッとした様子で乾いてしまったであろう喉を潤す。
 彼らはアニスのことになると見境がなくなる、と思わされる瞬間だった。そこにあるのは、本当に信頼なのか、同情なのか。
 それとも、罪悪感なのか。
 多分どれも間違いで、どれも正解なのだろう。折り重なった複雑な感情が、この信頼関係を築いている気がした。それは悪いことではないと思う。昔助けられなかった人を、助けたいと思う事は普通なのだから。
 今なら救う事が出来ただろうか、とヴァンもまた腹に残る傷に手を添えた。
 助けられなかった人。助けたかった人。
 生きているなら、また助けることも、助けられる事もあるだろう。アニスは生きている。誰かを助けられなかった分、今ある誰かを助けたい。自分たちは生きていく限り、誰かを助け、誰かに助けられて生きていく。
 出来ればアニスの口から聞きたかったが、アニスはきっと話そうとしないだろう。それに客観的にクェスの口から聞いた方がいいのかもしれないと思い直し、ヴァンは小さく約束だからな、とクェスに念を押した。
 クェスは頷いて微かに笑うと、空になった瓶を地面に置いた。
 空を仰ぐ。
 何処までも高く、突き抜ける夜空。木の葉の間だから僅かにのぞく満天の星が、今にも真龍の影に遮られる気がした。遠くで真龍のいななきが聞こえ、風と共に大きな翼音をたてて降りてくる、そんな幻。
 ヴァンと同じように、クェスもまた幻を見たのだろう。
「それで、崇高なる大指揮官様はもし今真龍がやってきたらどうするんだ」
「そこで寝てるネコ起こしてケツまくって逃げる」
 そりゃあいい判断だ、とクェスは声を高らかに笑った。


 

 

End