Time Passed Me By/Envy

 


 


 薄明かりの酒場。

 客足も疎らなバストゥーク鉱山区の安宿。テーブル代わりの木箱にブリキのマグが無造作に置かれている。つまみは干し肉と決まっていて、ここコウモリのねぐら亭の手作り干し肉は絶品だ。
 久しぶりに二人で酒を飲む。
 アニスは気持ちよさそうにマグの中身をあけると、自分で樽から新しいエールを注いだ。いつも何かを我慢しているかのような表情だったアニスの、柔らかな笑顔に少しだけ安堵した。ヴァンとはうまくいってるらしい。
「こうやって二人で飲むの、久しぶりな気がするな」
「お前が3ヶ月もモルディオンにいるからだ」
「言わなかったのは悪かったよ」
 ばつが悪そうに笑ってみせるアニス。
「また、5年前のようになるかと思った」
 言ってから、少しだけ後悔した。
 5年前、アニスと自分は同じLSに所属していた。所謂冒険者時代の幕開けを、ひたすらに、がむしゃらに突っ走っていた。各地に眠る財宝、そして強大なHNMと呼ばれる凶悪なモンスター。必死に追い求め、毎日ありとあらゆる場所をかけずり回った。
 肥大化していたLSが分裂し始めていた事に気づいた時には、それを止める術はもはやなかった。
 とある事件をきっかけに、LSは完全に分裂。アニスは信頼できるメンバーと共にLSを脱退し新規LSを立ち上げた。自分はLSに残り、再編を誓った。
 その事件は重たくアニスの肩にのし掛かり、それ以降彼の表情に暗い影を落とし続けることになる。
 後悔していないわけじゃない。
 だけど、あの時、アニスについていくわけにはいかなかった。裏切りを知りつつも、アニスにそれを伝えなかった自分が、肩を並べる訳にはいかなかったのだ。
 仕方がなかった、という言葉では許しを請うことすら出来ない。
「今度こそ、俺はお前を助けたかったよ」
 つい口走った言葉。
「感謝してるよ」
 アニスが笑った。
 話が途切れ、わずかに開いた間。気まずさを打ち払うかのように、話題を変える。
「それで、ヴァンとはうまくいってんのか」
「こういうのも恥ずかしいんだが」
 前置きで一端言葉を止めると、アニスは唇を湿らすかのようにエールを飲んだ。
 少し酔っているのが分かる。
「俺、今凄い幸せ」
 今日は置いてきてよかったのか、と聞くべきか悩んだが、四六時中一緒にいるわけでもないだろうと思ってやめた。
「お前は進展なしか」
「俺はルゥが親子だと言ってるうちは待つと決めたからな」
 アニスがそれでいいのか、という視線を寄越した。
 それでいいと思う。今ルルゥが求めているのは恋人でも父親でもなく、受け入れてくれる温かな家族だ。
 ルルゥが戦争で両親を失ったとき、まだ物心もつかないときだったと聞く。当時はそんな子供が溢れていて、孤児院はけしていい環境ではなかった。
 ルルゥは愛想笑いの一つくらい出来ればまだよかったが、辛気くさい人の顔色ばかりを伺う小動物のような子だった。出会ったとき既に二十歳を超えており、冒険者になれと孤児院を体よく追い出されたのは言うまでもない。行く場所も、帰る場所もない、という様子で南サンドリアの片隅で蹲っていたルルゥに声を掛けたのは偶然。
「あいつは無償の愛を求めてる、そして俺はそれを与えられる」
 だから、待つ。ルルゥが、俺のことを一人の他人として見られるようになるまで。
 出会った頃、二十歳を超えているとは思えないほどの無教養っぷりに泣かされた。それでも根気強く、色々な事を教えた。文字も書けなければ、読むことも難しいと言ったルルゥに子供が読む本を与えてきた。今でこそ読み書きも人並みに出来るようになったが、その努力は賞賛に値する。
 ルルゥが俺を親だと思うのも俺がそうしてきたからだ。そう、仕向けてきたのだ。
 だから、俺には待つ義務がある。待たなくてはならない。
「お前は凄いな」
「全然。正直毎日不安でしょうがない」
 いつ、女作るか、とか。
 どこかへ行ってしまうのじゃないか、とか。
 俺はルルゥが絶対に待っていてくれる、と思って好き勝手に出かけていくダメな男だ。待っているのがルルゥではなく女だったら、間違いなく愛想を尽かすような状況だとも思ってる。でも、俺が扉を叩けば、ルルゥはいつも笑顔で出迎えてくれる。
 甘えてる。
 俺も、ルルゥも、家族を求めてる。帰る場所を、安らぐ場所を。
 もし、ルルゥが俺以外で愛を知ればそれはそれでいい。そのときは父親として笑って送り出せばいい。寂しいと思うが、娘を送り出す父親の気分だ。一生を父親として過ごすのも悪くはないだろう。
 それでも、ふとした瞬間に願う。
 それを願うのは、傲慢だろうか。
「一つ叶えば二つ三つと欲しくなる、人の欲望とは限りがない」
「違いない」


 拙い言葉で綴ったルルゥの詩は、真っ直ぐで心に染み渡る。
 だけど彼の作った詩には、愛の言葉はない。


 

 

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