Scourge

 





 気怠さを抱えたまま、ヴァンは目を覚ます。


 時刻はお昼過ぎだろうか、小さな窓から差し込む日差しは高い。1日の大半をベッドで過ごして、今日で5日目になる。動かないから気怠いのか、それとも気怠くて動けないのか、分からないまま時間だけが過ぎていた。
 目が覚めたとき、ヴァンの記憶の一部は欠落していた。説明されて初めて何が起こったかを思い出し、激しく嘔吐した事だけは酷く鮮明に覚えている。

 毎日決まった時間に、調子を尋ねるテルがアニスから入る。
「大丈夫か、少しは落ち着いたか」
「うん、だいぶ」
 そう答え続けて早5日だ。そう答えてはいるが、大丈夫でないのはアニスも分かっているらしい。
「何か入り用なものはあるか、食べたいものは」
「ないよ、大丈夫」
「食べてるか、ちゃんと」
「…ああ、うん」
 最後にいつ何を食べたか思い出せずに、曖昧な答えになった事を悔やむ。案の定アニスは気づいた様子で、小さなため息が聞こえた。
「何が食べれそうか言え」
「オレンジクーヘン」
 いつもなら怒られるのに、アニスは何も言わなかった。それなら食えるんだな、と念を押して、通信は一方的に切られる。携帯端末を机の上に無造作に放り投げ、きっと宅配で送ってくるだろうとモーグリを呼び出しかけたところで、レンタルハウスの扉がノックさた。
 突然の音に心臓が飛び上がる。
 返事できずにいると、扉の外からアニスの声が聞こえた。
「驚かせて悪い」
「いや、ごめん」
 鍵を外し、扉を開けて久しぶりにアニスを迎え入れる。ずっとテルだけで、あれからアニスが尋ねてきたのは今日が初めてだ。正直なところ、ヴァン自身どんな顔をして逢えばいいか分からないところもあり、その気遣いはありがたいものだった。
「俺、そんな巨大なオレンジクーヘン頼んだっけ」
 アニスは笑いながら両手で抱えた重そうな紙袋を床においた。
「多分何もないだろうと思って色々買ってきただけだ」
 紙袋からいくつかの食料品を取り出すと、アニスはその様子をじっと見ていたヴァンを振り返る。
「お前、やっぱり痩せたな」
「そうかな」
 腕を持ち上げて自分の身体を確認するヴァン。
「このあたりが」
 そう言ってアニスがヴァンの頬に手を伸ばすと、突然ヴァンは怯えるように身構えた。最後まで伸ばし損ねた指先が、ヴァンに触れる前に握られ、降ろされる。
「悪い」
「いや、ちょっと驚いただけ」
 無理に笑みを作ってヴァンはアニスから離れた。
 今にも泣きそうなヴァンの歪んだ笑顔に胸が痛む。ヴァンの受けた行為は、彼に深い爪痕を遺した。ベッドの脇に立って、じっとアニスが紙袋から取り出す食料品を見つめるヴァン。アニスとの距離は、そのままヴァンの傷の深さを表していた。
「次いつ集まるんだっけ」
 次から次と出てくる、普段はあまり買わないような食料を珍しそうに見ながら、ヴァンはなんともなしに呟く。
「…教えられない」
「あ、いやごめん、そういう意味じゃ、なくて、えと、俺まだみんなに謝ってないから、さ」
「クェスが、お前を処分すべきじゃない、とネコと一緒に怒鳴り込んできた。みんなもお前を心配してるし、誰も怒ってない」
「でも」
 ヴァンは3ヶ月間のLS活動禁止を言い渡されている。
 LSのルールに従って、表向きは情報漏洩の処分だ。
 アニスは同じ事が繰り返されないように、と一時的にLSと距離を取らせるつもりらしいが、正直なところHNMの情報など、目的のついでだったと思わずにいられない。
 いや、それすらブラフで、本当は情報目的で最初から仕組まれていたのかもしれない。
 だけど、もし同じ事が起きても、次はLSのみんなには迷惑は掛からない。そう思うと幾分か気分は楽になる。そして本当に情報目的なら、今のところヴァンには用はないはずだ。

 時間と距離をおけば、相手もそのうち忘れる。
 そうであって欲しいと、切に願う。

「なー、どうせやるならおっぱいあった方がいいよな」
 ベッドに寝転がってヴァンがぼやく。
「…俺に聞くなよ」

 お茶を煎れながらアニスは呟いた。


 

 

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