Chemical Reaction

 




 腕だ。
 誰の、ねえ、誰の腕だ。

「ケイ」
 グラールのケイさんを呼ぶ声が震えた。
 後ろから遅れて入ってきたリンクシェルメンバもみな息を飲む。
「あ、あぁ」
 零れる言葉を抑えることは出来なかった。
 目の前のベッドには、腕を投げ出したまま倒れるようにして眠る───眠ってるようにみえた、ケイさんがいた。タバードはきちんと壁に掛けられて、下に着ていた薄手のシャツが少しだけめくれている。
 床には殆ど空といってもいい酒瓶が転がっていた。
 その周囲には、小さな錠剤が点々と落ちて───
「ケイ!」
 グラールが飛び出す。
 皆、一様に最悪の事態を想像した。
 違うよね。ケイさんはお酒に酔っぱらって寝ているだけだ、ねえ、あんた酒好きだったろ。飲み過ぎなんだよ、瓶あけるって、いったいどれだけ飲んだんだ。なあ、ケイさん。
「クソったれ!ケイ、目を覚ませ」
 グラールがベッドの上で何かを見付けたらしく、乱暴にそれを掴み上げると床に叩き付けた。激しい音で、瓶が割れたのだと知った。白い、奇妙な錠剤が床に散らばって、それがろくでもないものだなんて、理解するのは一瞬過ぎて。
「水もってこい」
 グラールが俺を見て言った。とにかくよく分からないまま頷いて、俺は逃げるようにその場所を離れる。
 怖くて、ケイさんの顔が見られなかった。
 だって、きっと、俺が追い詰めた。衝動を後押ししたのは、間違いなく俺だ。
 エスさんとディーさんが医者を呼びに行って、俺は水を持って部屋に戻る。グラールはケイさんを抱き起こして、吐かせていた。それを見て、初めて俺はケイさんにまだ息があることを知った。
「ケイ、吐け。頼む、吐くんだ」
 抱きかかえられたケイさん。グラールの指がケイさんの口に差し入れられるのをただ見ていた。意識は朦朧としているのか、混濁しているのか、時折ゆっくりとまばたきするように開かれては閉じる目が、まるで人形のようで怖かった。
 どれだけそうしていただろう。
 エスさんたちが戻って来て、ケイさんを病院に運んでってところまでは覚えていた。グラールがケイさんを大事そうに抱えていたことも。
 ケイさんが自殺を図ったことは明白だった。
 処方された薬、だなんて言ってたけど、実際処方されていたのはきっと一部だけで、あの割れた瓶の中に詰められていた錠剤の殆どが、ケイさんが個人的に買い求めていたものに違いなかった。しかも、一般的な場所では到底手に入らない量だ。
 ケイさんという器に溜まった水はいっぱいで、ほんのちょっとの事で溢れ零れてしまう状態だった。そこに、手を入れたのは俺。溢れてしまった水はケイさんごと流してしまった。
 病院の前で無様にも立ち尽くした俺に、いつもは憎まれ口ばかり叩くモモが軽く背中を叩いてくる。
「元気だしなよ、ケイ大丈夫だって」
 そう言われて、胸に詰まっていた息をようやく吐いた。
「よかった」
 そう言うことしか出来なくて、慌てて零れそうになった涙を堪えた。目敏くモモが気付いて、小さく折りたたまれた木綿布を押しつけてくる。ケイさんとは違う小さく細い指が、俺の頭を撫でていった。
「気がついたら、会いに行きなよ」
「そうする」
 ケイさんとグラールがこれからどうなるのか分からないけれど、なんとなくおさまるべき所におさまるような気がした。ケイさんがそれを望むかどうかは別だけれど、少なくとも昔とは違って見える。俺なんかがどうこうしなくても、なるようになったのかもしれない。
 木綿布を握ったまま鼻を思いっきりすすったら、モモが冷ややかに、洗って返せよな、と言った。


 

 

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