Vana'Deal there ?

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※26から性描写の一部に生々しい表現がいくつかあります。
苦手な方は*のついた番号を飛ばしてください。読み飛ばしても大丈夫です。

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26>27*>28>29>30>31>32>33>34>35>36>37>38>39>40>41(最終話/完結済み)

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 高校を卒業して予てからの希望通り福祉方面へと進み、念願の介護の職に就いた。
 就職と同時に一足先に横浜を出ていた恋人───の、都内にある高級マンションに転がり込んで、忙しいけれど充実した毎日はとても幸せだった。
 恋人は某有名大学で細菌の研究をしていて、ラボに入った事をきっかけに殆ど家に帰らなくなってしまった。
 毎晩ラボに泊まり込み、たまに着替えのために帰宅する恋人と時間が合うのは稀で、あえない日々が長く続いた。
 それでも、時間を見付けてはかかってくる短い電話と、急いで打ったと思われる携帯メール。必ず「あいしてる」で締めくくられるそれ。今にも切れそうなほど細い、二人をつなぐ糸を永遠だと、信じた。
「───俺も、愛してる」

2008.08.05

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 珍しく休日にかかってきた電話に慌てて飛びついた。久しぶりの声に自然と口元が綻ぶ。
 元気だった、そう言う前に普段はゆっくりとした口調の恋人がやけに早口で、いかにも時間がないといった様子で言った。
「5月からイギリスに行くことになったから、準備しておいて」
 ごめんね。今時間がないから、詳しくはまた。
 最後の方は耳に入っていなかった。そう言って一方的に切られた電話に半ば呆然とした。
 いつもの、優しく囁くような、あいしてる、はない。恋人の独特の掠れた声が、耳に残った。
 こんな終わり方、考えていなかった。
 恋人からの連絡はそれ以降、ない。

2008.08.07

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 仕事の合間に時間を見付けては、恋人の荷物と自分の荷物を片付けた。後で思えば、そうすることで現実から目を背けていたのではないかとさえ思う。
 転がり込んだ自分の荷物は思った以上に少なくて、唯一自己主張をしていた目覚まし時計を握り締める。これは置いていこう。寝坊しがちな恋人が、向こうへ行ってもちゃんと起きられるように、そう願って。

 恋人に連絡が取れないまま1週間が過ぎ、出て行くことを決めた。会社の人の口利きで郊外のアパートを駐車場付きで格安にて借りることが出来たこともある。
 都内に自分の給料では生活することも難しい。横浜の実家に帰ることも考えたけれど、不規則な生活時間に家族を巻き込むのも躊躇われたのだ。

 何度も連絡を取ろうと試みた。けれども携帯電話のコール音は虚しく響き渡るだけだった。送ったメールも何一つ返ってこない。
 あいしてる、言葉は空気に溶け込むように消えた。

2008.08.08

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 引っ越しの日。
 繋がらない電話。メールにしようかと思ったが、悩んだ末手書きの手紙を残すことにした。
 愛してる、文字が震えて思っていたことの1割も言葉にはならなかった。 何を書いても、未練にしか思えなくて、結局鍵は管理人に渡しておくことと、恋人の成功を祈っていることを書いて、最後に未練がましく愛してる、と添えた。
 文字は震えて自分の文字じゃないみたいだった。

2008.08.10

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  引っ越しは荷物が少なかったことと、会社の人が手伝ってくれたこともあってすぐに終わってしまった。色々必要だろうと言って押しつけられた三日間の休みは、どうやって過ごせばいいか見当も付かない。
 貴重な休暇に呆然とする、なんて洒落にならない。ぽっかりと空いてしまった心の穴。あれから一度も鳴らない携帯。
 何故か、涙は一粒たりともこぼれ落ちることはなかった。

2008.08.12

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 とにかく荷解きをする。
 だけど、ものの2時間足らずで片付いてしまった四畳半の部屋。必要なものは沢山あって、買い物に行かなければならないというのになかなか腰が上がらず、結局のろのろと家を出たのは日が落ちてからだった。
 商品を目の前にして、何が必要だったのかすら考えられずに、空っぽの買い物かごを持ったまま商品棚の前で立ち尽くした。
 あれも、これも、もう要らない。
 必要、ないんだ。 

2008.08.13

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  とにかく必要だと思い至った僅かな荷物を持ってホームセンターを出る。どっぷりと日は暮れて、時計を見ればかなり遅い時間になっていた。とぼとぼと帰路について、新しい我が家の前でふと人影を見付けて顔を上げる。

 スーツに身を包んだ高校時代からの、共通の友人。
 最近忙しくて連絡をとっていなかったけれど、おもてだっては言えない間柄の恋人との関係を知っている数少ない一人だった。彼はすぐに気がつくと、持っていた煙草を灰皿代わりにしていた空き缶に入れて火を消した。その煙草の悲惨な状況から見て、随分と待っていたに違いない。
「電話、してくれたらよかったのに」
「何度もした」
 そう憮然とした態度で言われて慌てて携帯を探すも、ポケットのどこにも携帯はなかった。
「忘れて、出かけたみたい。ごめん」
「心配、したんだ」
 ごめん、もう一度謝ると、友人は呆れたようにため息をついた。 

2008.08.14(実はここで夢は終わった…)

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 まだ何もない部屋に友人を招き入れる。
 狭いけれど、今度からここが自分の城だ。今時珍しいトイレが共同の古い建物で、駐車場という名前の付いた空き地がついて破格にて借りることが出来た。部屋は四畳半に申し訳程度に付いた簡易キッチンのみ。玄関のドアをくぐればすぐにそこは部屋になる。
「なんにもないな」
 友人が呟いた。
 本当にその通りで、今この部屋にあるのはパイプベッドとカラーボックスがひとつだけだ。
 テレビやステレオは楽しむ時間がないから実家に置いてある。本当にここにあるのは、生きていく上で必要最低限のものしかない。
 買った荷物を片付けていると、袋の中には当たり前のように自分では飲まないインスタント珈琲が入っていた。
 莫迦みたいだ。
 誰が飲むっていうんだ。
 もう、飲む人なんて、ここにはいないのに。
 じわりと何かが込み上げて、慌てて友人を振り返る。
「珈琲飲む?」 

2008.08.15(ねつ造)

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「俺は引っ越すとか聞いてないぞ」
 突然腕を取られて引き寄せられる。
「何があったか言え」
 強く掴まれた腕。
「…イギリス、行くんだって」
「お前そんなので諦めるのか」
「そんなのって無茶言うな」
 インスタント珈琲の瓶を握り締めたまま友人を睨み付ける。待っててと言われたらいつまでだって待てた。だけど、きっと、忙しいって言葉で誤魔化して、心ごとすれ違っていたのだ。

2008.08.17(ねつ造2)

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「だけど、お前」
「あれから電話もメールもないんだ、俺にだってそれくらい」
 ───分かる。
 噛みしめた唇と胸の奥から込み上げる熱。
「じゃあ、俺がお前の恋人になるチャンスもあるって事だよな」
 突然強く肩を掴まれてベッドに背中を押しつけられた。拒むように腕を伸ばすと、まるでのしかかるように体重をかけられ、思わず呻く。安物のパイプベッドが軋んだ音を立てた。腰を押しつけられ、久しく感じていなかった下半身を覆う熱を否応がなしに意識させられる。込み上げた熱が、音を立てて溢れた。
 言葉を失った友人が、声もなくこぼした涙を静かにぬぐう。
 あふれ出した涙は、とどまることを知らず後から後から湧き出でた。
「ごめん、こんなときに、なんだけど、俺、最後にセックスしたのいつだろって」

2008.08.18(ねつ造3)

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 せめて最後に、いってらっしゃい、さよなら、と別れの言葉を伝えられたなら。心の整理も少しはついただろうか。
 愛してた。愛してる。
 俺はこれからも、ずっと、永遠に、君だけを愛してる。

 涙が止まるまで、友人はずっと待っていてくれた。ごめん、と小さく謝ると、友人は首を横に振った。
「いや、いい。お前、明日は?」
「休み、引っ越しで色々あるだろうってまさかの3連休」
 どう過ごせば分からないけれど、なんて言えるはずもなかったが、なんとなく雰囲気は伝わってしまったらしい。困ったように、落ち着いたら飯でも喰いに行こうな、と言われて気を遣わせたことを後悔した。
「じゃあ、俺は帰るよ」
「ありがとう」

2008.08.19(ねつ造4)

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 出て行く友人の背中を見送りながら、ずっと我慢してきた涙を流した。
 やっと、受け入れたのかもしれない。
 別れを。
 体中の水分が涙に変わったんじゃないかと思うほど、涙は次から次と溢れた。携帯の待ち受け画面で、少しだけ困ったように微笑む恋人を眺めて、日帰りで長距離ドライブに行ったことや、月明かりの下で口付けを交わした事を思い出した。
 あの時はこんな別れが来るなんて思わなかった。
 大好きだった恋人。今は少し時間をください。ちゃんと忘れるように努力するから。
 だから、あともう少しだけあなたを思って泣くことを許してください。

2008.08.20(ねつ造5)

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*****

 腹が立った。
 愛しているのに何も言わず諦めるあいつにも、手に入れておいて簡単に手放そうとするアイツも、横から掻っ攫うことの出来なかった自分にも。
 帰りの車の中で、たまりにたまって今にも溢れて消えそうな有給休暇を数えた。一発くらい殴らないと気が済まない。

 翌日、無理矢理有給休暇を取得してくたびれたスーツのままアイツのラボを訪ねた。
 受付のお嬢さんが強情で、用件は何かとしつこいので勢いに任せて恋人が大変なときに用件もクソもあるかと怒鳴った。怒鳴ってから後悔したけれども時既に時間切れ。彼女は怯えた様子で電話を取り、そしてややあって奥から来る人影に視線を移した。
「どうしたの」
 聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはやつれたアイツが立っていた。

2008.08.21(ねつ造6)

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「オマエ」
 怪訝な表情で、何をしに来たの、といわんばかりのアイツの胸ぐらを思わず掴む。受付のお嬢さんの悲鳴が僅かに耳に届いた。
「どうした、なんてこっちの台詞だ!」
 なにやってやがる、と言うと本当に訳が分からないといった顔をするアイツ。カッと、頭に血が上った。
「オマエは昔からあいつを泣かすの得意だよな!」
 ようやくその言葉で何の話か分かったのだろう。一気に変わる顔色。
「なにか、あったの…、てか、きょう、なんにち」
 戦慄くアイツの青ざめた唇。日付を告げると顔色はさらに悪くなり、蒼白に近い。
「オマエがはっきりしねえから、あいつも身動きとれないんだろうが」
 騒ぎを聞きつけた人だかりが、アイツの胸ぐらを掴んで怒鳴る自分たちを取り囲む。さすがに騒がしくなってきた周囲に仕方がなく掴んでいた手を離した。アイツの今にも 折れそうな細い身体が音もなく床に崩れ落ちる。
「ごめん、いま、時間がないんだ。いかなきゃ…」
「それはあいつより大事なものか」
 先ほどまで熱を持っていた心が、急激に冷えていく感覚。
 冷めていく。アイツに、───冷めた。
「クソッ、イギリスでもどこでも行っちまえ」
 何故か涙が込み上げた。

 こんなやつを思って、あいつは涙をこぼしたのかと思うとただただ悔しかった。

2008.08.22(ねつ造7)

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*******

 帰らせてください、と文字通り泣きついた。
 先ほどの受付での騒ぎが耳に入っていたのだろう。1分たりとも目が離せないような状況にも関わらず、プロジェクトリーダーは帰宅だけでなく、暫くの休暇まで与えてくれた。実際の所は、今の自分がここに居たところで、何の使い物にもならないと判断されただけだろうけれども。
 恋人が居たことはプロジェクト内でも周知の事実だったけれど、一度たりとも恋人を優先するようなことはなかった。その事実に気付いて愕然とした。
 我が儘を言わない恋人に甘えて、今まで何一つかえりみなかったもの。
 友人の言葉が突き刺さった。

2008.08.22(ねつ造8/連休なので怒濤の更新)

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 恋人より大切なものなんてないのに。
 イギリスへ行くと伝えただけで、あれから何日がたった。仕事の関係でラボには時間や日にちの感覚は殆どといってない。だけど恋人は。どれだけ不安な日々を過ごさせたのだろう。どれだけ、自分を恨んだだろう。
 今から帰るよ、と連絡しようとひらいた携帯電話。充電が切れて真っ黒なディスプレイに生気のない自分を映した。いつから充電が切れていたのかも分からない自分に笑いが込み上げる。

 ───莫迦だ。
 待ち受けにしていたはずのはにかんだ笑顔の恋人。だが、彼の笑顔はどれだけボタンを押しても表示されることはなかった。

2008.08.23(ねつ造9/連休ウマー)

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 自宅の電気は付いていなかった。
 出かけているのだろうか、それともまだ帰宅していないのか。時計を見るとまだ23時を回ったくらいだったが、もしかするともう寝ているのかもしれない。それでもまっすぐに帰るのが躊躇われて、無駄にコンビニに寄って気分を落ち着かせた。
 マンションの入り口で、管理人からこれを預かっているよと渡された部屋の鍵を見て、全てを悟った。

 もう、ここに恋人はいないのだと。

2008.08.23(ねつ造10/どsな人に5分で書き上げてうpしろと脅された!)

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 それでも何かの間違いだと言い聞かせて自宅に走った。
「────…ァ」
 掠れた声で何度も恋人の名前を呼ぶ。
 だけど静寂は何も返してこなかった。
 リビングに丁寧に積まれた段ボール。箱には細かく中身が何かを、恋人の丁寧な字で書かれていた。
 違うんだ。こんな事を頼みたかったんじゃあない。

 ────おれと一緒に、イギリスに来て欲しい。
 どうしてその一言を伝えることができなかったのだろう。
 恋人には彼の生活があり、仕事があり、交友関係がある。それを、自分の我が儘で全て置いて、海外という見知らぬ土地に連れて行くことが躊躇われた。
 いや、そんな言葉で誤魔化して、結局は断られるのが怖かったのだ。

 リビングのテーブルに、恋人のお気に入りだったロボット型の目覚まし時計と一緒に一枚の手書きの手紙。震えた愛してるの文字に涙が溢れた。

 臆病で莫迦ななおれ。
 ねぇ、まだおれのことあいしてる?

2008.08.25(ねつ造11/永杉だろうjk)

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 友人は知っていたのだろう。多分、引っ越し先も、今自分たちがどんな状況かをも。
 掛け慣れない電話番号を何度も確認して、溢れる涙を堪えながら友人に電話をかけた。

『───よぉ、帰ったか』
 電話越しに友人の声とか細い猫の鳴き声が届く。
『おい、大丈夫か』
 涙が止まらなくて、声にならなくて、こっちからは嗚咽だけを届けた。
 恋人という色を失った、何もない空っぽの部屋。部屋と同じように、自分の手にも何もなくなってしまった。
「だいじだったんだ」
 やっと絞り出すようにそう言ったら、友人は小さくため息をついた。
『今から行くから、そのまま待ってろ』
 握り締めたままの携帯に、愛猫に出かけることを伝える友人の甘い声が響く。
 恋人と同じ名前の付いた猫。友人の気持ちを知っていながら、牽制し続けて退けた。だけど彼が身を引いたのは恋人のためだ。けして自分のためではない。恋人が、嬉しいことに自分を選んでくれたから、彼は身を引いたに過ぎないのだ。
「ごめん」
 ようやくそう言葉にすると、友人は再度ため息をついて電話を切った。

2008.08.25(ねつ造12)

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 20分程で友人が階下のインターフォンを押し、のろのろとそれに出た。
 泣き腫らした瞼がやたら重く、睡眠不足も相まって目がひりひりと痛む。自宅に招き入れると、友人は重ねられた段ボールを見て唇を噛んだ。こんな事、させたかったわけじゃあない、と言い訳しようにも言葉は何一つ喉から出てくることはなかった。
「…ほら」
 小さくそう言うと、友人は手のひらに鍵を押しつけてきた。大きさですぐに分かるそれは、車のキー。
「んで、コレ。住所な」
 次いで渡されたメモに書かれた住所は郊外にあるアパート。恋人の引っ越し先だと理解するのは一瞬だった。そして、友人がこれだけのためにここまで来てくれたという事も。

2008.08.26(ねつ造13)

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「じゃあ俺終電あるうちに帰るわ」
 自分の車はここ数ヶ月手入れもしていなければエンジンすらかけていない。それを見透かして、車を届けてくれた友人に頭が上がらなかった。おさまったはずの涙が込み上げる。お礼の言葉を言おうとして唇を振るわせると、友人はきつく睨み付けてきて、吐き捨てるように言った。
「勘違いすんな、オマエのためじゃねぇ、あいつのためだ」
 分かってる。ごめんなさい。ありがとう。
 どの言葉もはっきりと言葉にすることは出来なかったけれど、伝わったと信じたい。
「ま、ガンバレ。振られたときは真っ先に俺に連絡寄越せ」
 そういうと友人は終電の時間を確認して玄関を後にした。
 振られるものか。
 精一杯の強がりは、薄暗い空っぽの部屋に静かに響いた。

2008.08.27(ねつ造14/王道)

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 アパートは古い年代物の建物で、部屋には風呂やトイレはなく、共同のトイレと洗面所があるだけだ。風呂は徒歩5分の場所に銭湯があって、この辺りに住む人はみなそこを利用する。
 当然部屋にインターフォンなんて便利なものはついていない。だから、不在を確認するときは今時珍しい部屋のドアを強く叩くことから始まる。
 壁が薄いせいで隣の音は結構鮮明に聞こえてしまう。隣のドアを叩く音で目が覚めて、自分がその音に何を期待しているかを知った。

 貴重な休みの一日目は、目が覚めては泣き、疲れて眠るを繰り返して終わってしまった。日付が変わり、明日もどうしようもない一日を過ごすのかと思うと気が重い。ベッドに突っ伏せば睡魔はすぐに襲ってくるけれど、余計なことばかりを考えてしまって目頭が熱くなるのだ。

 隣の家を訪ねてきた友人たちの笑い声が部屋に響いた。 

2008.08.28(ねつ造15)

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 アナログ時計の秒針をただ眺めて、時間だけが過ぎ去っていくのをぼうっと見ていた。
 明日は買い物に出かけなければ。買うものをメモに書いたから、今度は大丈夫だ。
 長針も短針も12の数字を超えた頃、部屋のドアが大きく叩かれて飛び跳ねた。微睡んでいた気分は一気に現実に引き戻され、隣ではない自宅のドアを叩く音に震えた。
 こんな遅くに、この場所を知っているのは限られた人だけだ。少しだけ警戒したままドアに近寄ると、小さく、掠れた───自分の名前を何度も呼ぶ聞き慣れた声が聞こえた。
 慌てて鍵を外して、ドアを開けて。

 なんで。
 どうして。

 そこに立っていたのは、間違いなく、恋人、だった人。

2008.08.29(ねつ造16)

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  薄暗いアパートの玄関で、呆然と見つめ合ったように思う。
「あ…」
 ようやく我に返り、唇を開き掛けたところを距離を詰められて、次の瞬間、彼の、その腕の中に抱きしめられていた。
 言葉もなく、ただ、強く。
 どれだけの時間そうしていただろう。恋人の、嗅ぎ慣れた煙草の香り。聞き慣れた心臓の鼓動。包まれる恋人の懐かしいとも思える感覚に涙が溢れた。
「くるしいよ、」
 恋人の名前を呼ぶ。あれだけ流したのに、涙はどこからともなく湧いてくる。少しだけ抱きしめる腕がゆるめられて、じっと顔を覗かれた。恋人の僅かに碧がかった目が、真っ直ぐに見つめてくる。少しだけ目が赤い。瞼も腫れているように思う。
 彼も、同じように泣いたのだろうか。
 自分を思って、涙してくれたのだろうか。
「まだ、おれのことあいしてる?」
 戦慄く唇。恋人の掠れた声が、空気を震わせた。

2008.08.30(ねつ造17)

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  そんなこと、答えは決まっているのに。
「愛してる」
 泣きながら何度も繰り返した。愛してる。愛してる。愛してる。
 何処ですれ違ったのだろう。何処で間違ってしまったのだろう。どうして、諦めようとしたのだろう。
 言葉を遮るように唇が重ねられ、あいしてる、の言葉は恋人の唇に吸い込まれた。深い、深い口付け。

2008.08.31(ねつ造18)

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  抱き合ったままゆっくりと身体をベッドに横たえられた。優しい恋人の手が撫でてくれる。確かめ合うような口付けに胸が震えた。シャツの下に這わされる手も、バックル同士が擦れ合う金属音も、全てがもどかしい。
 傷つけてくれていい。
 刻みつけてくれていい。
 忘れないように。褪せることのないように。恋人の身体を抱き寄せてねだるように口付けた。
「ゴムないけど、痛くてもいいから」
 そう言うと、恋人は優しく笑って耳元で嫌だよ、と囁いた。
 こういうとき、どうして自分の身体は彼を受け入れられるように出来ていないのだろうと悲しくなる。こんなにも好きなのに、愛しているのに、この身体じゃ彼には負担しか与えない。しばらくそういった使い方をしていなかったそこは固く閉じていて、無意識に恋人の指を拒んだ。

2008.09.01(ねつ造19)

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*描写注意*

 ふ、と笑った恋人が、身体を裏返してきた。どうしたのかと思ったら腰を掴まれて、尻たぶに口付けられる。
「あ、ダメ」
 ダメだ、ダメ。それはダメ。いけない。
 慌てて手を後ろに伸ばし、恋人の顔を押しのけようとするも、彼は口付けたまま離れない。
「いいんだ」
 まるで自分自身に言い聞かせるように恋人はそう囁いた。よくないよ、ダメだ。そんな自分の気持ちをよそに耳に届くのはちゅ、という水音。彼のそこにあてがった指とともに生温かな舌の感触。
 舐められる───…
 舐められた場所に指先が僅かに潜り込む。だけどそれはすぐに抜かれ、また執拗に舌が這わされた。
 次は舌先が這入ってくる。
 羞恥に染まった顔が熱い。いけないことをしているのに止められない、じわじわと下半身を覆う痺れに、ため息にも似た吐息が唇から零れた。入り込んだ舌先は内側を軽く舐めては離れていく。
 何度も繰り返されたそこに突然指が差し入れられた。息を飲むと、恋人の指をぎゅっと締め付けたのが自分で分かる。背後で恋人が微かに笑った。指をゆっくりと深く潜らせながら、出入りを繰り返すそこを舌先が 何度も掠めていった。
「あ、ぁ」

2008.09.02(ねつ造20)

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 唾液に濡れた指が増やされて、入り口を押し広げるように何度もかき回される。慣れた感覚に思わず声が上擦った。
 四つん這いに腰だけを高く上げた格好は普段と違う感覚を連れてくる。顔の見えない後背位は少しだけ怖い。振り返ると恋人が微笑んだ。
 先端がゆっくりと身体の中に沈んで、身体の中を割り拓いていく。ぐぐ、っと詰めた身体に安物のパイプベッドが軋んだ音を立てた。ぎゅっと握り締めた拳に、恋人が背後から手を重ねて握ってくれる。恋人の節くれ立った指がいつになく熱を帯びていて心地よかった。
「あぁ」
 吐き出されるため息は艶を含んでいた。自分の声ではないみたいだ。
 根本まで自分の身体に埋められた恋人の熱がゆっくりと動き始める。動くたびにベッドが音を立てるけれど、それは自分の身体が軋んでいるようにも思えた。
「つらい?」
 見透かされたようにそう囁かれて、首を横に振った。
 もっと、して。

2008.09.03(ねつ造21)

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 壁が薄い事なんて忘れていた。
 熱に浮かされたようにただただしがみつき、汗と色んなもので曖昧になっていくお互いの身体の境界線を意識しては、ひとつからふたつへと分かれていく動作に喘いだ。
 どれだけ頂上に登り詰めようとも、地上に叩き付けられようとも、次の瞬間にはまた終わりの見えない螺旋階段を駆け上がっていく。
「愛してる」
「おれも」

 ───終わりの時が近づく。

2008.09.04(ねつ造22)

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 ベッドに差し込む陽の光で目が覚めた。昨夜のことが全て夢なのではないだろうかともう一度目を閉じる。
 繋がったままの指に、恋人の指の感触。微かに感じる寝息。
 夢ではないのだと、視線を移せばぐっすりと眠っている彼の顔が見えた。目の下に出来た濃いクマ、そこに掛かる長い睫毛。その整った顔に見とれていると、不意に彼の淡く碧がかった瞳が見つめ返してきた。
「どうしたの」
 引き寄せられた手の甲を、恋人の唇が伝っていく。

2008.09.05(ねつ造23)

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 ちゅ、と水音を響かせて口付けられ、そのまま舌が指先を舐めていった。ともすれば青白いとも言える恋人の顔色に、朱い舌がやけに対照的で目が離せない。
「また痩せたね、おれのせい」
 恋人のほうこうそ、だ。職場では珈琲と煙草で生活していたに違いない。きっとそんな生活は、英国へ行っても変わることはないだろう。出来る事ならずっと側にいたい。ダメだよって、珈琲だけじゃダメだよ、って。
 泣きそうな顔をしたのだろう、ごめんねと、近づいてくる恋人の唇に額を寄せた。
 引き寄せられ、強く抱きしめられて、溢れるかのように涙が伝った。
 刻一刻と迫る時間は無情だ。
 それでも、逢えてよかった。

2008.09.06(ねつ造24)

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 愛してる、って泣きながら囁いた。
 耳元を何度も恋人の唇が掠めて、その唇は何かを言いかけて開いては閉じた。
 もう、行かなきゃ。そう言われるのを覚悟して、ぎゅっと目を閉じる。身体を離さないと、これ以上くっついていたら、離したくなくなってしまう。触れあった肌は熱くて、それなのに自分の肌は溶けなくて、まるでくっつくことを拒んでいるみたいで。恋人の熱で、今すぐこの身体を溶かしてくれたら、いいのに。

 口に出せない言葉。
 待っていたい、─────俺、ここで待っててもいい?
 そう聞きたくて、それでもやっぱり言えなくて、ただただ唇を噛んだ。

2008.09.08(ねつ造25)

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「逃げないで」
 不意に恋人がそう言った。
 離れようとした身体をもう一度強く抱きしめられて、耳元で掠れた声が震えた。

「おれと、きて」

 絞り出すような恋人の声。
 その意味を理解するのに時間が掛かって、恋人は無言になってしまった間を埋めるかのように言葉を続けた。
「だいじにする、もうさびしい思いはさせない」
 背中に回された手が、細い肩が震えていた。指先に強く込められた力は、抱きしめた身体を離すまいとでもいうかのように肌に食い込む。
「…だから、おれと一緒にきて」
 涙声。軽くすすられた鼻。
 恋人の顔に頬を寄せたら、あたたかい涙の感触がした。

2008.09.09(ねつ造26)

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「おればかだから、拒まれるのこわくて、おれと一緒に行きたくないっていわれたらどうしようって」
 不安にさせてごめんね、そう恋人は何度も繰り返した。頬がまるで波打ち際のように寄せられては離れていく。恋人の唇が額に、頬に、耳に、うなじに降り注いだ。心地よい唇の感触に体中の感覚全てをゆだねる。
 拒むはずなんてないのに、一緒に行きたくないはずなんかないのに。
 お互いなんて臆病だったのだろう。
 答えなんて最初から決まっていたのに。
 何を躊躇っていたのだろう。

2008.09.12(ねつ造27)

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「俺を、一緒に連れて行って」
 本当に言いたかった一言、待ってるなんて出来ない。
 そこが何処だって、一緒に行く。行ける。この手が届く場所だったら、どこだっていい。そのための努力は、もう惜しまない。
 もうすれ違わない。
 もう、この手を離さない。離させない。
「お金なんとかする、英語も頑張るから」
 絡めた指に力を込めると、恋人もまた力を込めてきた。
「そんなのいらない、からだひとつでいい」
 強く、抱きしめられた。
「もう、そばにいないといきていけないんだ」
 莫迦だよ、莫迦だ。それでも愛しくて、離れられない自分がいた。
 ベッドの中で、裸のまま抱き合ってお互い、昨日までとは違う、別の涙を流した。

2008.09.13(ねつ造28)

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*****

 問題は山積みで、何から手を付けたらいいのか戸惑いもしたけれど、出発の日までに二人で一つずつ解決していこうと決めた。
 お互い泣きながらもう一度肌を重ね、逢えなかった今までの時間を埋めるかのように沢山のことを話した。両親に挨拶をしに行くと言って聞かない恋人に、笑いながらこれからの生活を頭の中で思い描く。
 けして平坦な道ではないだろう。
 それでも、恋人と共に歩んでいこうと思う。
 諦めかけた自分に今更ながら腹が立った。

2008.09.16(ねつ造29)

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 そういえば、珈琲があったのだと、身体を起こした腕を恋人が慌てたように掴んだ。
「どこ、いくの」
 思わず笑いが込み上げた。
 何処にも、いかない。
「珈琲がさ、あるんだ」
「飲まないのに?」
 不思議そうに首をかしげた恋人は、すぐに悲しそうに目を伏せた。
 そう、飲まないのに、あるんだ。なんでだろうね、そう言って恋人にキスをすると、彼は泣きそうな顔で笑った。

2008.09.17(ねつ造30)

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*****

 出発の日、見送る両親に手を振ってゲートをくぐろうとしたところを名前を呼ばれて引き止められた。振り返れば友人が息を切らせて立っている。営業なのに赤く染めた髪が珍しく乱れていた。
「間に合った」
 腕をとられ、友人の胸の中に引き寄せられる。背中に恋人の視線が突き刺さったのを感じた。友人のフレグランスに混じった、微かな汗の香りに彼がどれだけ急いで走ってきたかを知る。
「盆暮れ正月には帰ってくるんだろ」
「さぁね」
 口を開き書けて自分の代わりに恋人が冷ややかに答えた。
「アイツがまた仕事仕事でほっとかれるようなら遠慮なく帰って来いよ」
「あんたね、みおくりにきたの、それともけんかうりにきたのかどっち」
 珍しく声を荒げた恋人が、友人の腕に抱きとめられた自分の腕を掴んで引いた。
「喧嘩売りにきたにきまってんだろ」
 友人は腕を放さなかった。しっかりと握られた指先。両方から腕を取られ、思わず交互に顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。恋人が強く握った腕に、僅かな震えを感じて胸の奥がじわりと熱を持つ。
 大丈夫、一緒に行くから。
 友人だってきっとそんなことよく分かってるから。だからそんな心配そうな顔、しないで。もう離れないって約束したじゃあない。
 恋人を振り返ると強張っていた表情が少しだけ和らいだ。

2008.09.18(ねつ造31)

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 そんな恋人に矢継ぎ早に喧嘩を売ってくる友人。言葉の端々が刺々しいのは気のせいじゃあない。
「勝手に遠くに連れていくうえに、もうね」
 友人は取った手を口元に寄せて、薬指に───指の付け根、細い飾り気のないプラチナリングに口付けた。
 その指輪の意味は、自分にとっても恋人にとっても、とても深い。
 不意に恋人が、宝石店で睨み付けるようにこの指輪を選んだことを思い出して、自然と笑みがこぼれた。あの顔は『恋人』に指輪を贈る顔じゃあなかった。本人は凄く真剣だったのだろうけれど。
「ごめんね」
 今度は口を噤んだ恋人の代わりに自分が答える。

2008.09.20(ねつ造32)

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「…かえるよ、ちゃんと。ご両親にやくそくしたし」
 だからその手を離せ、と恋人が無言で友人を促した。友人は笑いながら手を離す。
「そんなに離したくないならもう泣かすな」
「もうなかさないよ」
「もう泣かないよ」
 言葉が重なって思わず吹き出してしまう。
 同じように遅れて恋人も、友人も笑いだした。まるで高校生に戻ったように、いつもの3人でこうして笑いあっている。自分たちはあの頃から何一つ変わらずにいるはずだ。思いも、気持ちも。そしてこの関係もずっと変わらない、普遍的なもの。
 そう、確信した。

2008.09.23(ねつ造33)

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 館内放送がフライトの案内をしたのをきっかけに、自然と友人と距離がひらいた。
「またな」
 ゲートに向かった恋人を追いかけようとした背中に、友人の寂しそうな声が届く。
 振り返って手をあげた。
「またね」
 それはまるで高校生の別れの挨拶。
 また明日学校で、そんな気安さを含んでいた。

 軽く手を振った。
 明日は逢えないけれど。
 ────またね。

「いくよ、カデンツァ」

 恋人が名前を呼ぶ。
 慌て手荷物を持ち直すと、差し出された恋人の手を握った。

 

「うん、─────倭」

 

2008.09.23(ねつ造34)/最終話( ´_ゝ`)人(´▽`)

※長々とおつきあい有り難うございました。