Seasoning/Onslaught

 




 知識も慣れもまだ乏しかった頃。
 アルノー様に連れられて教皇様の寝室へ行った時のこと。相手をしなさいと言われてすぐに理解できるはずもなく、言われるがままにそれこそ必死で頑張った。
 だけど上手く出来るはずもなく。
 なにぶんそのときの俺の頭の中にあったのはまた同じようなことをされる、という恐怖しかなかったからだ。噛みあわない奥歯が音を立てるのを必死で耐え、震えだす膝も手も取り繕おうとしてもその震えはダイレクトに教皇様に伝わっていたに違いない。
 口も手も上手に使えない俺を教皇様は叱り、やむなしと強引に事に及ぼうとした結果、失敗した。泣いて謝ることしかできなかった俺に憤慨した教皇様は俺をきつく罵った。身体を丸め、床に額を擦りつけて何度も謝罪の言葉を繰り返す俺に苛立ちがおさまらない教皇様を止めてくれたのが、大聖堂にもう一人いた、俺と同じヒュームだった。
 彼は隣接した部屋から顔を覗かせ、静かに教皇様をたしなめたように見えた。そして泣いている俺の手を取って、彼の部屋――─執務室と寝室が一緒になったような、それでいて豪奢な調度品にあふれた部屋に連れて行った。
 窓際の椅子に座るよう促され、目の前のテーブルにはお皿に盛られたクッキーと、温かなお茶がすぐに置かれた。俺が口を開く前に彼は自分がクッキーを焼いたこと.食べて飲んで落ち着くようにと、少したどたどしい口調で言った。
掠れた声が印象的だった。
 戸惑っていると再度促されて、俺なんかが手をつけてもいいのか分からないような高級そうな茶器を手のひらに握らされる。お茶はヒュームと同じように異国情緒あふれる不思議な香りと味がした。
 結局クッキー一枚とお茶に口をつけた俺は、その後すぐに強烈な睡魔に襲われた。気がつけばあてがわれた納戸に寝かされていて、レヴィオが仏頂面で近くの木箱に座っていた。
 何故今こんなことを思い出したか、というと話は長い。これ以上に長い。
 結局のところ、俺は料理が出来そうな人の当てがなかったに過ぎない。こんな記憶の奥底に眠っていた僅かな情報で、藁にでもすがる思いで今一枚の扉に面している。
 悩んでいる理由はひとつ。
 ここが厳密に言えば彼の部屋ではないことだった。
 しかも、本来の家主は今の時間確実に部屋に居ないことを俺はよく知っている。後ろめたい、わけではないと思うけれど、俺はきっと「デリカシーのない」人間なのだと思う。今更だが。
 覚悟を決めてノック。
 あからさまな人の動く気配と、緩やかにあけられる扉。
「おかえり、どしたの、はやかったね」
 寝惚けた顔。着崩した朱色のクローク。
 彼が出てくるのは分かってた。
 だから、挨拶もそこそこに俺は、握り締めたジズの足を差し出して言った。
「やま、──ユキ。料理を教えて欲しい」
「やまと、でいいよ」
 俺の顔を見て目が覚めたと思われる彼は、すぐに破顔して俺と、俺の引きずってきたジズを招き入れてくれた。先ほどの市街戦で手に入れた戦利品であるジズは背負うには少し大きくて、仕方がなく引きずってきた。ジズの皮は硬く、多少引きずったところで身は傷まないはずだった。
「りょうり、ってこれ」
 玄関先に横たわる死んだジズを指先でつついて、彼は俺を見上げる。
「コカ肉の煮込みを、ジズで作るって聞いたから」
 そう言ったら彼は謝りながら笑い転げてしまった。
 ちがうよ、ジズはジズでも戦闘用に訓練されたジズと食用のジズはちがう、そう彼は言った。
「そうなのか」
 あからさまにがっかりした俺を気遣ったのか、彼はコカ肉の煮込みを作りたいんだね、と頭を撫でてくれた。同じくらいの背格好なのに、彼はあの頃よりも随分と痩せてしまった気がする。伸ばされた腕がやけに細く感じた。
「いいよ、つくろう。でもこのジズはつかえないから、まずはかいものにいこうね」
 じゃあ持って帰る、と言い掛けた俺をあっさりと制止したその細い腕は、行動を見透かしたように俺を外へと促した。
 ああ。さようなら、俺のジズ。
 また逢いにゆきます。
 マムークに。

 

 

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