Ratsbane/Onslaught

 





 見つめてくる濃い青の瞳が、悲しみに満ちた気がした。
 無言の刻。
 金属の鎧小手に込められる力は大した事なくても、そこから伝わってくる怒りは酷く強くて、俺はようやく彼女がマクヴェルの恋人だということに気がついた。
「否定しないのね」
 静寂を打ち破ったのは彼女が息を吸い込んだ小さな音だった。
 音を立てて彼女が唇を噛みしめる。
「顔がこれだけ綺麗だと男でもいいものなの」
 掴んでいた手を急に離され、いや、離されたのではなかった。弾かれたように頭が右から左へと振れる。頬、というより顔の右側に鈍痛、口の中に拡がるのは、錆びたような鉄の味。そして聞こえるのは彼女の荒い息づかい。
「どうなのよ!」
「しらねえよ、お、おい、クレアやめろ」
 背後の男の取り乱した声。顔を正面に戻せば、彼女が身の反り返った棍棒を振り上げていた。振り下ろされる瞬間、男の腕が俺の頭を抱え、直後鈍い衝撃。
 呻き声をあげたのは背後の男だった。
「やめろ、そんなもので殴るな、落ち着け」
「あんたもこんな男がいいの!こんな恥知らず!」
 男の腕が頭を守ってくれているとはいえ、彼女が打ち下ろす棍棒は容赦なく肩や腿に痛みと衝撃を与えた。僅かとはいえ金属で覆われた鎧の上からでも伝わる激しい衝撃に、彼女の怒りがダイレクトに伝わってくる。自分の後悔がそう思わせるのか、痛みはあの薄暗い地下室で、儀仗によって何度も打ち付けられたときよりもずっと痛かった。
 彼女の俺を罵り、蔑む言葉が虚しく響く。
 女は苦手だった。金切り声も、折れそうな細い指も、化粧で隠された本性も。
 何度も打ち下ろされる棍棒。
 あの時も、俺の不徳を口汚く罵り、汚いヒュームだと何度も叩かれた。
 信仰とは、例え種族が違っても他人に推し量れるものではない。あそこでは俺は都合のいい玩具でしかなく、信仰という鎖に繋がれて、アルタナという目隠しをされた愚かな人間だった。
 だけど叩かれて当然だとその時は思っていた。
 俺の信仰が、あの人達の足下にも及ばないから。祈りが足りないから。俺が悪いから。俺がヒュームだから。
「落ち着け、クレア」
「うるさい!」
 絞り出すように宥める声。直ぐさま彼女の怒声が聞こえ、酷く鈍い音とともに振り下ろされる音が止んだ。
 壊れたのは、俺でもなく、背後の男でもなかった。彼女が握っていた棍棒が地面に強く叩き付けられる。短い吐息、俺の頭を抱えていた男の力も僅かに緩められた。彼女は呆然と俺を見つめていた。
 叩く方も、叩かれる方も疲弊すると思う。
 腕や腰、太股の感覚がおかしかった。痛みよりも熱だ。皮膚の感覚が曖昧で、輪郭は随分と拡張しているようにも思える。とにかく叩かれたところが熱く、意識はあっても身体は動かせそうになかった。俺の顔をかばってくれた男の腕も、きっと酷い事になっているのだろう。
「これが落ち着いてられる、あんたまでこんな男かばって」
「クレア」
 彼女がもう一度腕を振り上げ、棍棒の先はぴたりと俺の眼前に突きつけられる。
「どうやって誑かしたのよ!言いなさいよ!」
「クレア、やめろ!」
「どうして何も言わないのよ!」
  男の叫び声と同時に彼女が腕を振り払う。
 男が伸ばした腕は間に合わず、彼女の持つ棍棒が俺の頭を右から左に薙ぎ払った。生温かな液体が顔を流れる感触。鈍い痛みを鋭い痛みが上書きしていく。まるで頭の中で蛮族軍来襲の警鐘が鳴り響いたような感じに戸惑いと涙が溢れた。
「心臓だけじゃなく、どこまで奪えば気が済むの」
 あんたが、と繰り返される彼女の悲痛な叫び。
「ねえ!どうやって寝たのよ!」


 

 

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