Fragarach/Onslaught

 



「久しぶりね」
 そう言った彼女の言葉を遮って、単刀直入に用件を切り出した俺に、彼女はゆっくりと逢って話しましょう、と溜息混じりに言った。

 元々彼女との付き合いは大聖堂勤務時代からのものだ。
 冒険者と修道士の二重生活の中、訳あって金のいる俺は「金になる」それだけの理由で所属したリンクシェル。彼女はそのメンバのひとりだった。
 気があった、と言えばその通りだったが、飾らない気さくな彼女は他のメンバからも随分好かれていたように思う。最初は気の合う数人でつるんでいたが、次第に二人で出かけることが多くなっていった。彼女からの好意はそれとなく感じ取ってはいたものの、無視していたわけでも、気付かないふりをしていたわけでもなかった。
 俺にはその好意にこたえる資格がなかったのだ。
 必要最低限のこと以外、自分の為に使うような金は俺にはなかったし、アルノーの手駒だった自覚もある。本業は大聖堂勤務、しかも想定外の修道士見習いの世話まで押しつけられて冒険者で居られる時間は限られていた。
 だけど法に触れるギリギリの、限りなく灰色に近いことに幾度も手を染めて、いろいろな感覚が麻痺しつつあった俺は彼女といた時間のお陰で正常でいられたのだと思う。
 少なくとも、大聖堂における様々な行為を異常である、と認識出来るくらいには正常だった。
 それでも誰かを普通に愛し、自分の過程を築くだとかそういう意識は何一つなかった。
 自分の未来を思い描くような余裕が、そのとき俺にはなかったのだ。ただ目の前にあることを淡々とこなし、月日を重ねていくだけ。
 つまるところ、俺は自分のことで精一杯だったわけだ。
 結局、俺が大聖堂を留守にするとカデンツァへの行為がエスカレートしていったこともあって、忙しくなったと理由をつけてリンクシェルでの活動をやめた。
 地味な金策だけは続けていたが、次第に彼女との距離も遠くなっていったように思う。
 その後大聖堂を追われ、本格的に金が要るようになった俺は、都合のいい話ではあるがそのリンクシェルに復帰した。メンバも彼女も歓迎してくれたが、以前のような関係には戻らなかった。いや、そうならないようにしていた、というべきか。彼女も察してくれたのか、よき友人であったと思う。
 二重生活がなくなったことで金策にあてる時間が増えたことと、昔のよしみで色々とよくしてもらっていた矢先、あの事件。
 生死の境をさまよった俺は、またもやシェルの活動を当面休止するハメになった。
 そんなこんなで、今に至る。
 彼女には、というかシェルメンバにはリハビリ中とだけしか伝えていなかった。

 彼女が指定したレストランに入ると、壁際の席に彼女はいた。
 長かった黒髪をばっさりと切っていて、随分と雰囲気が違って見えた。普段鎧姿ばかりをみているせいか、普段着の彼女は普通の女性に見える。少なくとも冒険者には見えなかった。
「久しぶり、さっきは悪かった」
 テーブルの前までいってから、初めて彼女は視線をあげた。
「久しぶりの連絡が近況報告でなくて、フラガラッハまだ持ってるか、はさすがにないんじゃないの?」
 少しだけ咎めるようにそう言って、彼女は向かいの席に俺を促した。

「まぁ、元気そうで安心した。少し痩せたみたいだけど」
 ほっとした様子で視線をそらし、彼女は俺のためにパインジュースを頼んだ。何でお前がエールで俺がジュースなんだと言えば、しれっと怪我人は黙ってたら、と言われた。
「それで」
 何処まで話していいか分からずに口籠もった俺を彼女は促した。
「どうしてフラガラッハが必要なの」
「知り合いが欲しがってる、譲ってくれる人を探していた」
 あえて知り合いが、と表現した。
 だがその曖昧な表現をあっさりと看破したであろう彼女は、へぇ、と気のない返事を寄越す。
 突然音を立ててテーブルの上に一降りの剣が置かれた。
 鞘に収まっていても分かる。
 魔剣フラガラッハ。
「フラガラッハと聞いて私を真っ先に思い出してくれたことは嬉しく思うわ」
 剣の上に手を置いたまま、彼女は俺を見ることなく言った。
「でも、ただでは渡せない」
「当然だろ、譲ってくれるなら言い値を伝える」
「お金じゃない」
 きっぱりとそう言い切った彼女は、俺のパインジュースが運ばれてくるのを待ってから身を乗り出し、小さく俺の耳元で囁いた。

 ────キスを。

 してちょうだい。
 女はつくづく勘のいい生き物だと思う。
 そのフラガラッハを誰が欲しがっているのか、誰のために俺が欲しているのか。
 少し考えれば分かることなのかもしれないが、それでも。
 俺は目を閉じると首を横に振って立ち上がった。
「悪いが、それは出来ない」
「あはは」
 すぐに自嘲気味の笑い声が彼女の口から零れた。
 頬に手を当てて俺から目をそらす。
「そんな即答されると思ってなかった。私のうぬぼれだったか」
 彼女の好意を知っていた。
 分かっていて、俺は利用していたのかもしれない。
「悪い」
 そう頭を下げたら、冷たい手が額に当てられた。
「いやだ、やめて。謝るのは私のほう。ごめんなさい」
 そう笑って彼女はフラガラッハを俺に差し出した。
「持っていって、飾りにしかならない私より大事に使ってくれるならその方がいい」
「でも」
「なんとなく分かってた」
 あなたにはずっと大事な人がいる、ってこと。
 その言葉を二重生活だっただけだ、と理由付けて否定することは出来なかった。
 金だけならそれなりになんとでもなっていた。大聖堂での後ろ盾もない中途半端な地位にいて、アルノーが君臨している限り、いや、アルノーでなかったとしても俺の育った修道院が正式な認可を受けることなんて無理に等しかった。
 分かってて、それでも俺は戻った。あの腐った場所に。
 戻った理由はなんだ。戻った俺を待っているのは、玩具の後片付けでしかなかったのに。
 期待なんて、もはやなにひとつしていなかったのにだ。
 俺は選べる立場にいながら、彼女との別の人生を歩くことを選ばなかった。
 俺が選んでいたのは、あの頃からひとつだったのだ。
「ふられそうで、ずっと言えなかった」
 無理矢理俺の手をとって、彼女はフラガラッハを握らせる。
「好きよ、レヴィオ。今までも、これからも」
 涙目の彼女が震える声でそう言った。
「これは、このあなたにあげるフラガラッハは、私からの最初で最後の嫌がらせ」
 笑った彼女の目から、涙が頬を伝った。
 それを思わず指で拭うと、彼女は俺を怒る。
「早くリハビリ終わらせて戻ってきてよね、みんな待ってるし。多分」
 元気そうだったって伝えておくし。
 リハビリとか必要なさそうな感じだったとか告げ口しておくし。
 うちに連絡寄越さず看病してくれた彼女とイチャコラしてたっていってやるし。
 彼女は必死に早口でそう言って俺にフラガラッハを再度押しつけた。
「はやく、行って」
 半ば追い払われるかのようにテーブルを追い出され、俯いたまま手だけであっちいけ、と言われて俺はフラガラッハを抱えたまま店を出る。
 こういうとき、俺はうまくやれそうでやれない。
 たくさんの思いが複雑に詰まったフラガラッハが、やけに重たく感じた。

「…ただより高いものはない、ってか」



 

 

End