Depend on you/Onslaught

 




 話は俺がアトルガン方面に流れ着いた頃に遡る。
 見知らぬ土地で冒険者でもない俺が、この世界で生きていくようになれるまで、割愛するが色々なことがあった。言葉こそある程度通じるものの、渡航免状すらない俺が蛮族軍からの侵攻に備える皇都に入るだけでも一苦労で、それまでワジャームの土草で生き延びた、と言っても過言ではない。
 人生の転機、と言うものは突然身に降りかかるもので、ある日俺は蛮族軍の侵攻に偶然遭遇し、その混乱に乗じて皇都へと入り込んだ。だけど、初めて目の前で繰り広げられる熾烈な戦闘に逃げることも出来ず、飛び散る血潮に足がすくんだ。突然、何故一般人がまだいるんだ、待避しろと聞こえなかったのか、そう怒鳴られて、腕を取られ振り返った先で見たものは、当時の俺にはかなり強烈な出来事だったと言える。
 結果的に俺に覆い被さるようにして倒れた彼の死体のお陰で、俺はその過酷な戦いを無様に生き延びた。

 アルタナを裏切った俺を待っていたのは、生きる、と言う地獄。

 噎せ返るような血臭の中、震えが止まらなかったにも関わらず、俺は血で汚れた服を捨て、死んだ彼の鎧を借りた。振り上げることも出来ない重たい斧を握り締めて、敵を取ろうとしたわけではないのだと思う。ただ、行き場のなくなってしまった込み上げる感情を、何処にぶつけていいか分からなかったのだ。
 気がつけばひしゃげた斧と、目の前に横たわる今にも壊れそうな巨大な甲冑だけが俺の全てだった。
 生きているもの、死んでいるもの。
 はぐれた仲間が生きていることを知った再開の喜び、死体の中からかつて仲間だった者を見付けたときの絶望。今だから思う、蛮族軍撤退後のいつもの光景が、その時の俺には酷く現実的ではないように見えた。
 戦禍を横目にその場を離れたものの、次第に興奮が薄れると同時に疲労と飢えで俺は一歩も動けなくなった。露店が建ち並ぶ大通りの隅に蹲り、急激に押し寄せてくる恐怖に身体が震えた。
 血の臭いが、こびりついて離れない。
 焦げ付いた肉の臭いが、消えない。
 込み上げた汚物で噎せ込んで、涙が溢れた。その時に、初めて強くなりたいと願ったのを今でも覚えている。
 もう二度と泣かないように。
 この生きるという地獄を受け入れるために。
 俺の神に、牙を剥くために。
 顔を上げて立ち上がると、遠くで戦闘区域の後始末を募集していた。この国の貨幣一枚で、瓦解した砦の修復や、あらかた済んでいる死体の処理を行うという。世間知らずな俺でも、生きるためには金が要ると言うことくらい分かる。ふらついた足を必死で地面に繋ぎ止めて、俺はその仕事を請け負った。
 支払われた青銅貨。
 俺はそれを握り締めて、先ほどの大通りにある露天に戻った。
 だけどそこで売っている食べ物はどれも高くて、俺が持っていた青銅貨一枚では今の腹を満足させることすら出来そうになかったのだ。いくつかの露天を見て、次の金の当てがない以上慎重にならざるを得ない。考えあぐねていると露天商の一人が、俺のそんな様子を見て何かを察したのか声を掛けてきた。
 腹が減っているんだろう、お金はいくらあるの。
 青銅貨一枚しかないこと、それでおしまいだと言うことを小さく告げると彼女は言った。
 うちの缶詰なら3個であんたの青銅貨一枚だよ。今ならおまけでもう一つ余分に付けてあげる。缶詰とはいえ栄養価は高いから、これを食べてまた頑張りなさい、と。
 その申し出を有り難く受けて、俺は青銅貨一枚と匹買えに薄手の革袋に詰まった缶詰を貰った。
 何度もお礼を言ってその場を離れ、路地裏の木箱の影に隠れて缶詰を取りだした。何かの役に立つかと思って戦場で拾ったナイフ。とにかく中身を取り出したくて無理矢理こじ開けて、めくれ上がった金属の端で指先が傷つくのも構わず手づかみで口に入れた。
 ここ数ヶ月、いや、もしかすると数年、まともな食べ物を口にしていなかったからか、胃は受け付けてくれなかった。それでも全身に染み渡るようなあの味を、俺は生涯忘れる事はないだろう。味覚が微妙に麻痺した今も、あの缶詰の味だけははっきりと分かる。
 そこから皇国軍の正式な傭兵になる迄や、俺が青魔道士になるまでにはまだ時間が掛かるけれど、その出来事が俺を突き動かす、大きなきっかけとなったことは確かだった。


 そういうことをかいつまんでぽつぽつと話すと、ツェラシェルは俺の身体を強く抱き寄せた。
「クソ」
 鼻を啜りながら俺の額に擦りつけてくるので、何となく微妙な気持ちになりながらも、ツェラシェルの熱い身体に腕を回す。なんでだよ、と呟く声に顔を上げると、潤んだ目のツェラシェルと視線があった。
「お前とその頃に会いたかった」
 熱のせいだけではないだろう、瞼にそっと指を乗せるとツェラシェルは首を横に振った。
「もう、寝ろよ。俺はちゃんと話した」
 頷いてツェラシェルは俺をもう一度引き寄せる。離す気はないらしい。
 ため息一つついて、ツェラシェルの剥き出しになったのど元に軽く噛み付いた。
「喰うなよ」
 ベッドで身体を密着させておきながら、何もしてこないツェラシェルに調子が狂う。期待していたわけでは断じてないし、負担も大きいので何もない方がもちろんいいのだけれど、普段と違うと不思議な気分でもある。
「早く治せよ」
 弱ってるあんたなんて気持ちが悪い。
 だけど返事はなかった。気を失ったのかと思う程早く寝入ったツェラシェルから僅かに身体を動かせば、ぴくりと反応して俺の肩を強く掴む。観念すべきなのだ、と何かが囁く。
 もう一度ため息をつくと、仕方がなく、俺もまたツェラシェルの腕の中で目を閉じた。


 

 

End