Alone/Onslaught

 



 孤独を感じるとき、ってどういうときだと思う?
 たとえば今みたいに予想以上に大所帯となってしまった空活動で、シシケバブ買ってこいとばかりに不遜な態度のエルヴァーンにひとり、ファウストの所在を確認してこいと命令されたときか。

 本体のアライアンスは神殿前でドールを率いる司令機を探していた。
 壁にずらりと配置された侵入者を排除するためのドール。そのうちのどれが司令機なのか見た目の判断はつかないため、ひたすらにそれらを破壊するしかない。何処でどう生産されているのか、どうやってそのうちのどれかが司令機へとなり得るのか、そのシステムは分からなかったが、司令機には確かな手応えがあり、他とは違うとすぐに分かる。
 神殿へと続く長い通路を、ドール数匹を引き連れて駆け抜ける赤毛のシーフを横目に一人ファウストを確認しに走った。
 こういった一つのものを奪い合い、ライバルを出し抜くような活動において、偵察や斥候、情報の有無は何よりも大切なものだということくらい理解していた。それでも一人────他にも数名ジパクナやマザーグローブを確認しに本隊を離れた者もいたが、やはり戦線を、本隊を離れるのは寂しさを伴うものなのだ。

 淡い輝きを放つ青いクリスタルに触れると、腹の底に響くような低い振動が足下から伝わってくる。
 このトゥー・リアはクフィム島の上空にある。高い場所にあるせいか、空が近く、日差しも心なしか厳しい。特に今の季節、サーメット特有の照り返しもあって、日中の気温は蒸し暑いと言われるアトルガン皇国の比ではない。
 熱さを退けて目を横に向ければ、ル・アビタウ神殿を取り囲むヴェ・ルガノン宮殿、宮殿の合間に美しく配置されたラ・ロフの劇場が見えた。それらを繋ぐのは、この美しきル・オンの庭。
 庭の外周を走れば幻想的な風景が拡がるのに、この一抹の寂しさはなんだというのか。首を横に振って先を急ぐも、やはり足取りは重たく、じりじりと照りつける日差しに思わずため息をついた。
 思い出すのは振り向きざまのパンツァーファウスト。不意を突かれ目の前を泳いだ青白い手。
 思わず伸ばした俺の手は宙を掴み、吹き飛ばされた背中を抱きとめたのは、お世辞にも逞しい、とは言えなくなった男の腕だった。何故その役割が俺ではないのか、だなんて今更そんなことでへこんだわけではない。
 当たり前のようにそばに居て、当たり前のように一緒に居る。
 それが単純に羨ましかった。
 シャポーを目深にかぶっているとはいえ、じわりと滲んだ汗が顎を伝って落ちる。天候に関わりなく、ただそこに存在し続けるエレメンタルのわきを通り抜け、二つ目の青いクリスタルに触れる。装置が起動している時間は僅かで、その間に転送機をくぐらねばならない。
 急がなくてはならない。
 それなのに、頭では理解しているというのに、淡く輝くクリスタルの前で足は完全に止まった。
 目の前がまるで波のように揺れている。驚く程渇いた喉が水分を欲しがるも、生憎と喉が潤いそうなものは何一つ持っていなかった。階段を下りれば目の前にどういう原理でそこにあるのか分からないが小川がある。だけどその水を口にするのは躊躇われた。
 ぐらり、と揺れた身体を慌ててピラーに手をつくことで支える。
 まずい、と思うのも一瞬で、力の抜けた膝が地に着くのと、耳たぶに装着したリンクパールから控えめに自分を呼ぶ声が聞こえるのは同時だった。
『ツェラシェル』
 あぁ、本当に耳元で囁かれてるようだ。
 酷く気分が悪かった。呼びかけに応えることも出来ず、もう一度今度ははっきりと名前を呼ばれた。
 待ってくれ、今吐きそうなんだ。目の前がおかしいんだ。思っている事はどれも言葉にならず、唇が何度も言葉を作ろうと動く。だけど、唇は動いただけでリンクシェルに届いたのは喉の奥からこぼれるような呻き声だった。
『ツェラ様?』
 ルリリの心配そうな声だ。続けて不機嫌だと分かるがこちらを気遣うあのエルヴァーンの声。ユランや赤毛の声も混じって聞こえた。だけど声は分かるのに、何を言われているのか分からない。最初に聞いた耳元で囁くような声はもう聞こえなかった。
 声は遠ざかって。どこか遠くて。
 その中に俺の求めていた声はなかった。


 気がついたら赤い背中の上にいた。
 ほのかに鼻腔をくすぐるのは爽やかで癖のない香り。アトルガンの、いや、良く嗅いだバルムサシェの香りではない。
 そう気付いたら一気に意識が現実に引き戻される。
「気付いたか、どうだ。大丈夫か」
 低い声が背中を通して身体に響いた。
 あぁ、という掠れた声で大丈夫だと伝えたつもりだったが、そうとは全く伝わらなかったらしく、深いため息で返される。
 それよりもなんでお前がここにいるんだ、とか、本隊はいいのか、とか色々思い浮かんだが、それもまだ言葉になりそうになかった。何となく肉が落ちたな、と分かる広い背中に罪悪感を覚え、誤魔化すように肩口に頬を押しつけて目を閉じると、近くを流れる小川のさらさらとした水の音が耳に届いた。
 熱さは随分と引いていて、胸を締め付けるような苦しさも、吐き気も幾分かマシになっていた。よくよく気付けば、タバードを脱がされて薄手のクロークを被らされていた。それに気付いたら、小川のすぐ側に下ろされ る。
「動けるようになるまで休んでろ」
 ぶっきらぼうにそう言うと、見上げた赤毛はしわくちゃになった煙草を取り出して咥えた。風向きを考えたのか、僅かに移動すると火を付けて、俺とは反対方向に流れていく紫煙を見送る。お互い無言だった。パールから聞こえる会話の断片から、未だに司令機であるデスポットは現れていないようだと分かる。戦闘中だったにもかかわらず、シーフという立場の赤毛が来たことに驚きを隠せなかったが、深く考えてみれば人が多いとはいえ不慮の事態に割ける人員というのは役割に限らず人によって大体決まっているものなのだ。
「悪い、ありがとう」
 ようやくその一言が喉から出た。
 深く呼吸して、サーメットの壁に背中を預ける。そのまま目をもう一度閉じると、赤毛はこちらを見る気配もなく、黙ったまま息を吐いた。
「このクソ暑いのにタイまできっちり着込んでっからだろ」
 あぁ、全く持ってその通りだ。
 そうぼやくも、目の前の赤毛はアトルガン装束、深紅の革鎧を涼しげに着込んでいるわけだ。鎧は通気性など二の次で身を守ることを最優先で考える。暑いのは皮と布の合成品であるこちらと比べものにならないだろうに。
「気分はどうだ」
「大分楽になった、戻ってもいい。手間かけたな、動けるようになったら戻る」
 カデンツァの所に早く戻りたいのだろう、とそう思って言ったら、赤毛は何を言っているんだという顔で俺を見た。
「ファウスト、見にいかねえのか」
 そう言われて自分がここまで来た理由をようやく思い出し、酷く情けない顔をしてしまったのだと思う。赤毛はは僅かに俺の頭に同情の籠もった視線を投げかけて笑った。
「戻れそうなら本隊と合流しておけ、俺はファウスト見てくる」
 そうさせて貰う、と返せば赤毛は煙草もそこそこにじゃあ、と片手を挙げるとすぐに駆けだした。もし、俺がカデンツァだったら、いくら大丈夫だと繰り返してもきっと赤毛は置いていくことなどなかっただろう。鼻で笑いながらあっという間に小さくなる背中を見送った。
 一生懸命だな、と思ったらあの赤毛の鶏冠が可愛く見えてくるから怖い。
 あぁ、可愛いとか気持ち悪い。
 笑えない。

 案外孤独だと感じるときは、こうやって自分ではない誰かを追いかけて、置いていかれるときなのかもしれない。
 そう思った。




 

 

End