One man's dream/Onslaught

 




 このまま狂ってしまえばいいのに。
 だけど訪れるのは突然の終わりだ。
 結局俺は快楽に負けて、自分の性器を強く握りバカみたいに擦りたてて絶頂を迎える。自ら、終わりを招くのだ。
「あ、はぁ、はっ」
 肩で息をしながら手の中から零れていく自分の精液を見つめる。自分の事に必死で気付かなかったが、あいつもまた動きを止めて大きく肩で息をしていた。不意に腹の中に熱を感じて、あいつもいったことを知る。
「クソ、てめえがバカみたいに締め付けるから」
 俺のせいかよ、早漏が。
 そう言いたかったのに唇はうまく動かなかった。身体をベッドに沈めて息を整える。音を立ててあいつの性器が自分の中から出ていく感じがして、直後どろっとした何かが───何か、なんてわかりきっているのだが、隙間を埋めた。昨夜からの行為の連続で、どうも弛んでいるのかひらいたままの感覚が気持ち悪い。身体の中を流れていくアレ、がこぽ、っと空気を含んだ嫌な音を立てて溢れた。
 終わった後は何故か酷く虚しい。
 非生産的な、無意味な行為は、結局俺たちを救うことはないのだ。
 ベッドに転がって、溢れそうな涙を堪えていると、いつものように優しく戻ったあいつが俺の頭を今度は丁寧に撫でてきた。
「もう少し寝ておけよ」
「夢見るからいやだ」
「見ない。大丈夫だ」
 大丈夫じゃない。大丈夫じゃないのに、どうしてこいつが言うと大丈夫そうに聞こえるのか。優しく囁かれる言葉は、まるで俺に対する言葉じゃないようで不思議だ。お前は誰を見ている、俺じゃないだろう、とたまに言ってみたくなる。
 急に身体が離れていく気配を感じて、顔を覆っていた腕をどかすとあいつはシャワーの準備をしていた。
「どこか、行くのか」
「ああ、行ってくる。後始末しねえと腹下すぞ。入れそうなら風呂に入ってから寝ろ。あと、飯は買ってくるからゆっくり休んでろ」
 言いたいことを全部矢継ぎ早に言ってシャワールームに消えていく背中をただ見送った。
 シャワーの水音が聞こえ始め、今度は俺がため息をつく番だった。
 こういう関係を持って、初めて気付いた事は意外に多い。例えば、後始末。中に精液を残したまま放置すると腹を下すのだ。要するに終わった後指なりなんなりで流れ出さない残滓をかきだしてやらなければならないということに他ならない。俺は一度たりとも、そういう気を遣ったことはなかった。知らなかったのだ。知っていたら、きっと、多分、中で出さなかった、と思う。
 ゆっくりと身体を起こし、膝を立てて軽く指をあてがった。何かが触れたことは分かるのにそれが何か分からない、そんな場所に指を自ら突き立てるとかこんな姿誰にも見せられない、だなんて今更なプライドが鎌首をもたげる。男の下で自分から腰を揺すってねだって、何をしているんだ、俺は。
 いつもこうだ。頭がすっきりしてくると後悔の連続だ。だけどやめられない。何処にも行けない。
 あいつが言った通り、俺はどこにも行けないのだ。
 作業だと割り切って淡々と後始末を済ませシーツで手を拭う。同時にあいつがシャワールームから出てきて目が合った。後始末をしていたことに気付いたのだろう、そいつは何も言わずにキッチンへと消えていく。
「珈琲でいいだろ」
「ココア」
「ねえよ」
 嘘だ。
 その後ろの戸棚に大事そうにココアの缶が入っているのを知っている。そのココアが誰のために準備して、誰のために置いているかも知っている。そして、そのココアの缶が二度と開けられることがないことも、だ。
 会話は途切れて珈琲のいい香りが漂ってくる。
 珈琲を入れながら準備をしているのだろう、目を閉じても動き回る気配と衣擦れの音がした。
「ここに置いておく」
 そう言われてサイドボードに置かれたマグカップ。
 うっすらと目を開ければ、玄関の扉が閉まるところだった。
 あいつは、今日もアルザダール遺跡へ行く。
 本人は何も言わないが、それがどういう事か分からない程馬鹿じゃない。あいつは、未だ決別出来ていないのだ。いるかも知れない、ただそれだけを信じて毎日のように潜る。
 居ないんだ。
 もう、居ないんだよ。
 誰か、あいつに教えてやってくれ。俺の言葉は届かない。
 出来る事なら、この手に残る感触ごと教えてやりたいのに。俺たちは可哀想だ。
 怠い腰をさすりながら起き上がり、シャワールームへと歩く。脱衣所の壁に小さな鏡。そこに映るのは、黒髪の、エルヴァーン。
 手のひらを鏡に叩き付けるようにして映る自分の顔を隠した。
 黒髪。
 あいつが俺を抱くのは、俺が黒髪だからだ。
 あいつの手が俺の頭を撫でるのは、黒髪だからだ。時折優しい表情を見せるのも、微笑みかけるのも、全て。
「クソ」
 もう一度鏡に拳を叩き付けて、俺は鏡に映る自分から目をそらした。