Schwarz/Onslaught

 



  しこたま飲んできたはずなのに、冷えたビールは美味しくてついつい進んだ。他愛のない会社の話が途切れ、徐に聞きたかったであろう質問がぽつりとあいつの口からこぼれた。
「知り合い、だったのか」
「サークルが同じだった」
 もったいぶらずさらりと流す。
 ひとつ下の後輩だった彼は映画サークルの中でも異色だった。類稀な美貌、とでも言えばいいのか、おとなしそうな雰囲気と息を飲むほどの美しい造詣と裏腹に、彼はとにかく顔を背けたくなるほどのB級映画を好んだ。なんとなくあいつの反応とDVDの棚を見る限り趣向は変わっていなさそうでほっとする。
「そっちはどうなんだ」
「近所のガキでさ、小さい頃大きくなったら結婚しようって約束してそのままゴールイン」
 何そのあるある、と絶句していたらすぐにあいつは目を伏せてウソ、と言った。
「ああ、でも3割くらいは本当」
 何処までが本当で何処までがウソなのか見当もつかなかった。
 大体俺とこいつは入社時に同じ大学だったと知って驚いたほど接点がない。同期入社ということもあって話す機会や飲みに行く機会は多かったが、お互いプライベートな話は殆どしなかったし、女の子たちの噂で彼女がいるらしいと聞きかじった程度だった。
 優しくて、煙草は吸わない、パチンコや競馬の話も聞かない健全な男。
 彼女がいるっぽい、と残念そうに話した女の子の声が繰り返された。
「幸せか?」
 本当は、彼が幸せかどうかを聞きたかった。
 だけどそんなこと聞かなくても分かってしまったのだから仕方がない。この質問だって愚問だ。それなのにこいつは笑って頷くとまとまった休みが取れたら旅行に連れて行きたいと言った。それがこの男の都合ではなく、彼の仕事の都合なのだと想像するのは簡単すぎて。
「あいつは忙しいのか」
「かなりね。でも別々に暮らしてたときのぼっちな休日の過ごし方思い返したら同じ仕事でも今のほうがずっといい」
 笑いながらそう言って瓶ビールをからにする。
「あの頃馬だのパチだのにつぎ込んだ金、貯金してたら今頃マンションくらい買えたのに」
「なんだそれ」
 笑いが込み上げた。
 会社の女の子たちが勝手に想像し築き上げていたこいつの偶像が音を立てて崩れていった気がした。無敵のスーパーマンかと思ったこいつは、やっぱりただの一人の男だったってわけだ。
「今は真っ当だ」
「なにがだよ」
 新しい瓶ビールをあけてグラスに継ぎ足しながら、あいつは身をかがめて小さく言った。
「掃除洗濯買い物、町内会にガーデニング」
 思わず吹いた。
「そりゃ忙しいな」
「幸せだけどな」
 ひとしきり笑って、東の空が白んできた頃。
 リビングの床に大の字になって熟睡していたもう一人の男も目を覚ましたこともあって、いい時間だからとお暇することにした。始発も動き出し帰宅する手段が出来たのが大きな理由だが、もうひとつ彼が目を覚ます前に帰らなけれぱきっと気を遣わせてしまうだろう。
「また遊びにこいよ、今度は休みの日に」
 そんな社交辞令を背中で聞きながら無言で頷いた。
 俺が好きだったって言ったらどんな顔をするだろうか。卒業して疎遠になっていつしか忘れてしまった小さな恋。皮肉にもこんな形で思い出すはめになるとは思わなかった。
「じゃあまた会社で。邪魔したな。ありがとう、よろしく伝えておいて欲しい」
 玄関まで見送りに来たあいつを見上げて礼を言う。
「おう、気をつけて帰れよ」
 不意に頭に延びた大きな手が俺の髪の毛をかき回した。抗議の声を上げる間もなく、あいつはじゃあな、と手を上げる。結局文句を言いそびれて半ば追い出されるようにマンションの外へと出た。
 もうだいぶ明るくなった外を同僚と駅まで歩く。
 どっくの昔においてきた恋心。
 あいつはやっぱり気付いたのだろうか。

 

 

End