Schwarz/Onslaught

 



 
 そんな俺たちの関係が激変したのは、俺が形ばかりの「カカリチョー」という役職を貰った日のことだった。

 企画部に所属する同期、と言っても俺は院卒だから年齢は4違うが、そいつから厭味たらしい祝いとは思えない真っ赤なバラの花束を渡されて、部署内は大笑いの祝福ムード。
 肩書きの入った新しい名刺を本部長直々に手渡されて、俺自身もまんざらでなく自然と笑みがこぼれた。
 このバラと、新しい名刺をあいつに渡そう、なんてバカみたいに就業後の予定を一人で勝手に盛り上がって、その頃あいつが大変なことになっていたなんて知る由もなかった。

 その日はそこそこで残業を切り上げて、昇進祝いは週末に、なんて同僚と約束を交わした。バラの花束を持って会社を飛び出して、あいつは仕事中だろうから「今日遅くてもいいから逢いたい」ととメールを打った。
 我侭なのは分かってる。
 だけどこんな日だから、少し気障ったらしくバラの花束を手渡して、愛の言葉を囁くくらいは許されるだろうと思いたかった。

 だが現実は無情。
 普段ならすぐには返ってこないレスが、電話という形で返ってくる。
 なぜか酷く嫌な予感がした。
 携帯電話の小さなディスプレイにうつしだされる通話相手表示はあいつの名前なのに、得体の知れない何かから掛かってきているような、そんな不安感がつのる。まるで見知らぬ番号からの着信のように恐る恐る携帯電話を耳に当てると、案の定、聞いたこともないような耳障りで低い声が、都内の某有名病院を名乗った。


 薄暗い病院は陰鬱で気分まで深く沈んでいきそうだった。
 場違いな真っ赤なバラの花束を握り紳めて、軽く病室のドアをノックする。返事はない。
 音を立てないようにそっとドアを開けると、ベッドに横たわり眠るあいつがいた。静かな病室には、点滴が落ちる微かな音と、規則的な呼吸音だけが響く。
 青白い顔。
 乱れた髪から覗く額に手を伸ばしたところで微かなノック。
 慌てて手を引いて振り返ると、多分俺に電話をしてきたであろう担当医が小さくお辞儀した。


 倒れた理由は貧血。
 元々学生時代から慢性の貧血持ちだったことは知っていたし、本人も随分気を遣っていたはずだった。気分が悪くなったり、眩量や立ちくらみなどの症状はそこそこにあったものの、倒れるほど酷くなったことは今まで一度もない。
 反論しかけて、原因が過労と聞いて俺は頭を抱えるしかなかった。
 出来れば貴方からも養生するように言ってもらえないか、と締め括られて、礼を言って医者と別れた。

 なにが遅くなってもいいから逢いたい、だ。
 週末、明日仕事だと分かってて一緒に飲んで、共に夜を過ごして無理させて。たまの休日は俺に合わせて、あいつがゆっくり休む暇なんてどこにあったんだ。俺の我侭や身勝手であいつを振り回して結果これかよ。
 ちょっと考えれば分かることだったのに。なにやってんだ、俺は。
 眠ったあいつの細い指。
 指を絡めれば驚くほど冷たくて、思わず握り締めた。
 ぴくりと動く指、殆ど開いてない目が何度か瞬きを繰り返す。
「…レヴィオ?」
 力ない声に涙が溢れた。
「ごめんな」
 そう謝ったら、目を閉じたまま安堵したようによかった、レヴィオだと言った。
 俺だよ。
「ごめん、おれ、ねむく、て。おきたら、連絡、す」
 短い眠りと覚醒を繰り返したような言葉。昔から貧血のとき、酷く眠そうなのはよく知ってる。最後まで言うことなくカデンツァはまた眠りに落ちた。
 大丈夫、今日はここに居るから。この手を握ってる。
 だから、なぁ。

「一緒に暮らそう」



 

 

End