Q091.I was waiting/Onslaught

 






 私は待っていた。
 貴方が立派になんてならなくていいから帰ってきてくれることだけを望んでた。
 色々と私たちを取り巻く状況は変わってしまったけれど、貴方が戻ってくるなら、また皆と一緒ならと頑張れた。
 どんなことがあろうとも、貴方を信じていた。
 ───裏切られているなんて、思ってもみなかった。


「送れないんです」
 いつものようにジュノで送金手続きをする俺に、困ったように宅配サービスの窓口担当の男が頭を下げた。
 意味が分からず一瞬かたまった俺に、担当の男は先月の送金手続きの写しを差し出して言った。
「受け取られてないんです」
 思わず嘘だろ、と呟いた。
 冒険者総合サービスにはいくつかの決まり事があり、宅配サービスは増加する冒険者に迅速かつ正確に対応するためかなり細かな制約がある。中でも送金がもっとも厳しく、一度に行える手続きは一件のみであり、かつその送金が完了しなければ他の送金手続きをすることが出来ない。送金額の上限が低く設定されていることもあって、非常に煩わしい。今回は早い話が、先月送金した金を相手が受領していないので新たな送金は出来ない、と言われているのだ。
 あり得なかった。
 けして送金額は多くない。
 だが自分が大聖堂を追われた時点でアルノーのことだ、孤児院への支援などとうに止められているはずだった。どういう事情があるにせよ俺の知る限り、あの孤児院は周囲から孤立しているし、あの頃から何も変わっていなければ、支援がなければ生きていくことすらままならないはずなのだ。
 俺が不安な顔をしたのだろう、宅配サービスの担当者が気休めの言葉を吐く。
「もう少し様子を見ましょう、何か理由があって受領出来ずにいるだけかもしれません」
 確かにその通りだ。
 一ヶ月受領していないからといって、すぐにどうにかなってしまうわけでもない。手続きに時間が掛かっているのかもしれないし、この時期だから街に降りる街道が雨で崩れてしまったのかもしれない。そうなればあの山道は数週間単位で不通になる。
 だがそれらは俺がそう思いたいだけで、実際のところのことなど何一つここからでは分からない。調べようもなかった。俺はサンドリアからほど遠いこの異国の地で、自分にとって都合のいいように考えていたに過ぎない。
「おい、レヴィオ。何をしている、早くしろよ。みんな待ってる」
 金を稼ぐためにつるんでいるリンクシェルの仲間が声を掛けてきた。
「あぁ、悪い。今行く」
 とにかくもう少し待ってみよう、そう決めて俺は宅配サービスの男に礼を言ってその場を離れた。


 俺が育った孤児院があった場所は、サンドリアからゲルスバ砦を越えた山間にある小さな集落だった。
 元々はそれなりの農村だったというが、クリスタル大戦時に若い連中の殆どを戦争に駆り出され、そして彼らは二度と戻ってくることはなかった。
 当時のサンドリアはオーク軍に対し壊滅的な状況だったから、ゲルスバより向こう側の村は行軍してきたオークどもによってほぼ壊滅状態。幸運にも俺がいた集落は少しだけ山側に位置していて、オークの行軍ルートから外れていたことで生きながらえていた。
 だけど村にいたのは、戦災孤児ばかりだった。
 物心ついたとき、村には教会のシスター以外にも何人か大人がいた気がするのだが、死んだのか山を下りたのか、気がつけば俺たち以外誰も残ってはいなかった。
 いなくなっていく大人とは逆に、子供の数は増えていった。
 別の集落や村から逃げるように山を下りてくる最中に、俺たちの教会を見付けて子供を置き去りにするのだ。
 食べるものも少なく、ひとたび子供が泣けばオークの斥候に見つかるかもしれない。見つかれば殺されるか、慰みものになるかしかない、そんな逼迫した状況の中幼い子供は足手まといにしかならなかった。それでもその場に捨て置かず教会に置き去りにするのは僅かばかり残った愛情か、それとも罪悪感がそうさせるのか。
 結局戦争が終わったときには、俺を含め9人の子供がシスターと一緒に教会で暮らしていた。
 実際にはもっといたのだが、幼い子供には過酷な環境だったこともあってか、みな冬を越せず死んでいった。
 俺は一番年が上で、やんちゃ盛りのガキどもをまとめて畑を耕したり、種を植えたりして過ごした。自給自足には程遠い生活だ。土地は痩せていたし、井戸の水は飲めたものじゃない。とにかく環境もよくなかった。食べるものはいつだって足りなかった。
 ある年作物が虫によって壊滅的な被害を受け、結局どうしようもなくなって、それでシスターが連れて来たのが、大聖堂の偉い人だった。
 その人が俺を大聖堂に連れて行き、見返りに孤児院は大聖堂から支援を得た。
 その支援は司教がアルノーに代替わりしても続いていたし、今思えば色々思うところはあるのだが、今となっては俺を連れて行った人もこの世にいない。真相は分からずじまいだ。
 結局その後カデンツァ事件で、俺は大聖堂を追われる身になったから、見返りだった大聖堂からの支援は打ち切られているはずだった。


 結局二ヶ月たっても、三ヶ月たっても、受領されない金が俺の送金枠を占有していた。
 送金していなくても金だけは毎月稼いでいたから、俺の懐には自分で驚いてしまうほどの金が貯まっていて落ち着かなかった。もちろん使う気はなかったし、受領されて枠があけばまた送金する金だ。使うわけにはいかなかった。稼いだのは俺だが、厳密に言えばこれは俺の金ではないのだから。
 結局俺は、気になりながらも真実から目を背け続けた。
 裏切りの後ろめたさを金という形で誤魔化し、自己満足の贖罪を続けていた。
 そして、俺はそれらを全部有耶無耶にしたままカデンツァと再会を果たし、死の淵を彷徨うことになる。
 忘れていたわけではなかった。
 だが目をそらし続けていた。裏切りの代償を金という最低の手段で帳消しにしようとしていた。心のどこかで俺が悪いわけではないと言い訳していた。俺は巻き込まれただけだと、運が悪かったのだと。
 金があれば大丈夫。金は裏切らない。
 金さえ送っていれば、俺が大聖堂に居なくてもいいのだ。
 俺が孤児院を出て、孤児院に金を送る。金の出所が大聖堂か俺の懐かの違いでしかない。
 そう、思っていた。
 そうやって一方的に罪を押しつけてきた。
「レヴィオ」
 背後で小さく俺を呼ぶ声が聞こえた。
「やっと見つけた、レヴィオ」
 低い、唸るような声だった。
 殺気を感じ、声のほうへと顔を向けた瞬間、”彼女”は俺に向かって突進してきた。
 目の端に映る鈍く光るナイフの刃。
 小汚いフードがはがれ、憎悪に歪む彼女の顔があらわになる。
 周囲があげる悲鳴のなか、彼女は俺に向かってナイフを突き出した。
 鈍い音と共に丈夫な皮製のシーフツールが地面に落ちる。
 避けようとしなかったわけでも、避けられなかったわけでもなかった。だがナイフの切っ先は俺の体に届かないまま、ベルトの金具に当たって止まった。
「裏切り者」
 呟くような彼女の低い声。
 美しかった肌は青白くぼろぼろで、何日も櫛を入れていない髪の毛は伸び放題に荒れていた。ジュノの石畳を走ってきた彼女は裸足で、爪は割れ、黒ずんでいた。
「裏切り者!」
 しゃがれた声がそう叫ぶ。
 血走った爛々と輝く瞳が俺を睨み付け、ぎょろぎょろと動いた。
 美しかった彼女の面影は欠片も残っていなかったというのに、俺はすぐに”彼女”が誰であるかを理解していた。
傍から見れば単なる男女の揉め事。実際のところは違っていても悪いのが俺であることに変わりはなくて、俺が”彼女”だけでなく、”彼女”の大切にしたかったものまでをも丸ごと裏切って、意図せずとも捨てたということも事実だ。
 なんだ、こうやって客観的に見たら遊んで捨てる男と何も変わらないじゃないか。
 円形に俺の周囲だけ人が避けた。
 ひそひそと囁かれる憶測の言葉に混ざって、彼女がここ数週間この場所で俺が来るのを待ち伏せていたことを知った。俺への恨みだけで、”彼女”はこうするに至るまで思いつめたのだ。
 しん、と静まり返った群集のなかから、今度は緋色の”彼”がゆっくりと、俺ではなく”彼女”に近づいた。
「ここは他の人も沢山利用するから危ない」
 俺にナイフを突き出したままの形で止まっていた彼女の手にそっと触れて、彼は言った。
「傷つけるのは本望ではないでしょ」
「待ってたのに、私は待ってたの。あんたに何が分かるの」
 金属音が響いて、振り上げられた彼女の腕と共にベルトの留め金が空を舞う。
 意識がそれに気をとられた隙に、今度は刃物が身を切り裂く音がした。再び周囲からあがる悲鳴。
「カデンツァ」
 思わず名前を呼んだら、カデンツァは無言で俺を制した。
 カデンツァの頬を深く切り裂いた切っ先は、今度は真っ直ぐカデンツァに向けられる。
「分からないけど」
「なんなの、分からないけどなんなの」
 流れ落ちる血を拭いもせず、無表情に彼女に向き合うカデンツァに俺が気圧される。
「レヴィオが怪我をするのはもういやだから」
「あんたは」
 彼女がそう声をあげたところで嫌な音が響いた。
 急に咳き込んだ彼女の口から、どす黒い血が石畳に吐き出されたからだ。
 よろめいた彼女を抱きとめたカデンツァの、抑揚のない、だが凛とした道をあけてという声がざわめいた人を真っ二つに割った。ようやく動いた体で彼女を抱えあげようとしたカデンツァをとめて俺が彼女を背負う。
 上層の病院に。
 そうカデンツァは言うと俺を先導するかのように歩き始めた。
 彼女は俺に背負われている間、息は荒く苦しそうに呻くも暴れることはなく大人しかった。

 病院についてから、思い出したようにカデンツァは頬の血を拭った。
「お前も」
「俺は大丈夫」
 珍しく最後まで言う前に遮られる。
 カデンツァの怪我は治りが早い。それは病院だとか治療だという医療技術や施療文化に乏しいかの国で研究開発された究極の医術ともいえる。確かに先ほど深く切り裂かれたと思った頬の傷はあらかた塞がっているように見えた。
「ごめんな」
 カデンツァは一瞬目を細めただけで、何も言わなかった。
 暫くして彼女が呼んでいるというので、俺とカデンツァは病室となった個室に通された。
「傷つけてごめんなさい」
 入ってきた俺たちを見て、横になったまま彼女はまずカデンツァに詫びた。
 その表情は穏やかで、先ほどの渦巻く憎悪は微塵も見えなかった。
「シス」
「レヴィオ、聞いて」
 名前を呼びかけた俺を制止して彼女、システィーナは話し始めた。
「私、貴方を訪ねて大聖堂に行ったの」
 大聖堂のくだりでカデンツァが目を伏せたのが見える。
「数年前の流行り病でジョルジュとオーウェン、エリクが死んだ。元々栄養状態もよくなくて、正直僅かな補助金と貴方の仕送りだけではやっていけなかった。このままだと全員冬を越せないと分かる状況だった。だからその後私も村を出たの、貴方のようにお金を稼ぎたくて」
 そこで彼女は少し咳き込み、シーツで口元を拭った。シーツは薄桃色に染まっていて、彼女が喀血したことを知らしめていた。
 死んだ三人は俺が村を出たときまだ幼かった。病は抵抗力の弱い小さな子供から命を奪っていく。
「君も、病に」
「いいえ、私は、軽蔑されるお金の稼ぎ方をしていた」
 そこで彼女は俺から視線を僅かにそらした。
「でもこのざま。働けなくなって、村に帰った」
 ぼろぼろとこぼれる大粒の涙が、シーツにいくつも染みを作っていく。
「帰ったら、みんなが住んでた聖堂は焼け落ちていて、誰もいなかった」
 後半声が震えて言葉にならないのが分かった。
「崩れた聖堂の門柱にヒューゴの服が引っかかってた。その横で何かを集めて燃やした跡が残っていて、それで村を襲ったのがオークじゃないって、略奪とかじゃないって分かった。血の臭いを、焼いて消したのよ」
 握りしめたシーツが震えた。
「だから、だから私は貴方を訪ねてサンドリアの大聖堂に行った。そうしたら、貴方は既に1年も前に大聖堂を追われていた。大事な預かり子を不注意で死なせてしまったと聞いた」
 否定できない既成事実だった。
 彼女には全くと言って関係のない俺の理由は、言い訳にもならない。
「追われた貴方が村に戻って、それで村が焼き払われたんだと思ったの。これで私に家族は一人もいなくなったって、絶望しかなかった」
 カデンツァが視線を彼女からそらし、目を閉じた。
「死にそうな顔をしてたんだと思う、哀れに思ったのか司祭様が、ジュノに行けば雇ってくれるところもあるだろうから、サンドリアをでなさいと少しだけど路銀を恵んでくださったの。それで頑張ってここまで来た。そうしたら、天の思し召しか貴方のような人を見かけた。他人のそら似かとも思ったわ、でも、間違えるはずがないと思って後をつけた。貴方は幸せそうに笑ってた」
 村のことなんて、忘れてると思った。
 いいえ、違う。私のことなんて忘れている、そう思ったの、と彼女は言い直した。
「また皆で一緒に暮らしたい、あそこでまた皆で過ごしたいって思ってたのは私だけだったのか。皆いなくなったと思って、私にはもう誰もいないと思っていたのに、貴方は生きていて他の誰かと笑ってこんなに楽しそうで」
 伸ばされた細い腕が俺の手を掴んだ。
「貴方も同じ気持ちを抱えていると勝手に思っていた、裏切られたと思った」
 彼女が大きく咳き込む。
「私、貴方と過ごしたかった。苦しくても、あの聖堂で、あの村で、私は貴方と生きていきたかった」
 遠い昔、聖堂の隅で他のやつらに隠れて初めてキスを交わした日のことを思い出す。
 若かった、子供だった。生きていくこととか、責任とか、深く考えてもいなかった。なんとかなると、本当に純粋に思っていた。
「貴方は、いえ、ごめんなさい、レヴィオ」
 そう言って彼女はため息をついて目を閉じた。
「本当にごめんなさい、勝手なこと、言うだけ言って疲れてしまった」
 俺の手から離れていった彼女の手。俺は握り返すことすら出来なかった。
 そしてシスティーナはカデンツァに向かって、馬鹿な話を聞かせてしまってごめんなさいとまた詫びた。
「また、明日来る。ゆっくり休め」
 俺はそれだけ言うのが精一杯で、混乱した頭でカデンツァを促して病室を出た。
 受付で彼女の当面の治療費として手持ちの金を出し、足りない分はまた持ってくるというと難しい顔をされた。ある程度覚悟はしていたけれど、突きつけられた現実は先ほどの話も相まって泡沫のようで現実味がない。当人とよく話しあって今後を決めるようにと言われて頷く他なかった。
 病院を出て呆然としてしまった。
 最後、システィーナは俺に同じ気持ちかどうかを聞こうとしたのだと思う。
 だけど、その答えが、彼女の望んだ答えではないのが分かったから聞けなかったのだ。
 俺は彼女を愛せない。
 溢れた涙が頬を伝ったのを見て、カデンツァは俺の手をひいてレンタルハウスに向かって歩き始めた。
 俺はそんな優しさに助けられ、愚かにも甘えて、レンタルハウスに着くなり床に蹲って泣いた。カデンツァは床に蹲ったまま動こうとしない俺の隣で、じっと落ち着くのを待っていてくれた。
 背中伝いに感じるカデンツァのじんわりとした熱。
 結局その日は眠れないまま夜明けを迎えた。

 夜が明けて、上層の鐘が鳴り響く。 
「システィーナに逢ってくる」
 そう言った俺に、カデンツァは病院の前まで一緒に行くと言ってついてきた。
 お互い無言で、レンタルハウスから病院までの短い距離を歩く。
 なあ、カデンツァ、そう声をかけようとして伏せていた視線をあげると、病院が僅かに慌ただしいのが分かった。
 嫌な予感、というやつだ。
 体中の血が下から迫り上がってくるかのような感覚に思わず喉を鳴らした。足を止めてしまった俺の代わりにカデンツァが病院に足早に駆け込む。慌てて追いかけるようにして俺も続いた。
 病院に入るといつもの先生が俺の顔を見て小さくため息を漏らした。
 言わんとすることが分かって俺も小さく声を漏らす。
「あぁ」
 システィーナは夜明けと共に旅立った。
 上層の鐘が鳴り響く中、眠るように息を引き取ったと聞いた。
 別れの言葉は遠く、彼女に届くことはない。


 墓は、ジュノからすぐ、ロランベリー側の共同墓地にした。
 少し殺風景ではあるが、バタリアやソロムグよりましな景色で、短い花がたくさん咲いている。冒険者も比較的よく通る、賑やかな街道沿いだ。
 これで一人じゃない。
 サンドリアにも、故郷にもあまりよい思い出はない。多分、ここが、この場所が彼女にとっていいはずだと自分に言い聞かせてみるが、自信はなかった。
 子供過ぎて、彼女のことを何一つ理解していなかった。大人になっても、だ。
 何年もの間、罪悪感だけで貯め続けた金は、俺自身はおろか誰一人として幸せにしなかった。
 俺の思いも、言い訳も、謝罪も、もう彼女には届かない。
 どうか、安らかに。
 願わくば、向こうでみんなに会えますように。
 


 

 

End