Q081.Strangulation/Onslaught

 




 カデンツァの部屋を出てすぐ、隠れていた何者かに鈍器で殴られ意識を失った。
 正直、まさか大聖堂の中で襲われるとは思ってもなかったし、油断していたというよりは不意を突かれすぎた。こういった強行的な手段に出るような修道士もいないと高をくくっていたこともあったが、根本的に警戒していなかったということが一番の敗因だった。
 酷い頭痛で意識を取り戻すと、押し殺した小さな悲鳴と規則的な軋む音が耳に飛び込んでくる。痛むこめかみを押さえようと手を動かそうとしたところで体が動かないことにようやく気づいて、周囲の状況が頭に入ってきた。
「お、お目覚めか」
 そう言って振り返った男は、下っ端修道士の中でもなかなかにしたたかなやつで、立ち回りのうまい男だった。目で一周、自分の置かれた状況を把握する。
 ここはカデンツァの住む納戸。
 いつもつるんでいる修道士が五人。うち一人がベッドでカデンツァに乱暴している。そんなことをしなくても、カデンツァは言いなりになっただろうに、一人はカデンツァの頭上から腕と口をきつく押さえつけていた。様子からして二人目、といったところか。苦しいのか、開かされた太ももに力が入っているのがここからでも分かった。
「クロヴィス、どういうつもりだ」
 椅子にきつく縛られて全く身動きが取れない。ご丁寧に足首までも椅子の脚に固定されており、後ろ手に縛られた腕では指一本届きそうになかった。
「どうもこうも、見ての通り。最近全く遊ばせて貰えないんで、こっちから出向いてやったんだ」
「お前等が無茶苦茶するからだろうが」
「俺はお前に監視されながらやる趣味はないんでね」
 監視しなければならないほど、酷いことをしたのはどっちだと喉まで出かかった。彼らはまるでカデンツァがただの玩具だとでも思っているのか、その行為に容赦がない。そのまま殺してしまうのではないかと思うようなことを平気でやる。狂っている、とさえ思う。
 一度きつく咎めたとき、”こんな場所にいたら遅かれ早かれ壊れてしまう”そうクロヴィスは言った。
 例えそうだとしても、壊していいわけじゃない。そう返すと、お前が言うのか、それを、と言われて言葉に詰まった。破滅に導いていたのは、明らかに俺だったからだ。
「お前は楽園の扉開けたのかよ」
 カデンツァに乱暴していた男が果て、次に控えていた男がベッドに近づいていく。
 開けるわけねぇだろ、クソが。子供相手におったてて、よってたかって乱暴して恥ずかしくないのか。
 クロヴィスはどこからともなく煙草を取り出すと火をつけた。
 クロヴィスという男は、特殊な出自を持っている。彼がこの大聖堂にいること自体が特殊な理由なのだが、端的に言えば、由緒ある名家の当主が、使用人の女を孕まして産ませた子供、だ。
 残念なことに、その後”正しい嫡男”が産まれたことで、彼はその役目を静かに終えた。それが、大聖堂にいる名家の長男であるクロヴィスの正体。実家は相続問題を回避すべく、大金を積んでクロヴィスを大聖堂に入れた。大聖堂は多額の寄付金と名家とのつながりを大事にし、あからさまな地位こそ与えていないものの、クロヴィスは他の修道士に比べて遙かに自由度の高い暮らしを送っている。
 普通の修道士が、酒場で飲んでいたら大問題なのだが、クロヴィスの場合は違う。店も、人も選ぶ。当然お金の使い方を知っている。頭がよく、切れる。
 そんなクロヴィスが、カデンツァにはきつく当たる。
 最初は気のせいかと思っていたが、やはり家柄の関係で腹が立つこともあるのだろう。クロヴィスの八つ当たりにも似たキツメの当たりは、周囲の修道士を暴力に駆り立てたようにも思う。どこかで、本当なら俺が止めなければならなかったクロヴィスのカデンツァに対する怒りにも似た感情は、今こういう形で牙となって俺にも、カデンツァにも向けられている。迂闊だったと嘆いても遅すぎた。
「おい、コンスタン。深く突っ込んだ後、首絞めてみ」
「おい、クロヴィス!」
 椅子の脚が音を立てるが、体は動かない。
 カデンツァの上に乗り上げていたコンスタンは、抱えていた腰から手を外し、カデンツァの首に手をかけた。
「待て、やめろ」
「ウジェーヌ、締めすぎないようお前ちゃんと見てろ。殺すなよ、面倒だ」
 上からカデンツァの腕と口を押さえつけていたウジェーヌが分かってる、と頷くとコンスタンが勢いよく腰を沈めた。一際大きくくぐもった悲鳴がカデンツァの口から漏れると、そこからは苦しそうなぐ、ぐ、ぐという低いうなり声が部屋に響いた。
「すげぇヤバイ」
何がヤバイだ、ヤバイのはお前の腹だ。手首に食い込んだ荒縄はびくともせず、体を揺すってみるも椅子の脚に丁寧に固定された足首は抜けることすら叶わない。
「気持ちいい、ヤバイ、キツい、締まる」
「だろ、適当なところで手を離せ。死んじまったら締まりもクソもないからな」
 再度の注意にコンスタンは分かってる、と頷くも明らかに表情はそれどころではない。折りたたまれるようなカデンツァの体が大きく震えて、足の指に力が込められる。押さえ込まれた腕が強く抵抗を示して頭が左右に何度も振られるのが見えた。コンスタンはやめない。
「やめろ、死んじまう、クロヴィス、やめさせろ」
「うるせぇな、指図すんな」
 咥え煙草のままクロヴィスの手が伸ばされ、髪の毛を掴まれたかと思ったら顔面に強い衝撃が走った。
「俺はお前みたいなのが一番キライなんだよ」
 膝だ、と気づいた時には遅く、無様にそのまま蹴り上げられ椅子ごと後ろに倒れる。
 その衝撃に息が詰まった。目の前が点滅しかけているところに追い打ちのごとく、足が鳩尾付近に下ろされて踏みつけられたところで目の前は真っ白になり、やがて真っ暗になった。
 どれくらい気を失っていたのか、そもそも最初に殴られたのは何時だったか。
 顔を拭く、冷たい布の感触で目を覚ますと、心配そうなカデンツァが目に飛び込んでくる。体を起こそうと手を動かすと、カデンツァが解いたのだろう、荒縄が音を立てて腕の間からすり抜けた。
 カデンツァ一人で大柄な俺を動かすことが出来なかったのが分かる、床になけなしのシーツを重ねてあった。
「だいじょうぶ?」
 抑揚のない声だが、掠れている。視線を喉元にやれば、赤黒くなった指の痕が見えた。
 部屋にはもう誰もいない。
「それはこっちの台詞だ」
「レヴィオの方がだいじょうぶじゃないよね」
 無理矢理体を起こすと僅かに目の前が揺れる。
「俺は慣れてるし。床で申し訳ないけど、寝ててもいいよ。起こしてあげる」
「いや、大丈夫。後始末はどうした」
「自分でした。水を取りに行くのに部屋を出たけど、誰にも見られていない」
 嫌な会話だった。本当ならもっと違う話をするべきなのに、俺とカデンツァの会話はいつもこうだ。
「クロヴィスとは」
「したよ、最後に。他の人は先に出てった」
「なんか、言ってたか」
 そう聞くと、少しだけカデンツァは考えて、冷たい手ぬぐいを殴られたであろう俺の頭に当てた。
「俺が嫌いなんだって」
 それ以上、カデンツァは言わなかった。
 様子からは少なくはない会話が想像できるが、内容までは計り知れない。帰りたくても帰ることの出来ない男と、帰る場所がありながらも自ら檻に入った男。よい会話の内容でないことだけは分かる。
 返ってくる答えは一つと分かっていて、俺はもう一度聞いた。
「大丈夫か」
「だいじょうぶだよ」
 

 


 

 

End