Q1.What's your name?/Onslaught

 



「ねぇ、そういえば俺はレヴィオのフルネームを知らない」

 自分の冒険者証を眺めながらそんなことを突然言い出すから、俺は鍋を持ったまま止まってしまった。そんな俺を見て、カデンツァはいけないことを聞いてしまったのかと思ったのか、小さくごめんと言って黙ってしまう。
 けしていけないことではない。だがカデンツァは多分、フルネームがない人間がいることを知らない。
 俺は戦災孤児だったからこのレヴィオという名前すら本当の名前なのか分からない。だけど捨てられていた俺を拾ってくれたシスターがつけてくれた大事な名前だ。
 当然だが正式なサンドリア国民として登録されているわけではないから、俺という個人はどう名乗ろうが勝手だ。大聖堂に入ったときですら俺の名前など識別のための便宜上のものに過ぎなかった。だからフルネームなんて聞かれもしなかったし、大聖堂に俺がいた記録が残っているのかも疑わしい。
 要するに俺はサンドリアの国勢調査には反映されないエルヴァーンなので生きていようが死のうがなんの問題もないのだが、カデンツァのような生まれたときにアルタナの洗礼を受けたような立派な家柄のサンドリア国民だと、至るところに履歴や登録が残っていて、それこそ行方不明なんかになろうものなら大変な事になる。
 それがカデンツァの遺体なき葬儀の正体だ。
「謝るなよ」
 なんとなく伝わってしまったのだろう、鍋をテーブルに置いてジズ肉の煮込みを取り分ける。
「冒険者登録時に必須だっていうから適当にでっち上げた偽名でよければある」
 深紅のガーネットが興味を示した。
 サンドリアで冒険者の登録をするとき、受付の高慢なエルヴァーンが俺の記入済申請書を睨み付けて空欄は全部埋めろ、これだから教養のない者は困る、申請書のひとつも書けないのか、と言いたい放題だったのだ。だからその場で適当に思いついた名字をあたかもあえて書きませんでした、と装って記入した。
 馬鹿馬鹿しいことに空欄を埋めただけで冒険者登録はノーチェックでパス。埋まっていない名字欄に何の意味があったのか未だに分からない。
 笑い話だ。
 それ以来、俺の冒険者証には自分ですらまともに名乗ったこともない名字が印字され続けている。
「なんていうの」
「フランドール」
「フラン」
 間違いなく今カデンツァはゼオルムに居るアレを思い浮かべている。もしかするとナイズル島に生息する黄色い方かもしれない。
 思わず笑いながら冒険者証を渡す。
「レヴィオニ・フランドール」
 印字された俺の名前をカデンツァが口にする。なんとなくこそばゆい。
「俺もこっちにすればよかった」
「へ?」
「カデンツァ・フランドール、どう?」
 思わず取り分けていたジズの肉を落とした。
 いやいやいやいや、むしろお前の立場的に俺がレヴィオニ・ヴァイデンライヒにだな。いや違う。そんな話ではない。落ち着け俺。そんな話はしていない。
 適当に思いつきでその場でもっともらしく申請書に書き込んだだけの名字が、カデンツァに呼ばれただけで違う色と輝きを持ち始めた。
「俺のセンスもなかなかだろ」
 カデンツァが笑う。
 握られた俺の冒険者証から見える自分のフルネームが、少しだけ誇らしげにテーブルランプの光を映した。
 なんとなく、なんとなくだぞ。
 初めて、フランドールが俺の名前になった気がした。
 レヴィオニ・フランドール。
 うん、悪くない
 

 

End