Sayonara/Onslaught

 



【→side:Zeller→】

 血の通ってなさそうな青白い額に手を当てた。
 酷く冷たく感じるのは、自分の手が熱いからだと言い聞かせる。確かめるように指を下げていけば、微かに指に当たる息を感じる事が出来て安堵した。だが、目を覚まさない身体。
 あの時、自分をかばって負った致命傷。
 そんな状況で俺を無理矢理帰した。その意図が、俺に変わり果てたカデンツァの姿を見せないためだということくらい分かってた。ひとりで片を付けるつもりだということも、俺を帰せば無事では済まないことも、きっとあいつは分かっていてそう行動した。
「かっこつけすぎだろ」
 もう一度戻った俺の前にいたあいつは、ボロボロになったカデンツァを強く抱きしめたまま赤の海にいた。
 そう、形容するほかなかった。
 薄暗い海底遺跡で、そこだけが異色だった。鮮明ではない。どす黒く、変色した、それでも赤、と分かる色。その血が、どっちのものかなんて考えたくもない程の夥しい量。その中に色を失った青い腕が投げ出されていたのだ。その腕は在らぬ方向に捻れ、赤黒く腫れた指先は、指と言うにはいびつすぎた。手も、脚も、人だったと分かるのに、人の原型をとどめていない。いつもと変わらない青白く綺麗な、そう、驚くほど綺麗な顔だけが、血の海に浮かんでいた。
 そんなカデンツァを離すまいとしっかりと抱きしめたあいつの腕。
 いや、むしろ雛を守る親鳥のようだと思った。強く強く抱きしめられたその小さな身体。あいつの思いの強さが伝わってきて、やはり俺は何処にも入り込む隙間などなかったのだと思い知らされた。
 二人とも、まるでマネキンのようだった。
 それは生命の暖かさがなにひとつない、魂を失った抜け殻とも言える。
 俺は情けなくも、喉から声を発することすら出来ず、ただその場に膝をついた。噎せ返るような血の臭いも、酷く哀しい肌を突き刺す冷たい空気も、何一つ俺にそれは悪い夢だと言い聞かせてはくれない。
 これは現実───なのだ。
 そう、理解した瞬間に込み上げたのは怒りだったのか、悲しみだったのか。
 今でも押し寄せてきた感情を言い表すことは出来ない。ベッドに横たわる男を見下ろしてため息一つ。
「ツェラ様、ここに居たのね」
 振り返れば、ドアを開けて入って来るのは小さなタルタル。
 帽子をかぶっていないのは久しぶりに見る気がした。焦げ茶色の髪の毛を高くふたつに結わえたルリリ。小さな足でとことこと音を立てて俺の足下まで来ると、ルリリはその小さな頭を俺に向けて、まるで天を仰ぐように見上げた。
「だいじょうぶ?」
 彼女は気を遣ってくれている。
 ルリリは優しくそう言って笑った。
「カデンツァは」
「今向かいの部屋でユランが」
 そうか、とほっと胸をなで下ろす。
 少し休ませようと無理矢理寝かしてみたものの、あんな状態のカデンツァを一人にするわけにはいかなかった。それなのにカデンツァは大丈夫だから少し一人にして欲しいというのだ。俺が側に居ては息が詰まるのだろう。ルリリならば、と頼んだのは結果的に正解だったようだった。ユランが来てくれたのは想定外だったが。
「少し休んでは?」
「いや、ありがとう。大丈夫」
 ルリリの申し出を丁寧に断って、近くの椅子をたぐり寄せて座る。ルリリもまた、小さなスツールに腰掛けた。
「あんな弱気なカデンツァ、初めてみたわ」
 小さな手を差し出したルリリは、俺の膝にその手を置いた。
「わたし、知らなかったの」
「俺もだ」
「知った気になっていたの。青魔道士のこと、カデンツァのこと」
 俺もだ、と繰り返そうとした言葉は、無様な呻き声となって零れた。
 頬を伝って床に染みを作ったそれが、溢れるように後から後から押し寄せてくる。
「なんでも、分かってやれると、思っていたんだ」
 思い上がりだった。
 なあ、頼むよ。起きてくれ、レヴィオ。
 カデンツァは、むかつくがお前を求めてる。お前に心を許してる。
「目を覚ませ、クソが」
 小さなルリリの手を握り返したら、彼女の手もまた震えていた。


 

 

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