Song of Soul/Onslaught

 




 張り詰めた鼓動が、ぴりぴりとした感覚を伴って毛細血管の先まで緊張させる。

 アラパゴ遺構方面へと続く転送装置を抜けると、そこには自分一人しかいないのではないかと思うほど静かに広がった静寂の世界があった。携帯端末に声をかけると、同様に緊張した声が返事をした。繋がった携帯端末で、相手の男の居場所をある程度特定させるとその方向へと足を向ける。
『最低の気分だ』
 緊張のせいか、それとも元々そういう気があるのか。僅かに饒舌になった男はため息をついた。
『未練がましく追いか、けっ───』
 耳元で響いた無機質な音とともに突然男の声が途切れた。
「おい!」
 折角先ほどまで特定出来ていた場所がじわりと滲む。慌てて男がいただろう場所に向かって走った。
 何かあったと想像するに容易い。その辺で待っていろと声をかけたのも、そういう最悪の想像をしたからだ。見境のなくなってしまった───人としての感情を手放した、魔物となり果てた、カデンツァだったものが。
 あけたフロアに不用意に突っ込んで後悔した。
 鼻先を風が切る音。
 続いて、しなるような小さなかたまりが驚くべき跳躍を見せ、遺跡の高い壁の端に張り付いた、ように見えた。薄暗い遺跡でそのかたまりの速度に目が追いつかないでいるうちに、男の気をつけろ、という声だけが耳に届く。
 声を頼りにかたまりの動きに注意しつつその方向へと向かえば、膝を付いて首を横に振る男、ツェラシェルの姿が目に入った。
「なんだアレは」
 その問いには答えられないまま、俺はじっと目が慣れるのを待った。
 ツェラシェルの荒い息づかい。そして自分の恐ろしく冷えた鼓動。フロア全体に感じる、カデンツァの、存在感。
 黒くうごめくそれが、カデンツァであると、まだ視認したわけではなかったが、間違いなく。
「嫌なものを、見ることになる」
 そう言って武器を構え、懐から身代わりとなる紙で出来た形代を取り出し咥えた、つられたかのようにツェラシェルは立ち上がり俺に強化魔法を投げかけてきた。多分それは染みついた冒険者としての無意識の反応。戸惑いを隠せない様子でツェラシェルは小さく言った。
「既にこれ以上ないくらい人生最低の気分だったのにまだあるのか」
「来るぞ」
 その意味を図りかねたまま、カデンツァの気配が動いた。
 毛穴という毛穴から冷や汗ともなんとも分からないぞわぞわとした感覚が肌を覆う。こんな状況なのに、俺は酷く冷静に見えた。これからどうしなくてはならないのか、言葉には出来ないが漠然と分かっている。理解している。それは覚悟にも似た何かだ。
 カデンツァ。
 口の中でゆっくりとその名前を繰り返した。
 走ってくる影。周囲の薄暗さに黒髪が沈み、病的に青白い肌、そしてギラギラと殺意とも狂気ともとれない深紅の瞳だけが浮かび上がった。能面のように張り付いた感情の読み取れない表情。
 半歩後ろでツェラシェルが息を飲んだのが分かった。
 その手に握り締められた曲刀が、僅かな光を反射して鈍く揺らめく。振り払われる曲刀を短剣の柄で受け流して距離を取った。立ち止まったカデンツァは両手を前に突き出し、流れるようにゆっくりとザッハークの印を結ぶ。
 足下からわき上がる恐ろしい気配。カデンツァの身体を触媒として解放される魔の気配。
 それと同時に、カデンツァが叫んだ。
 それは悲鳴。
 あの、カデンツァの僅かに高くて柔らかい声が、痛みに震えるかのように。喉から絞り出すようにその悲鳴は遺跡に響いた。泣きながら身体を魔に明け渡し、その力を無理矢理行使する。その姿に涙が溢れた。
 もうやめてくれ。
 やめてやってくれ。
 カデンツァを中心として、土煙が巻き上がった。僅かに逃げ遅れたツェラシェルが目を擦りながらたどたどしい動きでカデンツァから距離をとっているのが見える。
「おい、どうすんだ!」
 どうするも、こうするも。
「やるしか、ねぇだろ」

 

 

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